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名古屋高等裁判所金沢支部 昭和63年(う)69号 判決 1992年3月31日

《目次》

被告人等の表示<省略>

主文

理由

第一 本件公訴事実及び原判決の内容

一 本件公訴事実の要旨

二 原判決の事実認定及びその理由の骨子

1 本件各犯行に至る経緯

2 富山事件

(一) 誘拐罪の成立

(二) 同事件に関する甲の正犯性

(三) 殺人、死体遺棄罪に関する甲の実行正犯性

3 長野事件

(一) 同事件に関する甲の正犯性

(二) 殺人、死体遺棄罪に関する甲の実行正犯性

4 本件両事件について甲及び丙両名の共謀を認定しなかった理由

(一) 甲供述の信用性について

(二) 間接事実について

(三) 丙自白の信用性について

第二 各控訴趣意の論旨の概要

一 甲関係

1 甲本人(弁護人小堀等の控訴趣意補充分を含む)

2 弁護人倉田等

(一) 事実誤認(犯罪事実に関し)の主張

(二) 心神耗弱の主張

(三) 量刑不当の主張

二 丙関係

検察官(事実誤認の主張)

(一) 甲供述の信用性について

(二) 間接事実について

(三) 丙自白の信用性について

(四) 丙の公判弁解の虚構性

第三 当裁判所の判断

一 はじめに

二 当裁判所の判断の概略(量刑不当の主張の分を除く)

三 本件両事件における甲の実行正犯性について

1 本件各犯行に至る経緯

2 富山事件における誘拐罪の成立とその態様

(一) 二月二三日から二五日までの甲とAとの行動等

(二) Aが母親にかけた電話の内容等

(1) 二月二四日朝の電話の状況

(2) 二月二五日昼過ぎころの電話の状況

(三) Aの処遇についての疑問と考察

(1) 疑問点

(2) 原判決の推論とその当否

(3) 当裁判所の考察

3 富山事件における甲の実行正犯性について

(一) 原判決が認定する関係諸状況

(二) 甲の弁解内容

(三) 甲弁解の虚構性

(1) 甲2の証言等について

(2) Zの燃費と走行距離の関係

(3) 死体遺棄現場における甲の指示について

(4) 丙及びその他第三者の実行関与の可能性について

(四) 富山事件での甲の実行正犯性についての原判決の判断の当否

4 長野事件における甲の実行正犯性について

5 結論

四 本件両事件における甲及び丙両名の共謀の有無について

1 はじめに

2 共謀の有無に関する当裁判所の判断の概要

3 共謀の有無に関する各事項についての検討

(一) 間接事実について

(1) 甲及び丙両名の愛情及び日常生活面における一心同体性について

(2) 甲及び丙両名の経済面での利害の共通性について

(3) D事件について

ア はじめに

イ 丙がD事件で共謀したことを疑問とする諸事情

ウ 甲がD事件において丙に行わせたというアリバイ工作について

エ D事件についての丙の自白とその信用性について

(4) 金沢における誘拐計画に丙が同行した事実について

(5) 「北陸企画」がAを留め置く場所として利用されたことについて(富山事件)

(6) 丙が二月二四日に「北陸企画」に出向いた可能性(富山事件)

(7) 丙が二月二五日早朝に「北陸企画」に出向いた可能性(富山事件)

ア 武田証言の信用性について

イ 当日「北陸企画」に出向いたことを自認する丙供述の信用性について

ウ 丙の弁護人との接見時発言とその考察

エ 当日早朝における丙の行動の意味

(8) 二月二六日、二七日の両日に丙がAの両親等に示した態度について

(9) 丙が、三月三日富山を出発してから八日帰宅するまで、終始甲と行動を共にしていたことについて(長野事件)

ア 原判決がいう「情をしらない丙の利用」と「責任転嫁」の考え方に対する批判

イ 甲の企みについての新しい視点からの考察

ウ まとめ

(10) その他の間接事実について

(11) 三月六日朝丙が警察にZの事故の有無を問い合わせたことについて

(12) まとめ

(二) 甲の捜査及び公判段階における各供述の信用性について

(1) 甲供述の信用性についての原判決の判断要旨

(2) 検察官の反論の骨子

(3) 甲供述の過程と内容の概観

(4) 甲供述の過程及び内容の特徴と一般的な不審点について

(5) 三月三〇日における甲の捜査官に対する各供述について

(6) その後「丙との共謀による甲実行」という甲供述に至るまでの供述変遷等について

(7) 「丙との共謀による甲実行」という甲供述の信用性について

ア 供述経緯の不自然性について

イ 間接事実との対比による合理性について

ウ その他甲供述の内容自体の不完全性について

(8) 特に、長野事件に関し甲が供述するアリバイ工作についての疑問

(9) 最終的な丙への責任転嫁供述の信用性について

(10) まとめ

(三) 丙自白の信用性と公判弁解について

(1) 丙自白の信用性と公判弁解についての原判決の判断要旨

(2) 検察官の反論の骨子

(3) 丙供述の過程と内容の概観

(4) 丙自白の信用性の検討について

ア 秘密の暴露もしくはこれと同視すべき供述が認められるとの主張について

① 富山事件における睡眠薬の使用について

② D事件について

イ 自白内容の合理性に関する主張について

① 間接事実との符合性について

② 自白内容に臨場感、体験感あふれる供述が含まれているとの主張について

ウ 丙自白の内容を不合理とする原判決の判断に対する反論について

① 富山事件における共謀の内容と丙が実行行為に関与しなかった理由について

② 三月六日朝丙が警察にZの事故の有無を問い合わせたことについて

③ その他、原判決が丙の自白内容が不合理とする各事項の判断について

a みのしろ金の受領方法について

b 甲が丙以外の男と誘拐の下見に行ったことについて

c 甲が男性をも誘拐対象と考えていたことについて

d 二月二六日以降の富山事件に対する関心について

e 二月二八日甲が富山事件について丙に語った内容について

f 殺害の凶器とすると決めた「志賀」の紐に対する丙の認識について

g 三月四日聖高原方面を下見していた際の甲及び丙両名の謀議内容について

h 丙名義のカードで給油したことについて

i 三月六日「ビッグベン」におけるみのしろ金要求電話に関する甲との会話内容について

j 三月七日昼過ぎのみのしろ金要求電話について

k 二月二二日「プラザ」での謀議の内容について

エ 自白内容の変遷に関する主張について

① 長野事件の謀議における殺害担当者について

② 誘拐場所を大宮から長野に変更した理由について

③ 長野事件のみのしろ金の額及び受領場所に関して謀議した時期等について

④ 少女フレンド等の入手先に関しての甲の説明について

⑤ Bの殺害、死体遺棄に関しての甲の説明について

⑥ みのしろ金持参人の見分け方に関しての甲の説明について

⑦ みのしろ金目的誘拐の事前謀議をした時期及び内容について

⑧ A殺害に関する二月二六日における甲の説明について

⑨ 二月二五日朝丙が「北陸企画」に出向いた事実の有無について

オ 自白に至る経緯が自然であるとの主張について

① 原判決の判断要旨

② 検察官の反論の骨子

③ 本項についての当裁判所の判断

a 捜査当初の段階(三月八日〜一〇日、二九日、三〇日)における供述について

b 丙の過剰自白(Bの殺害実行)について

c 富山での取調べにおいて全面自白後にも自白を撤回していることについて

d 自白状況の不安定さについて

e 四月一二日に丙が長野事件について全面自白した際の状況について

f 丙の刑罰に関する認識について

g 自白をするに至った真の原因について

(5) 丙の公判弁解は虚構であるとの主張について

4 本項についての結論

五 本件における甲の刑事責任(犯罪事実の認定)について

六 甲の心神耗弱の主張について(甲の弁護人倉田等の控訴趣意)

七 量刑不当の主張について(甲の弁護人倉田等の控訴趣意)

第四 結語

別紙一 略語例

別紙二 証拠の引用例<省略>

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

理由

本件各控訴の趣意は、被告人甲に関しては、弁護人倉田哲治、同尾嵜裕、同野田政仁、同西徹夫共同名義の控訴趣意書及び弁護人小堀秀行、同押野毅共同名義の控訴趣意書補充書、同(二)並びに被告人甲名義の控訴趣意書、同補充書記載のとおり、これに対する答弁は、検察官川又敬治名義の答弁書記載のとおり、被告人丙に関しては、検察官今岡一容名義の控訴趣意書記載のとおり、これに対する答弁は、弁護人黒田勇名義の答弁書(第一部ないし第四部)及び同浦崎威、同近藤光玉、同大坪健共同名義の答弁書並びに被告人丙名義の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

(なお、説明の便宜上、原判決にならって、以下の記述については、事件名、関係者名、関係場所等については別紙一の「略語例」により、証拠の引用については別紙二の「証拠の引用例」に従うこととし、年月日を示す場合には「昭和五五年」については原則としてその記載を省略することとする。)

第一  本件公訴事実及び原判決の内容

一  本件公訴事実の要旨

本件公訴事実の要旨(昭和六〇年四月一五日[原審第一二七回公判]訴因変更後のもの)は、次のとおりである。

「被告人両名は共謀し、いずれも、女性を誘拐して殺害したうえ、その近親者からみのしろ金を交付させようと企て、

1

(一)  被拐取者の安否を憂慮する近親者の憂慮に乗じて、みのしろ金を交付させる目的で、昭和五五年二月二三日午後七時一五分過ぎころ、富山市明輪町<番地略>株式会社ステーションデパート二階アクセサリー売場において、A(当時一八年)に対し、『暇そうですね、私も時間があるんだけどお茶でも飲もうか。』『遅くなったら送ってあげるから食事に行こう。』などと甘言を弄して、同女を同市豊田<番地略>株式会社レストラン『銀鱗』豊田店に誘い出したうえ、更に『どうせ通り道だからちょっと事務所に寄ってみようか。』など言葉巧みに申し向け、同所から同市清水町<番地略>所在の被告人両名の共同経営にかかる『北陸企画』事務所に連行して自己の支配下に置き、もって同女を誘拐し

(二)  同月二五日深夜、岐阜県吉城郡<番地略>所在ドライブイン『すごう峠』前駐車場に停止中の普通乗用自動車内で、甲において、睡眠中の前記Aの頸部に腰紐を二重に巻き付けて緊縛し、よって同女をその場で窒息死させて殺害し

(三)  右殺害の直後ころ、甲において、前記Aの死体を同所からZ助手席に乗せたまま同町<番地略>付近まで運搬し、そのころ同所付近の川渕に投棄してこれを遺棄し

2

(一)  前同様の手段方法で、近親者からみのしろ金を交付させる目的で、昭和五五年三月五日午後六時過ぎころ、長野市<番地略>路上において、B(当時二〇年)に対し、『時間があったらお茶でも付き合ってくれませんか。』などと声を掛け、更に『郊外のレストランで食事をしませんか。車があるから車で行きましょう。』などと言葉巧みに申し向け、同女を同市<番地略>所在のホテル『日興』まで同行して甲が運転する普通乗用自動車に同乗させたうえ、同所から松本市方向に走行して自己の支配下に置き、もって同女を誘拐し

(二)  同月六日早朝、長野県<番地略>先林道弘法線に停止中の前記自動車内で、甲において、睡眠中の前記Bの頸部に腰紐を巻き付けて緊縛し、よって同女をその場で窒息死させて殺害し

(三)  右殺害後、甲において、前記Bの死体を同所付近の前記林道西側崖下の山林に投棄してこれを遺棄し

(四)  同日午後七時過ぎころから翌七日午後一〇時ころまでの間、前後七回にわたり、埼玉県内の公衆電話等から長野市内の前記Bの父であるB2方ほかに電話をかけ、父B2や姉B3に対し、『娘さんを預かっている。明日一〇時に長野駅の待合室に三〇〇〇万円持って来い。』『こっちで言った金額はいつできる。二〇〇〇万円でもよい。』などと申し向け、もって、右Bの安否を憂慮する近親者の憂慮に乗じてその財物を要求し

た、というものである。

(なお、訴因変更前における公訴事実は、各殺害行為は丙の実行、各死体遺棄は甲及び丙両名の共同実行とするものであった。)

二  原判決の事実認定及びその理由の骨子

本件各公訴事実について、検察官は、実行行為を担当したのは、いずれも甲単独であり、丙は共謀共同正犯として犯行に加担したものであると主張するのに対し、原審公判における各被告人の言い分は、甲において、Aに対する誘拐殺人等の事実(前記一の1の各事実、以下「富山事件」という。)は、丙単独の犯行で甲は全く関与しておらず、Bに対する事実(前記一の2の各事実、以下「長野事件」という。)は、いずれも丙と共謀のうえ、誘拐及びみのしろ金要求は甲自身が担当したが、殺人の実行は丙が行い、その後甲及び丙の両名が共同で死体を遺棄したものである旨弁明(なお、甲は当審において、富山事件については丙との共謀に基づいて自らがAを誘拐し、丙が同女を殺害したものであり、長野事件についても丙との共謀に基づいて自らがAを誘拐し、単独で同女を殺害し死体を遺棄した、と主張を改めた。)し、丙においては、共謀の点を含めて全面的に事実を否認するところである。

これに対し原判決は、全事件を通じて丙の実行分担はもちろん共謀の事実も認められないとし、すべては甲の単独犯行として、丙の共謀加担の点を除き、本件各公訴事実とほぼ同旨の原判示の各犯罪事実を認定したうえ、甲に対して死刑を科し、丙に対しては無罪の言渡しをしたものであるが、その理由の骨子は以下のとおりである。

すなわち、原判決は、取り調べた関係各証拠を総合すれば、大略、次のように認定判断されるというのである。

1  本件各犯行に至る経緯

甲は、一挙に大金を手に入れたいという思いに駆られて、その方策として保険金殺人を試みて失敗したのち、みのしろ金目的の誘拐殺人を企み、昭和五五年二月上旬には、その計画実行のため金沢市内に出掛けたりしたが、適当な相手が見付からないで実行するには至らなかったが、引き続きその犯行計画を断念しないまま機会を窺っていた。

2  富山事件

(一) 誘拐罪の成立

甲は、同年二月二三日夜、帰宅途中のAと接触し、以後殺害が行われた二五日深夜までAは甲及び丙両名の共同経営にかかる「北陸企画」に滞在するか甲の運転するZで出掛けていたもので、その間Aが二度にわたって母親にかけた電話の内容と甲がA方にみのしろ金要求の準備行為とみられる電話をかけた事実にも照らすと、甲においては、そのころまでに漸次具体化していったみのしろ金目的の誘拐殺人計画に基づきAを欺いて自己の支配下に置いたことに間違いがなく、甲についての誘拐罪の成立は免れ難い。

(二) 同事件に関する甲の正犯性

甲は、二月二五日夕刻、AをZに同乗させて「北陸企画」を出発し、岐阜県下の数河高原の喫茶店に立ち寄り、午後九時三〇分ころ同店をあとにしているが、その後間もなくその付近地点のZの車中でAは殺害されたこと、甲は、逮捕後の現場引き当たり捜査の際、死体遺棄場所を正確に指示したこと、甲は、二月二六日Aの遺留品を処分し、翌二七日にはA方にみのしろ金要求の電話をかけていること等に照らせば、Aの殺害等は甲の犯行計画の一環として敢行されたものであり、その犯行の際に甲が現場に臨場していたことが認められる。

(三) 殺人、死体遺棄罪に関する甲の実行正犯性

Aの殺害、死体遺棄の具体的態様からみれば、その犯行は女性である甲単独でも十分実行可能なものであり、一方で甲が、捜査段階で、バンを運転してきた丙と数河高原付近で合流し、丙がAを殺害し、死体は二人で投棄した旨供述する点は、そのバンの燃費、期間内のガソリン使用量及び総走行距離に基づいて検討すれば、二月二五日深夜に丙が富山県の自宅から岐阜県の死体遺棄現場まで往復した可能性は否定されるばかりでなく、甲の捜査段階での供述は、事前謀議状況として説明するところと齟齬していて不自然であるのに対し、右犯行が行われたはずの時間帯には自宅にとどまっていたという丙の弁解に破綻はなく、その他丙以外の第三者が犯行に関与した形跡も窺えない以上、前記誘拐だけでなく、殺害、死体遺棄についても甲が単独で実行したものと断定することができる。

3  長野事件

(一) 同事件に関する甲の正犯性

甲は、誘拐殺人の方法でみのしろ金を得る目的で、三月三日富山を出発し、同月五日長野市においてBを誘拐したのち、長野県内の県道更埴明科線矢越トンネル付近に連行し、同女に睡眠薬を飲ませたこと、その後同女が絞殺、投棄されるまで共にいたと認められること、Bの近親者に甲がみのしろ金要求電話をかけたことは、甲の自認する事実で証拠上明らかである。

(二) 殺人、死体遺棄罪に関する甲の実行正犯性

熟睡中のBを絞殺して崖下に投棄することは、甲一人でも実行可能である。

甲の捜査段階での供述によれば、三月六日午前一時から二時の間に、長野市内のホテル「日興」を抜け出してきた丙と矢越トンネル付近で合流して、丙が殺害を実行し、二人で死体を投棄したというのであるが、丙が、当日午前零時五五分までは同ホテル内でテレビを視聴しており、同六時三〇分にはそのホテルに所在していたことは証拠上否定し難いところで、丙がテレビを見終わってから前記合流時刻に間に合ったというのは、相当に非現実的であり、厳寒時期に同ホテルから約六四キロメートルも離れた山中で合流しようとしたにしては、不自然な状況が随所にみられ、甲が公判途中から新たに行った、丙がアリバイ工作のため盗難車にポータブルテレビを積み込んで視聴していたという供述とともに、到底信用するに足りないところで、丙がBの殺害等の実行行為に関与していないことに疑いはなく、他に第三者が実行した可能性もないのであるから、長野事件についての甲の実行正犯性は優に肯定される。

4  本件両事件について甲及び丙両名の共謀を認定しなかった理由

丙の共謀は、全事件に関して証拠上これを認めることはできず、その理由の要旨は、以下のとおりである。

(一) 甲供述の信用性について

甲供述は、捜査段階から公判段階に至るまでその内容が色々に変遷しているが、前述のように、富山、長野両事件を通じて犯罪の実行行為を甲が単独で行ったという証拠上明らかな事実についても、殺害等の実行行為者を丙と名指しして自己の実行正犯性を否定する供述部分が、まさに刑責を他に押し付けようとする共犯者の虚偽自白の危険性が一部現実化した場合で到底信用することができないというだけにとどまらず、丙との共謀を肯定する供述部分についても、特に信用性を付与すべき事情を見いだせないばかりでなく、その供述内容と変遷過程を眺めると、捜査時における甲供述は、最終的に丙に刑責を押し付ける供述を開始する以前における供述状況自体既に極めて不自然であり、また共謀に関する供述内容にも看過し難い不合理な点があって、結局は、甲の捜査段階での供述は全体として、取調官の心証を考慮しつつ自己の供述を巧みに操作し、責任の転嫁、軽減を図ろうとする意思に支配されたものである疑いが極めて濃厚であり、甲は、事件後ほどない時期から、極刑も予想される本件犯行の実行責任を丙に転嫁させようと考えていたと解され、ひいては、情を知らない丙を利用し、自己の刑責を免れる意図の下に、甲が事前の下見や各犯行の前後に丙を伴って行動したとする丙の主張も現実的可能性があるものといわざるを得ない。

したがって、甲供述は、公判段階、捜査段階いずれのものかを問わず、全事件について丙の有罪認定の証拠として用いるに足るだけの信用性は認められない。

(二) 間接事実について

甲供述に対する右評価を前提に、丙の捜査段階での自白を除外した他の客観的証拠と丙が公判で自認する限りの事実に基づいて、丙の本件各犯行における共謀共同正犯の認定に関わる間接事実について検討するに、検察官が丙の犯行関与を窺わせる状況として指摘する事情のうち、甲及び丙両名の間に、甲が本件各犯行の意図を丙に秘匿するはずはないといったような一心同体の関係があったとは認められず、また、丙には犯行動機になるような差し迫った経済的窮迫状態があったともいえず、本件犯行前における甲の保険金殺人計画などに参画していたことを客観的証拠によって裏付けることはできず、本件各犯行自体についても、富山事件において、事前共謀、誘拐後の甲との連絡内容、丙とAとの接触等検察官が指摘する事項は、信用性に欠ける甲供述に無批判に依拠するものが大半で真実性に乏しく、長野事件においても同様であって、結局、丙の共謀を指し示す間接事実として挙げることができる状況は、僅かに、富山事件について、甲及び丙が共同経営の事業に使っていた「北陸企画」が誘拐場所に使用されたこと、誘拐後甲から丙に何らかの電話連絡が取られたこと、長野事件については、誘拐目的での甲の長野行きに丙が同行し、行動を共にしていたことに尽きるといわざるを得ないが、甲が情を知らない丙の利用価値を認めていた可能性も疑われる本件において、これだけでは丙の共謀による関与を推認することはできない。

(三) 丙自白の信用性について

丙は、富山、長野両事件について、いずれも捜査段階での自白調書が作成されているが、その供述過程は全体的に否認と自白との動揺の跡が歴然としており、また、否認から自白に転ずる契機として、事実に反し自分が殺害行為に及んだことまで供述するなど自白状況は著しく不安定であり、その自白内容をみても、秘密の暴露に該当するような供述部分は見当たらないばかりか、共犯関係があったにしては不自然、不合理な状況を述べる部分が随所にあり、真実共謀して犯行に加担していたとするならば体験、記憶していて当然と思える事項についての供述が欠如し、共謀を疑わせる客観的事実に対しても何らその疑問を解消させるに足る説明が加えられていないことなど、その不自然性は相当明白であり、更に、自白内容の変遷状況も、謀議の本体部分についての変遷が少なからず存在するのに、その修正理由が明らかにされないなど、体験供述性に疑問を抱かせる。

検察官は、丙の自白に至る経過に徴し、丙が真摯な反省悔悟の情に基づいて真実を自白したものというが、その供述状況をつぶさにたどると、丙は、愛人関係にあった甲が金目当てに重罪を犯したのに、自分もその間行動を共にしていたり、その利得は自分にも還元される可能性があったことなどから、甲や世間に対する心理的負担(男の責任)を感じ、取調過程でこれに耐えきれなくなって不利益事実を承認するに至った疑いが濃厚で、その自白内容は、具体的に真実性を担保する状況的保障に乏しく、丙自白の信用性を肯定することは困難である。

なお、丙の原審公判での弁解も、その具体的内容を証拠によって積極的に肯定することまではできないが、これを虚構のものとして一概に排斥もできない事情も窺われる。

以上のとおり、本件各犯行について丙の共謀による加担は証明されず、本件公訴事実全部につき丙は無罪である。

第二  各控訴趣意の論旨の概要

右原判決の認定判断に対する各控訴趣意の論旨の概要は次のとおりである。

一  甲関係

1  甲本人(弁護人小堀等の控訴趣意補充分を含む)

本件各犯行は、いずれも甲及び丙の両名が共謀し、丙が主導して敢行したものであって、両事件とも誘拐、あるいはみのしろ金要求は甲が担当し、長野事件での殺害、死体遺棄も甲単独で実行したものであるが、富山事件での殺害、死体遺棄は丙が実行したものであり、甲は直接は関与してない(事実誤認)。

(なお、弁護人小堀等共同名義の控訴趣意補充書、同(二)は、甲本人の控訴趣意の内容を付加補足するものである。)

2  弁護人倉田等

(一) 事実誤認(犯罪事実に関し)の主張

本件各犯行において、丙は少なくとも、共謀共同正犯の限りで関与しているのに、これをすべて甲の単独犯行と認定した原判決は、以下の各点において事実を誤認している。

すなわち、検察官が甲及び丙両名の間には共同して本件各犯行を行って当然と考えられる一心同体の関係があったとする主張は、むしろ常識に根拠をおいたもので有力であり、また、甲が丙に対して心身共に捧げ尽くす愛情を抱いていたのは事実であるのに、簡単にその一心同体論を排斥した原判決は、丙の弁解に耳を傾け過ぎた誤りがある。

また、原判決は、丙の自白の原因が、捜査官から丙に対し、いわゆる「男の責任」を取らなければならないといった形での不当な追及がなされたために、やむなく自白するに至ったものと考えられるとしているが、捜査の実情として仮説を立てての追及や心情に訴えての説得は日常的なもので、あえて異とするほどのものでもないのであって、丙が道義的責任を引き受けるつもりだけで事実に反した刑責を肯認する自白をしたとは思えない。

次に、原判決は、本件各犯行に先立ち甲が実行しようとして失敗した保険金殺人事件(D事件)を富山、長野両事件とは連続しない別事件としたうえ、丙はこれに無関係と判断するが、双方事件の類似性と関連性は否定し難く、しかも丙が、同事件については富山、長野両事件とは違って捜査当初の時点で進んで自白し、以後捜査段階を通じて一貫してこれが維持されていたということからすると、その信用性を排除するのは難しく、少なくとも一部にせよ丙が同事件に関与していたということになれば、これに続く本件各犯行につき丙が全く情を知らなかったということはあり得ないのであって、丙の共同加功の事実は明らかである。

更に、原判決は、富山事件において甲がAを誘拐した事実を認定しているが、証拠上推認される事実関係からすると、甲が二月二三日夜Aを「北陸企画」に連行してから同月二五日深夜殺害に至るまで、Aが一人同所に放置されていた時間帯も相当にあり、二度にわたって母親(A3)に電話する余裕さえあって、同女が逃亡し救助を求めようとすれば容易であったはずであるから、その間甲がAを継続してその支配下に置いていたことには疑問があり、そこには誘拐というにそぐわない支配の断続がある。

原判決はまた、甲が高価なZを欲しがって買い入れ、その代金支払いのために負担した借金返済等に窮したことが本件各犯行の動機になったと認定しているが、その購入の経緯や代金支払いの状況からすれば、甲がZを欲しがったにせよ、Zは、丙の名義と計算の下に購入したものとみるべきものであって、これをあえて甲一人でZを購入したとする原判決の認定は、甲の単独犯行が動機面で符節が合うように事実を歪曲したものである。

(二) 心神耗弱の主張

甲は知能指数が高く、原判決がいうように犯行時点においても責任転嫁をもくろんで冷静な打算をすることができる奸智にたけた女であったとするには、本件各犯行自体が、極めて杜撰かつ発作的、衝動的としかいいようがない無計画性が目立ち、その間の落差は、甲が原審公判中にしばしば挿間性の異常状態を繰り返した事実とも相まって、甲が犯行時において心神耗弱状態にあったことを疑わせるものであって、既に記録中に存在する甲の精神鑑定書(昭和五八年二月一七日付け遠藤正臣医師作成)のほかに改めて専門医による慎重な診断によってその精神状態が明らかにされなければならず、このような甲の症状を無視して正常と判断をしている原判決には、重大な事実誤認がある。

(三) 量刑不当の主張

本件各犯行については、十分解明されていない点が多いが、たとえ、甲の刑責は免れ難いものとしても、同女を死刑に処するというのは、現在先進文明国といわれる国のほとんどが死刑を廃止し、それが世界の潮流にもなっているとき、過酷であり不当というべきである。

二  丙関係

検察官(事実誤認の主張)

本件各犯行について、丙が甲と共謀して犯行に及んだことは証拠上明白であるのにこれを認定せず丙を無罪とした原判決は、証拠の価値判断を誤って事実を誤認したもので、破棄を免れない。その主張の要旨は次のとおりである。

(一)  甲供述の信用性について

原判決は、甲供述は全体的に作為された疑いが濃く、「責任転嫁」のための布石ともいうべき問題供述がみられるほか、「情を知らない丙の利用」を疑わせる内容のもので、丙共謀の根拠としての証拠価値はないとするが、原判決がいう「責任転嫁」のための布石とは、最終的には丙に責任を転嫁しようとさえするような甲が、それ以前に丙をかばう供述をするはずはないという認識に立つ原裁判所が、甲の供述変遷の理由を説明するために考え付いた一つの仮説であって、本件各犯行の実態や甲の具体的供述状況もしくは意図と合致するものではない。

甲は、一方では両事件を通じて粗漏ともいうべき面も示しており、それが、将来の逮捕、取調べを予期し、前もって丙への責任転嫁を密かに企図していたというのは現実味に乏しいと考えられるばかりでなく、取調べ当初から端的に転嫁供述をするというのではなく、あらかじめ複雑な供述の方策を立てて、取調官の追及を受けながら、企図していたとおりの責任転嫁を図ったというのは全く非現実的であり、同じく「情を知らない丙の利用」という考え方も、およそ常識に反する想定といわなければならない。

甲の捜査段階での各供述中、「丙との共謀による甲実行」の供述は、その供述に至る過程に原判決が問題とするような不自然、不合理な点はなく、多くの間接事実に照らしても合理的な内容のもので信用するに足るものと認められ、甲がのちに丙への責任転嫁の供述を行ったことによって右供述部分の信用性までを否定することはできない。

(二)  間接事実について

原判決は、本件両事件に関しては、丙の共謀を指し示す多くの間接事実があるのに、これらを証拠上認め難いとし、あるいは甲に情を知らない丙を利用しようとした可能性があるとして消極的判断をしたりしているが、客観的証拠や甲及び丙の原審公判供述中争いがないものによって認定できる多くの間接事実によれば、丙が、一心同体の関係にある甲共々犯行による利益を受ける意図の下に情を知って各犯行に加担したことは十分に認定できる。

たとえば、本件各犯行に先立っては、前記D事件への加功、金沢における誘拐計画への四日連続しての参加が認められ、富山事件については、丙は甲と犯行前日ホテル「プラザ」に同宿し、犯行当日には喫茶店「小枝」で同席し、その後間もなく甲がAを誘拐し、甲及び丙の共同生活の拠点ともいうべき「北陸企画」に連れ込み三日間にわたって同女をそこに留め置いたこと、その間、A誘拐直後ころと殺害の直前ころに丙に電話していること、Aの母親に対する電話の内容等からすると、丙は同事務所においてAと会っていると認められること、更に、事件直後の二月二六日午前Aの親族の訪問を受けたのち、午後丙が甲に代わってAの両親らと対応したが、その際丙は、異常に興奮して警戒的態度を示すなど甚だ不自然な言動に及んだこと、その後も丙は、誰からもその疑いを掛けられてもいないのに、ことさら「誘拐犯人に間違われた」などと自分から周囲のものに話すなど奇妙な態度を取っていることなどが認められ、長野事件については、丙は甲と一緒に富山を出発し、その後甲が事件を遂行して富山に戻るまでの間終始甲と行動を共にしていたこと、その間に二人が宿泊した長野市内のホテル「志賀」の紐がBの殺害に使われたこと、丙は甲の殺害現場の下見にも同行し、「日興」では偽名で一名分の宿泊予約をし、犯行途中の甲からの電話を受け、B殺害後、わざとらしい方法で「日興」と別の場所で合流したこと、その後甲がみのしろ金要求電話をしている間も同行し、みのしろ金の指定持参場所である高崎駅にも甲と共に現れていることなどが認められるのである。

以上の間接事実は、個別的にみても甲との共謀を推認させるものであるが、これらを全体的に検討すれば、より一層その推認は強まるものである。

原判決は、「情を知らない丙の利用」ということをいうが、甲が本件のような重大犯罪を行いながら、他方でその犯行意図を隠して丙を欺き、将来の責任転嫁を企図して丙を利用するというようなことが、可能性としてあり得ないことは本件における間接事実から明らかというべきである。

(三)  丙自白の信用性について

原判決は、丙自白は供述過程、内容に照らして不自然、不合理であり、丙がそのような自白を行うに至ったのは、甲に対する心理的負い目に動機付けられた道義的責任を承認する趣旨でなされた虚偽のものである疑いが強いとして、その信用性を否定するのであるが、その判断は単なる推論にとどまり、実態に即したものとはいえない。

丙の自白状況をみると、丙は、本件両事件の取調べを通じてただ一日だけ殺害実行を認める供述をした以外は、どのように追及されても事前共謀の程度でしか自白はしていないばかりか、追及に反発して否認に転ずるなど取調べに対する抵抗姿勢も窺われるほか、特に富山での取調べ中にはたびたび弁護人と接見し、その際再三にわたって弁護人から真実を述べるよう助言も受けていたというのであるから、原判決がいうように道義的責任から虚偽の自白をするとは考えられない。

また、原判決は、丙が刑罰について著しい誤認をしていたというのであるが、明らかに判断の誤りで、これを自白の信用性の評価で重視しているのは不当である。

丙自白は、その直後に一度ならず否認に転ずるなど自白状況が不安定なきらいはあるが、その変遷の理由はいずれも理解可能なもので、自白に至る経緯は自然であって、内容的にも多くの間接事実に照らして合理的であり、秘密の暴露もしくはこれと同視すべき供述も含んでおり、原判決が供述の変遷とする供述の中には変遷とは認め難いものもあるなど、原判決の指摘は、いずれにしてもその自白の信用性を失わせるほどのものではないのであって、丙自白は十分に信用することができる。

(四)  丙の公判弁解の虚構性

原判決は、丙が原審公判で主張した二つの弁解につき、これを客観的に裏付ける証拠はなく、かつ、その弁解内容をなす話がいずれも虚偽であることまでも認めながら、問題は丙がそれを誤信したかどうかにあるとして、各弁解を一概に排斥することはできないというのであるが、各弁解の真偽をただすためには、甲がそのような内容虚偽の話をしたことがあるかどうかこそ前提にすべきところ、いずれにしても、その弁解に出てきた話というのは極めて漠然としたとりとめもないもので具体性も現実性もなく、まともな話として納得できるはずもないものであって、丙が仮にそのような話を聞かされたとしてもこれを信用したとは到底考えられない。

甲にしてみても、丙に本件各犯行を秘匿しようとするのであれば、当初から丙を除外して事を運べばいいことであって、それを重大犯罪を遂行しながら、他方でそのように信じ難い架空話を丙に繰り返し聞かせていたということがあり得るとは思えず、それは現実にも不可能というべきである。

そもそも甲及び丙両名の密接な男女関係からいえば、甲がそのような内容の虚言を丙に弄する必要はなく、丙が甲から各弁解にいうような話を聞かされていたこと自体が措信できない。

更に、丙がいうところの金沢の土地の弁解が事実だとすれば、富山事件直後にAの両親と応対した際には、当然それが説明されていいはずであるのに何らその説明がなされず、その後の取調べにもその主張が行われず、政治資金の弁解にしても、取調べ当初はその主張がなされなかったうえ、逮捕後の弁解でもその「政治資金」という説明は全くされていないなど、捜査段階と公判段階の各弁解の間には軽視し難い相違点があることからしても、各弁解は措信できないものである。

第三  当裁判所の判断

一  はじめに

以上の本件各控訴の所論(なお、以下「所論」という場合は、検察官の主張を示し、甲本人並びに甲及び丙の各弁護人の主張はその旨を明示することとする。)にかんがみ、当裁判所は、記録を調査し、当審での事実取調べの結果にも徴して検討していくこととするが、甲に関する控訴趣意としては、まず、甲本人は、原審公判における従前の主張、すなわち、丙が本件各犯行の共謀に加わっていたということのほかに、殺害行為はいずれも丙が単独で実行したもので甲は関与していなかったとする言い分を大きく改め、前記第一の二記載のとおり、富山事件での殺害、死体遺棄を実行したのが丙であるとすることは同じだが、甲は丙と共謀してAを誘拐したものであり、長野事件では、丙と共謀のうえではあるが、殺害、死体遺棄等の実行行為はすべて甲が単独で行ったものである旨自認するに至り、これに対し、甲の弁護人倉田等においては、甲が単独で殺害行為に及んだという事実自体を否認することまではせず、要するに、丙も甲との共謀共同正犯として本件各犯行に関与している旨の主張をするにとどまるもので、これは、本件において丙の共謀事実について犯罪の証明がないとして無罪を言い渡した原判決の事実認定を争う検察官の控訴趣意と論旨を共通にするものといえるのであるから、当裁判所の判断としても、右控訴趣旨及び原判決の認定の順序に従い、最初に、甲本人の実行正犯性(原判決の用語例に従う。)の有無とその内容に関する論旨の当否について考察し、その後に、甲の弁護人倉田等及び丙に関する検察官の共通の論旨である丙の本件各犯行における共謀共同正犯の成否を案ずることとし、更に、甲の弁護人倉田等のその余の論旨(心神耗弱や量刑不当の各主張)について順次検討を行うものとする。

二  当裁判所の判断の概要(量刑不当の主張の分を除く)

当裁判所が、原、当審において取り調べた関係各証拠を総合して原判決の事実認定の当否及び所論の主張に対して検討した結果の概要は、次のとおりである。

まず、原判決がその理由の第一部として判示する、甲に対するみのしろ金拐取、殺人、死体遺棄、拐取者みのしろ金要求被告事件における実行行為部分(丙との共謀の点を除き)についての事実認定、つまり、本件両事件(富山、長野)とも甲が単独で誘拐、殺害、死体遺棄等の実行に及んだとする判断は、犯行に至る経緯、殺害動機の形成過程、誘拐の態様、被害者Aの母親との電話内容の分析、理解等の諸点で若干の修正や補足すべき余地がないわけではないが、結局は、本件両事件を通じて、甲には、みのしろ金目的で婦女の殺害を含む犯行動機を形成するに十分な背景事情が存在したこと、本件以前に人の命を代償に大金を手に入れようと図った事実があったこと、それぞれの事件当時において甲が誘拐殺人等の犯行計画を抱いていたこと、前記Aが「北陸企画」に家族に無断で連泊したのは甲の甘言に欺かれたものと推認されること、両事件とも被害者の家族に対するみのしろ金要求の電話は、専ら甲一人でかけていること、各被害者はいずれも睡眠薬を服用しており甲が携行していた腰紐で絞殺されていること、それぞれの死亡推定時刻に極めて近接して甲が各被害者と行動を共にしているのが目撃されていること、各殺害場所を厳密に特定することは困難であるが、少なくとも各被害者の死体はその至近距離範囲内に犯人によって遺棄されたと推認されるところ、前記Aの死体遺棄現場は一見惑わされやすい地点であるのに甲はその現場を正確に指示したこと、Aの遺留品は甲が投棄処分したと指示した場所から発見されたこと、本件両事件とも、丙がその殺害行為を含め犯罪の実行部分に関与した形跡は全くなく、また、その殺害実行の推定時刻を中心に、丙のその当時の所在場所や行動と犯行現場までの道程、距離、所要時間(各自動車使用の場合を含め)等、更には、当該自動車の燃費と走行距離との関連等から推定して、長野事件については丙のアリバイが成り立ち、富山事件についても丙が殺害現場に赴いて犯行に及んだ可能性がないこと、本件両事件において丙以外の人物が関与、実行した可能性も考えられないこと等が認定できるものとし、この認定に抵触する甲の公判弁解や一部証言の信用性を排斥したうえ、本件各犯行は甲が単独で実行することが可能であり、それぞれの殺害、死体遺棄の現場には甲が臨場していたと認められるのに、丙及びその他の人物の実行関与が全く窺えないことからすると、これらはいずれも、甲単独の実行による犯行と認められるとした原判決の判断は、当裁判所としても正当として肯認することができる。(なお、甲が当審において、丙との共謀に基づいて、富山事件については自らAを誘拐し、長野事件についてはBの殺害、死体遺棄を甲が単独で実行したものである旨を改めて自認するに至ったことは、前述のとおりである。)

次いで、本件各犯行の殺害等の実行行為は甲が単独で敢行したものという原判決第一部の事実認定を踏まえ、更に、検察官が主張するとおり丙がこれに共謀共同正犯として加担していたかどうかの点に関し、原判決がその理由の第二部として丙の同罪名の被告事件について判示する事実認定については、まず、甲の捜査、公判の各段階を通じて様々に変遷している供述は、それ自体不自然、不合理な内容のものであるだけでなく、全体的に作為されたものである疑いが強く、本件各犯行に際して情を知らない丙を甲が利用した可能性さえも推察されることから、これでもって丙の共謀を根拠付けるに足りないとした原判決の判断は、その甲の作為内容や丙の利用の仕方についての推論をそのまま受け入れることはできないものの、甲が自分の罪責を免れる目的で意図的な作為供述をした疑いが極めて大きいとする点では賛同できる。また、甲供述を除く他の客観的証拠や争いがない事実から認定できる関連の間接事実についても、一部で原判決の認定や評価が食い違うところもないわけではないが、総体的にみて、そのいずれも甲及び丙両名の共謀の存在を指し示す情況としての価値に乏しいばかりか、かえって消極的認定の資料として位置付けるのが相当なものもある。最後に、本件各犯行での甲との共謀を認めた丙の自白は、その供述内容に不自然、不合理な点が多々あるうえ、供述過程には動揺、変遷が著しいのにその修正理由が語られていないなど体験供述性にも欠け、結局は、甲や世間に対する心理的負担が高じた道義的責任感からあえて虚偽の不利益事実を承認するに至った疑いがあるとしてその信用性を否定し、同時に丙の原審公判での弁解も、その真実性が積極的に認定されないまでも、あながち排斥もしきれないとした原判決の判断も、その自白の動機が単に道義的責任感によるものだけにとどまらないと考えられはするものの、結論的には納得がいくものである。

以上総合的に関係各証拠を検討した結果、丙に対しては、本件両事件につき、単に殺害等の実行行為部分の犯行に加担しなかったというだけでなく、共謀の限度で関与したということも証拠上明らかでないと認めて無罪を言い渡した原判決の事実認定に誤りはなく、当審における事実取調べの結果を併せ参酌してもその結論は変わらない。

もっとも、結局、甲の単独犯行と認められる本件各犯行に至る経緯、動機ないし犯罪計画の形成過程やその内容、誘拐の態様などについては、原判決の理由説明の部分も含めて対比すると、当裁判所が認める事実関係とは厳密には一致しない部分もあり、また、事実認定の過程、特に甲及び丙両名の供述の信用性を検討するための補助的事実といえる点でも、原判決と思考方法や推論の内容に食違いがないでもないが、これらの相違は、いまだ控訴理由としての事実誤認の対象となる犯罪事実等の認定に誤りをもたらすものではない。

なお、甲について心神耗弱をいう所論の主張は容れられない。

三  本件両事件における甲の実行正犯性について

そこで以下に、原判決の事実認定についての検討を行うこととするが、判断順序としては、原判決が、その理由の第一部として、まず甲が本件各犯行を単独で実行したかどうか、すなわち実行正犯性について認定したのち、それが丙との共謀による犯行であったかどうかを改めて第二部で考察するという構成によっていることに合わせ、当審においても原則的にその順序に従って判断することとする。

1  本件各犯行に至る経緯

原判決は、甲が本件の富山事件における誘拐行為に着手するまでの背景事情、動機形成の過程、犯行計画やその行動等を、その理由中の第一部冒頭及び「事実認定についての説明」の第二の一(五五頁〜六七頁)のとおり認定判示するのであるが、その概略は次のとおりである。すなわち、

甲は、昭和四四年八月ころCと結婚、長男C2をもうけたが、同四九年八月ころ協議離婚し、その後母甲2、C2と三人で暮らしているうち、同五二年九月ころ丙と知り合い、親しくなって情交関係を結び、丙には妻があることを知ってからも逆にその関係を深め、同五三年二月からは双方が共同出資して富山市清水町内に事務所を借りて「北陸企画」の名で贈答品販売業を始めた。そのうち「北陸企画」の経営が悪化し、甲の事業意欲も薄らいできていた同年一〇月ころ、顧客の生命保険外交員に頼まれ、結婚相談所を介して知り合ったDを説得し、同人を被保険者、受取人を甲として災害死亡時四〇〇〇万円の生命保険に加入させていたところ、やがてDを殺害して右多額の保険金を手に入れようと考えるに至った。甲は念のため、更にDに働き掛けて翌五四年三月ころ別途災害死亡時五〇〇〇万円の生命保険に前同様受取人を甲として加入させたうえ同人を殺害する機会を窺っていた。結局これは、同年五月ころ二回にわたってDを山菜採りの名目で山中に誘い崖下に突き落とそうと企んだが、適当な場所が見当たらなくて実行に至らず、続いて同年八月ころ、今度は知人の女性の協力も得てDを乱交パーティーの予行ということで海岸に誘い出し、クロロホルムを吸引させたうえ海中に引き入れて溺死させようとしたが、薬の効果が得られなかったため失敗した。にもかかわらず、甲は直ちにDの保険金殺人計画を断念せず、その後にもDの保険掛金の半年分をまとめて払い込むなどして殺害の機会を窺っていた。一方甲は、手持ち金も逼迫し、前夫からの養育料の送金や母の収入以外に頼る術もない状態の中で、同年九月ころ丙と相談して代金二三〇万円余のスポーツカータイプのZを購入し、その資金は丙において他から借財をして調達してもらったが、その後も「北陸企画」からの収入が当てにできないまま金融機関、サラリーマン金融業者、知人等からの借金がかさみ、翌五五年二月下旬ころにはその総額は三〇〇万円近くに達していた。それらの借金は既に返済期日が到来し、あるいはその期日が迫っているなど甲にとって切実な状況にあったのに、返済のめどが全く立たず、そのうえ甲には、かねてから富山を離れて東京周辺に転居したいという年来の希望もあり、それらの資金として一度に大金を手に入れる必要があった。甲は、引き続き抱いていた保険金殺人計画の方はその後実行の機会を持たないでいるうち、同年一月中旬ごろまでに、それとは別に大金を獲得する手段としてみのしろ金目的による誘拐を思い付いたが、その願望は次第に具体化していき、同月末ころには、誘拐の対象は大人とし、そのときには顔を覚えられてしまうので、被誘拐者を殺害せざるを得ないと結論し、そのような計画を実現する意図の下に、二月六日ころから九日ころにかけて夜ごと丙に自動車を運転させて金沢まで出向いたがついに実行の機会はなかった。その後も甲は、二月一一日と一九日の二回、いずれも若い男性を誘って車に同乗させることに成功し、一時はその相手を誘拐の対象とすることを考えたりもしたが、逡巡する気持が勝って本気にならないまま終わった。

以上の事実関係及び経緯に徴すると、甲自身に関する事情として、経済的に収入の道もない中で一獲千金を狙って保険金殺人を計画して実行までしようとして失敗し、その後Zを購入したりしてますます資金難に陥ってみのしろ金目的の誘拐、殺人を思い付き、現実に誘拐場所の下見や相手の物色あるいは誘拐行為等を試みるなどして、次第に計画を具体化していった犯意形成の過程が一連の流れとして読み取れると同時に、富山事件直前において甲がその犯意を継続して持っていたことも認められるのであって、これらの事実関係については当事者間においてもほぼ争いがないとするのである。

そして、原判決が挙示する関係証拠を総合すれば、以上の認定事実を肯認するに十分であり、甲自身の原、当審公判における供述も、丙との共謀を前提にしたうえとはいえ、ほぼ同旨の事実関係を自認しているのであって、本件各犯行における甲の実行正犯性の有無を検討するため、甲だけの立場に限定した事実認定としてなら、原判決が掲記する前記事実関係に格別誤りはない。

もっとも、以上の認定事実で、甲の本件各犯行の計画というのが、最初から現実的に強い遂行意欲を伴った企みとして具体化していたとすることにはいささか疑問があり、計画の実行といっても、前記二人の若い男性を誘って車に同乗させてからのちの対応振りからも察せられるように、これをその後の殺人行為までも予定に入れた犯行計画の一環としての実行着手とはみなしにくいのであって、当時甲の思惑としてその種の計画を胸中に抱いていたにしても、それはいまだ現実的遂行意思を伴った具体的犯意というほどの内心状態にまでは高まっておらず、まずは誘拐対象者の物色や誘惑行為といったものは、いわば犯行の「瀬踏み行為」あるいは「試行錯誤」といっていい段階のものにとどまっていた可能性が高いと推認されるのであるが、原判示認定はその範囲の事実関係をも内包しているものとみることができる。

なお、前記の認定では、丙の存在や関わりについてほとんど触れるところがないが、同人との共謀の有無については別途検討することとした論述順序の都合上やむを得ないものであろう。

2  富山事件における誘拐罪の成立とその態様

甲は、当審公判において、それまで富山事件につき、昭和五五年二月二三日の午後丙の依頼でAを富山駅に代わりに迎えに行って「北陸企画」まで同伴し、丙との用件が終わるまでのつもりで同月二五日までその相手をしていたに過ぎないとしていた弁解を撤回し、改めてAを誘拐したことを自白するに至り、その限りでは、甲に対する誘拐罪の成否について細かく検討したうえでその成立を認めた原判決の判断(七八頁〜一〇一頁)は、既にその結論の正当性が裏付けられたものといえるのではあるが、なお甲の弁護人(倉田等)からは、甲がAを「北陸企画」に連行してからの取扱いには誘拐というのにそぐわないような支配の断続がみられるとの疑問が呈せられているので、その誘拐とされる事実関係の実態を再度吟味することにする。

(一) 二月二三日から二五日までの甲とAとの行動等

この点について原判決は、証拠により大略次のとおり認定判示するところであるが、当審としてもこれを肯認するに十分である。すなわち、

Aは、富山県婦負郡八尾町の自宅に両親、祖父等と共に住み、三月には同県立八尾高校を卒業して四月からは金沢調理専門学校に入学することが決まっていたところ、二月二三日は、同校の入寮手続きのため友人と一緒に金沢に赴き、買い物もしたりした後列車で帰途につき、午後七時ころ富山駅に到着し、自宅に電話して父A2に車での迎えを頼んだが断られたため、やむなく同駅午後七時五〇分発のバスで帰ることとし、友人からバス代として三〇〇円を借りて別れ、駅周辺で時間待ちをしていた。甲はそのAを見掛けて話し掛け、結局午後七時三〇分ころ同女を誘って同駅付近に停めていたZに同乗させてレストラン「銀鱗」豊田店に赴いて食事を共にし、午後九時三〇分ころには「北陸企画」に連れて行き、その夜は両名が同所に泊まった。翌二四日、Aは、午前七時四〇分ころ、同事務所から自宅の母A3に電話し、前夜帰宅しなかったことの理由を説明すると同時に、前から約束していたその日の「母と子の集い」という会合に出席するため車で送ってもらって午前八時四〇分に富山赤十字病院前で落ち合うことを確約した。しかるに、Aは、その待ち合わせ場所に赴かず、午前一〇時過ぎころには、甲とZで外出して富山市内の喫茶店「ドング」で食事をしたのち「北陸企画」に帰って来た。その後甲は、Aを一人同事務所に残して長男C2の授業参観に出席するためZでその小学校に赴いたが時間に遅れ、仕方なく市内で買い物などした後、午後四時ころ再び同事務所に出向いた。午後七時ころ、甲とAの両名はZに乗車して外出し、午後八時ころ、ドライブイン「キャニオン」に立ち寄って食事をしたが、甲が財布を忘れ、Aも持合わせがなくて飲食代金を借りることにし、甲は旧姓であるC3名義の借用書を店の経営者に渡し、午後一〇時前ころ「北陸企画」に戻り、その夜はA一人を同所に残して帰宅した。翌二五日は、甲は、午前中母親や子供とZで自宅を出発し、富山市内で用を足した後、いったん母親らを降ろして昼過ぎころ「北陸企画」に行った。一方Aからは、正午過ぎころ母A3の勤務先に電話がかかり、前日約束に反して帰宅しなかった理由や「北陸企画」というところにいるが、今日は必ず帰るとの意向を伝えてきたが、電話の最中に誰かが帰って来た気配があって急にその電話は切られた。「北陸企画」に出て来た甲は、Aに手巻き寿司を買い与えてから、一時Zで外出して母親らを自宅に送り届けたうえ、富山市内でZに給油し、夕方になってAをZに乗せて同所を出た。その後両名は、Zで市内を走り、午後六時から七時までの間に国道四一号線沿いのレストラン「まる三」でラーメンを食べ、更に、前日行った「キャニオン」に寄って借用していた飲食代金を支払い、午後八時過ぎころには、岐阜県内の通称数河高原にある喫茶店「エコー」に立ち寄り、午後九時三〇分ころに二人で同店を出ていったが、その後における動静は分からない。Aの自宅に二月二五日と二七日の二回、女性の声で不審な電話がかかり、時間、場所を指定した呼び出し内容に応じた家人がそのとおりに出向いたが、相手と接触はできなかった。その後Aの消息は不明なまま過ぎたが、三月六日になり、数河高原山中の町道戸市線脇の戸市川右岸において、頸部に腰紐が二重に強く巻かれたAの絞殺死体が発見された。

(二) Aが母親にかけた電話の内容等

以上のとおり、Aは、甲に誘われて「北陸企画」に連れて行かれてから二月二四日朝と二五日の昼ころの二回自宅や勤務先の母A3に電話をかけてきているところ、その電話内容というのは、本件誘拐の成否や実態、併せて丙の関与の有無等を確かめるのに、極めて重要な手掛かりを提供するものというべきものであって、原判決も七五頁〜七八頁において、その要点を摘記したうえAが帰宅しない理由等をそれによって分析推理してもいるのであるが、情況証拠としての重要性にかんがみ以下にその詳細を示すこととする(原審一五回ないし一七回及び当審二〇回のA3の各証言)。

(1) 二月二四日朝の電話の状況

「お母さん、夕べ帰らなくてごめんね。駅で女の人に声を掛けられ、アルバイトをしないかと誘われて話し込んでいるうちに終バスに乗り遅れ、勧められてその事務所に泊めてもらったのよ。」と無断外泊の理由を述べて謝ったうえ、当日母親と一緒に出席することを前から決めていた「母と子の集い」という会合へAも参加すべく、母親と午前八時四〇分に富山赤十字病院前で待ち合わせることにし、それまでに必ず送ってもらって行く旨を確約したが、Aは、時間に待ち合わせ場所に来ず、電話連絡もないままその夜も帰宅しなかった。

その電話の最中、電話口の近くに人の気配やドアの開閉の音とかは特に感じられなかった。

(2) 二月二五日昼過ぎころの電話の状況

Aより母親の勤務先に電話があり、何か明るく弾んだような声で「お母さん、今日会社に来とったんけ、夕べも帰れなくてごめん。」と言うので、母親が「二晩も、お母さん寝んと待っとったのに何しとるがね。」と言って怒ると、「女の人が、送ってやる、送ってやると言っておられたから、当てにして待っていたが、とても忙しそうにしていて約束の時間に間に合わなくなって諦めた。外は雨が降っていたし、ここは稲荷町で歩くと遠いので一人では帰れなかった。女の人から、社長さんがお酒を飲んだので今晩は送れなくなった、明日は必ず送ってあげる、一緒に行って話してあげるから、もう一晩ここに泊まられ、と言われた。」と説明し、今どこにいるかを聞くと、二、三秒して「ここ、『北陸企画』だよ。」と答え、電話番号を聞いたのに対しては、「ちょっと待ってね。」と言って電話を置いてどこかに行ったような感じで、三〇秒ぐらいも経ってから「電話番号、分からなかった。」と返事し、その女の人の年齢を聞くと、ためらわず「三〇過ぎの人だわ。」と答えながら、社長という人はいくつくらいかという質問に対しては、ちょっと間を置いて「三四か五くらいかね。」と考えるような答え方をした。更に母親が、「お母さん、二晩も寝ないで待っている気持ち分かるか。」と訴えたのに対し、「分かる、分かる、だから今日必ず送ってもらうし、女の人が、お母さんたちは何時なら都合がいいか聞いているのでどうか。何か、相談してあげると言うとられる。今日こそ間違いなく送ってやると言ってるけど、今、引っ越しですごく忙しそう。」などと答えたが、後半ころには帰宅を願う母親の涙声の懇願に対してAもめそめそ泣きながら応答していた。通話時間は一五分くらいと思えるが、急にAが、「あっ、帰って来られたわ。」と言うのに引き続き、「今、電話していたところよ。」と言う言葉が聞こえると同時に突然電話が切られた。それ以前のAの電話中に、女の人や社長という人物がそのそばにいた気配はしなかった。その後Aから家族への電話連絡はない。

(三) Aの処遇についての疑問と考察

甲は、原審公判段階においては、事前に面識があったAを、丙の依頼により代わりに富山駅まで迎えに行き、「北陸企画」に連れて来たうえ、丙の用事が済むまでと思って同女の相手をしていただけで、同女を騙して引き留めていたわけではないと弁解していたが、その弁解が到底容れられるものでないことは原判決(七八頁〜九五頁)が詳細説示するとおりであるところ、甲自身も、当審公判(二二回)において前言を翻し、現時点では、それは丙との共謀のうえとはしながら、Aはみのしろ金目的によって誘拐したものであり、そのためにはやがて同女を殺害することまでも意図していたことを自認するに至ったことは、前述のとおりである。

してみると、Aが二月二三日夜に甲の誘いに乗って「北陸企画」に連れて行かれてから二月二五日夜同事務所を甲とZで出掛けて最終的に殺害されるまで、甲による何らかの言辞に騙されて誤信に陥るなどして同事務所内にとどまり、あるいは甲の運転するZに同乗して外出同行していたものといえるのであって、甲の自白内容及びそのときの甲の前後の行動に照らし、これが甲があらかじめ抱いていたみのしろ金目的の誘拐構想の一環としての所為によるものであることはもはや疑いがない。

しかし、その間における甲のAに対する関係には、所論(弁護人倉田等)も指摘するように、一見誘拐というにはふさわしくないような処遇のあり方が散見され、誘拐罪の成否を案ずるとともに、丙との共謀の有無やA殺害の犯意がいつどのように形成されて行ったのかなどの犯行態様を知るためには、果たして甲がAをどのように欺き、どのように誤信させ、どの程度にその行動の自由を制約していたのかなど、その事実関係の具体的内容を可能な限り考察してみる必要がある。

(1) 疑問点

ところで、前記の原判決の認定事実とAの電話内容を、甲がいうようなみのしろ金目的の誘拐との関連で考察してみると、次のようないくつかの疑問点を挙げることができるのである。すなわち、

Aは二月二三日夜、自宅に帰宅のバス便まで連絡しておきながら、結局無断宿泊までする気になったのは、甲から一体どのような誘われ方をしたのであろうか。帰宅を断念するにしても、自宅の家族が心配することは分かりきっているはずであるのに、なぜその夜のうちに電話連絡をしなかったのだろうか。それは自らの判断によるのか、それとも甲から差し止められたのであろうか。それでも翌二四日朝には自宅の母親に電話しているのはなぜか。Aがその朝電話したときには甲は事務所内にいたものと思われるが、甲はAが自宅に連絡することを知りながらこれを許すなり黙認するなりしたのであろうか、それとも睡眠中などで知らなかったのだろうか。その際の電話でAは甲からアルバイト話で誘われたことを明らかにする一方、その朝母親と約束した会合に参加するため時間に間に合うように送ってもらうと伝えているが、無断外泊の契機になったというアルバイト話の方はどうなったのか。いずれにせよ、甲がその時点で、Aをみのしろ金目的で誘拐し、更にその殺害までも企図していたものだとすれば、Aが自宅に電話することでその犯行計画が破綻することが懸念されるはずで、そのような同女の行動に制約が加えられて当然に思えるがどうか。実際にはAは折角母親と固い待合わせの約束をしておきながらこれを反故にして帰宅しなかったのであるが、甲との間にどのようなやりとりがなされたのであろうか。その後甲はAを連れ出して食事をしたのち、昼前ころAを「北陸企画」に残して子供の授業参観に出掛け、午後四時ころに同所に戻って来て、Aと一緒に外出して「キャニオン」で夕食をし、午後一〇時前ころ「北陸企画」に帰って来たが、その夜は甲は帰宅してA一人を同所に宿泊させ、翌二五日は昼過ぎになって再び同所に赴いたというのであって、とすると、Aは二四日の昼前ころから午後四時ころまで、及び甲が帰宅したその夜から翌二五日の昼過ぎころまで全く一人自由に放置されていたことになるが(甲の原、当審における公判供述では、その間に丙が「北陸企画」に来てAと共に過ごしたことになるが信用できない。)、この事実を殺人までも予定していたという誘拐事犯における被拐取者の取扱いとしてどのように解釈したらいいのであろうか。Aにはその間、脅迫、暴行等の外的圧力を加えられ意思に反して自由が拘束されていたような形跡は窺えないのであって、だとすれば、Aは、無断外泊ののち母親との固い待合わせの約束を破って更にもう一晩家に断りもなく外泊をし、翌二五日昼ころになってようやく母親に電話したことになるのであるが、たとえ当初の約束の時間に間に合わなくなったとしても、心配している家族のためにその日のうちに自宅に帰ろうとするのが普通であり、その後一緒に朝食を食べに行く余裕もあった甲に対して改めて家に送ってくれるよう頼むことにそれほどの遠慮があったとも思えず、仮に甲に差支えがあったとしても自分一人ででも帰る算段をして当然であるばかりか、何より当日はA一人で事務所に長時間放置される状態にあったというのに電話一本を家に入れなかったという態度はいかにも不可解で、果たしてどんな事情が介在したというのであろうか。最終的にAは殺害され、甲からはAの家族にみのしろ金要求のための電話もしていることから、甲がAを誘拐の対象として自己の手元に留めていたことに違いはないが、その間甲がAと二人連れで外出し、堂々とドライブインなどで食事をし、甲名義の借用書を差し入れたうえ再びその支払いに赴くなどの振舞いが、余りにも不用心で大胆にみえるが、これを単に甲の無神経さや杜撰さというような理由で説明することができるだろうかなど、疑問とされる問題点は多いのである。

(2) 原判決の推論とその当否

そこで、証拠上明らかになっている限りの事実関係を合理的に解釈して推理してみると、まず、原判決は、Aから母親にかけられてきた電話の内容を主たる根拠にして、Aが帰宅しないで「北陸企画」にとどまり甲と行動を共にしていたのは、Aが電話で一向に帰宅しない理由について具体的かつ一貫した説明をしていて、二月二四日朝のAの電話では、かねて母親と約束していた会合に参加するため直ちに待ち合わせ場所まで送ってもらうことを自分から申し出ていること、二五日の電話では「北陸企画」から連絡していることも明らかにしていること、その電話の際Aは泣きながら応答していたことなどから総合判断して、結局Aは、帰宅や待合わせの約束を本気に履行するつもりであったが、同女が母親に説明したとおりの甲の言動で引き留められていたと評価できるのであって、これが無断外泊の単なる言い訳として虚偽の説明を行ったと疑わせるような事情は証拠上見いだせないと結論しているのであるが(七四頁〜七八頁)、当裁判所が右電話の内容を改めて子細に分析吟味した結果では、そこから推測される事実関係を原判決が結論するように単純には割り切ることはできないのである。

すなわち、原判決では、Aが一向に帰宅しない理由について母親に電話で説明するところは具体的で一貫しているようにいうが、とてもそのようには思えない。

そもそも甲はAをいいアルバイト話があると言って誘ったというのであり、まだ未成年の女子高生である同女が家に連絡もしないで外泊する気になったというのもそのアルバイト話によるものと考えざるを得ないのに、当初の電話でその内容について全く触れられていないうえ、二四日朝母親との待合わせの固い約束を破り、更に続けてその夜も無断で帰宅しなかったことの理由も、当然そのアルバイト話が絡んだものと推認されるのに、翌二五日昼ころになってようやく母親にかけてきた電話でも、それがどんな種類の仕事でどのような条件のものであるかなどのことが一切語られていないのはいかにも奇妙である。その一方で、二四日朝には本気に帰宅したかったはずであったのが相手の都合で不可能になり、仕方なく連続しての無断外泊を余儀なくされたというのが真実の経緯であったというのなら、二五日の電話が明るく弾んだような声でかけられてきたというのは状況的に全く符合しない不可解な態度といわざるを得ないのであって、Aが電話の最後の方では帰宅を懇願する母親につられて涙声になったからといって、Aが自分の気持ちに反して不本意に「北陸企画」に引き留められていることを嘆いていたものとは受け取れないのである。

要するに、Aの電話内容と行動、態度には、経験則上の常識に照らして理解し難い面が多分にあるのであって、同女が電話で述べた表向きの説明をそのまま鵜呑みにできないのはいうまでもなく、母親が二五日のAの電話に対して、なぜ一人ででも帰って来ようとせず電話さえもかけてこなかったのかと疑問を抱いたのも当然である。

原判決がいうようにAが無断外泊の弁解としてことさらに虚偽の説明まではしていないにしても、アルバイト話の内容とか無断で二晩も外泊を続けたことの真の理由等につき最も大事な真相が秘匿されていた疑いは非常に強い。

(3) 当裁判所の考察

結局、甲本人が自分の口で当時の客観的事実を明らかにしない限り、証拠上判明している限りの事実を総合した合理的解釈によって推究していくほかはないが、当裁判所が主として電話の内容から推して改めて考察した結果は、次のとおりである。

すなわち、甲は二月二三日夜、かねて企図していたみのしろ金目的の誘拐殺人計画の一環として、一面識のAをいいアルバイト話があると虚偽の甘言で誘って「北陸企画」に連れ込んだこと、その夜は甲が言葉巧みにAに自宅への電話連絡をしないで事務所に泊まるように仕向け、Aも翌朝には母親と約束していた会合の時間に間に合うように車で送ってもらえるものと期待して甲と一緒に同所に宿泊したこと、Aは翌二四日朝、甲の就寝中に断りもなく、あるいは少なくとも甲の黙認の下に自宅の母親に電話し、無断で外泊したことを謝るとともに約束の会合に間に合うように帰ることを告げたが、結局これを履行せず、その後も長時間一人で事務所に放置されていたはずであるのに翌二五日昼ころまで母親に電話連絡さえもしなかったというのは尋常でなく、そこにはAが再度にわたる電話において母親に話していない重要な事情が隠されていると思われること、それはまず、Aが無断外泊をする契機となったアルバイト話に関する件と察せられ、それも、本来なら思いどおりに帰宅がかなわぬ状態にあって意気消沈していてもおかしくないと思われる二五日の電話が当初逆に心弾むような嬉しげな口調であったということからすると、恐らくは進学に伴って臨時収入を欲しがっていたAにとって非常に魅力的なアルバイト話の斡旋が甲から提案されるなどしたことが考えられること、それはもちろん、みのしろ金目的での被拐取者であるAを引き留めるための甲の作り話であろうが、甲は自らが引っ越しで多忙であると装うことのほかに、「北陸企画」の社長なる男をそのアルバイト話の成否の鍵を握る人物として引合いに出し、その男の都合をAの滞在を引き延ばす口実に用いた可能性が強く疑われること、つまり、Aは二五日の電話で母親に「(二四日帰宅できなかったのは)送ってやる、送ってやると言って一時間延ばしにされ、最後は、女の人が社長がお酒を飲んだから、今晩は送れなくなった。明日(二五日)女の人も社長も一緒に行って相談してあげるなどと言われた」旨を伝えているが、これは、前後の状況や言葉の意味からして、その事務所の中に社長なる男が現在してAを家まで送る運転手役を引き受けてくれることになっていたことを述べたものとは解されず、Aの心を掴んでいたアルバイト話の成否の鍵をその社長が握っており、しかも、そのアルバイトを引き受けるためには保護者の承諾がいるが、そのためにはその社長も一緒にAの自宅に同行していって直々に説明、相談することが不可欠であるなどとしたうえ、その社長の都合がつかないことを理由にAを引き留めていたと考える余地が十分にあること、Aは、別に強制された気配も窺えないのに二日にわたって無断外泊し、一人で帰ろうとする意欲は示さず、家族の心配を知りながらもまる一日以上も電話連絡も取らず、電話の際も自分から肝心のアルバイト話の内容に一切触れることがなかったという様々な不自然、不合理な態度も、甲が自分の犯罪計画を悟られることなくAを事務所に引き留めておくと同時に、Aが自宅に電話連絡することを封ずるため、Aに対し、自分で家の方に所在を明らかにしたりそのアルバイト話を勝手にしゃべるようなことをしたら、折角のうまい話が壊れてしまうとして、社長と自分が付いて行って直接家の人に話してやるからそれまで待つようになどと指示していたものと考えれば、Aの態度についての不審も解消すること、にもかかわらず、Aが自宅に電話し、特に二五日の電話では母親の質問に対して電話番号こそ分からないと答えたが「北陸企画」にいることは明かにしたという事実も、自分が誘拐の対象となっているという自覚がないAが、一応甲の指示を守って自宅への電話連絡を控えてはいたものの、一人で長時間同所に放って置かれているうち、さすがに母親との約束を破って心配を掛けているだろうことが気になり、アルバイト話の内容や電話番号等を言わなければ電話をするぐらいのことは構わないだろうと考えて母親に電話したが、母親からの質問で、一瞬言いよどみながらも「北陸企画」の名前までは答えながら電話番号についてはついに明かさなかったと推理することで整合性は保てること(Aは、一人にされていたときも含めて長時間「北陸企画」に所在していたものであって、その事務所名はつとに承知していただろうし、電話番号にしても、当時それは表ガラス戸や電話機自体に表示されてあったというのであって、同女がそれをわざわざ確かめても分からなかったということは考えられない。)、二五日のAの電話は、通話途中で誰かが外から帰って来た気配があり、Aがその相手に断りを述べた途端に唐突に切られてしまってそのままその後の連絡がないということからすると、そのときの相手が甲であり、Aの電話は甲の意に反する行為であったことが十分推量されること、更に、Aの電話の中に登場した社長なる男は丙を指すものと考えられるが、Aが二月二三日夜「北陸企画」に連れ込まれてから二五日夜同所を出て殺害されるに至るまで、Aと丙が直接接触したことを窺わせる状況は電話内容からは認められないこと、もっともAは、母親が社長の年齢を尋ねたのに対し、思案するような風で「三四か五くらいかね。」と答えており、このことがAと丙との接触を推認させるようでもあるが、Aの電話内容全体を通じその社長がAのそばに現実にいた気配まではないのであって、むしろ、本件犯行が甲の単独犯であり、丙の存在を利用するような工作を考えたとするならば、甲としてはその丙の存在に信憑性を持たせるため、Aが二五日の電話をしたときまでに何らかの方法で丙の姿をかいま見せるような工夫をしたことも考えられないわけでもないのであって、Aが社長の年齢について具体的に返事をしたというのも、原判決が想像するように事務所内に貼ってあった新聞写真を見たこと以外の事情があった可能性も捨てきれないこと等の各事実や状況を挙げることができる。

以上の考察の結果に基づき、甲に関しての誘拐罪の成否やその態様について改めて案ずると、更に次のような推認もできるのである。

すなわち、甲は、二月二三日夜みのしろ金目的でその身柄を確保するため、帰宅途中のAを「よいアルバイト話がある。」との甘言で誘い、誤信した同女を「北陸企画」に連れて行ったものの、すぐには同女を殺害することもみのしろ金の要求電話をかけることもしないで、恐らくは魅力的なアルバイト話で欺いてそのまま事務所に引き留めて二晩も宿泊させたのち、最後は二五日夜甲単独でAをZに乗せて山中に行って殺害するに至ったが、それまでは、二月二四日に睡眠薬を買い、二五日夕方はAの自宅に電話をかけてみた以外には、殺害の実行を含めた犯罪計画の具体的着手とみられるような行動には出ておらず、Aと二人での外出もおおっぴらなもので、特にAの姿を人目から隠そうとした様子もなかったなどの証拠上明らかな事実関係から判断すると、本件において甲がAを騙して「北陸企画」に連れて行ったのは、みのしろ金目的の誘拐であったことに間違いはなかろうが、このときに同女を直ちに殺害する具体的な決心が固まっていたものとみるには、その後の同女の取扱いが手ぬるく、また不用心かつ大胆に過ぎるといえるのであって、このことは甲自身も供述しているように、計画に従って現実に一面識の若い女性を自己の支配下に置いてはみたものの、すぐに殺害を実行することにはさすがに逡巡する気持ちが働き、結局、本気にAを殺害しようと決意するに至ったのは、少なくとも二五日夜同女を「北陸企画」から連れ出す直前ころと認められるのである。

なお、Aの誘拐の舞台が甲及び丙の両名が共同で事業を経営している「北陸企画」であったことから、丙が共犯でなかった場合同人が同所に出向いて来ることによる発覚のおそれとの関係について、原判決は、甲がAの滞在中に丙を事務所から遠ざける工作をしていた可能性があるとするが、そのほかにも、甲の犯意が前記のようにいまだ浮動的なものであったとすれば、甲にとっては愛人関係にある丙に対して犯行発覚の危険をそれほど強くは意識していなかったことも考えられるのであり、このように考えたからとしても別にその犯罪行動が矛盾するわけでもない。

結局、原判決が、Aの母親への電話内容に不自然な点がないとする見方をそのままには是認することはできないのであって、その誘拐の態様や殺意形成の過程等については、前述のように事実関係を推認するのが相当というべきであるが、これも原判決が判示する限りでの事実認定と対比して実質的に齟齬するというわけのものでもない。

3  富山事件における甲の実行正犯性について

原判決は、以上のとおり、甲があらかじめ抱いていたみのしろ金目的の誘拐殺人計画に基づいて二月二三日Aを誘拐し、以後二五日まで自己の支配下に置いていたという事実認定を前提として、更にその後、Aを殺害しその死体を遺棄したのは甲自身が右犯罪計画に従って実行したものであるかどうかの点を検討した結果これを肯定し、しかもそれは甲単独の実行によるものであったと結論しているのであるが、原判決が挙示する関係証拠によって認定できる諸状況を総合し、また、当審における事実取調べの結果を併せ検討してみるのに、右判断は正当であって優に首肯するに足るものである。

(一) 原判決が認定する関係諸状況

原判決が掲げる関係の諸状況は、次のとおりである。

すなわち、Aの死因は絞頸による窒息死で、その死亡推定時刻は、同女が二月二五日午後六時から七時ころにかけてラーメンを食べたのち二ないし五時間のうちであることが鑑定結果(<書証番号略>)で明らかにされている一方、同女は甲と共に「エコー」に立ち寄り午後九時三〇分ころそこを出ているのであるから、犯行はその後翌二六日午前零時ころまでの間に行われたことになり、その正確な時刻を断定することはできないものの、甲がAと二人連れで「エコー」を出てから時間的に近接して殺害が行われたことは確かであり、また、その殺害場所を地点として特定することは難しいが、殺害に引き続いて敢行されたとみられる死体遺棄の場所は「エコー」から僅か約四キロメートルしか離れていない近接地点であったこと、しかも甲は、捜査段階での現場引き当たりに際し、実際の死体遺棄現場とは違う他の近辺箇所に花が供えられていたのに惑わされず、真の現場を正確に指示したこと、甲はその理由を、丙から犯行後にその現場を教えてもらったためと弁解するのであるが、原審での検証の結果(58.2.25施行)では、甲がいうような形で国道四一号線上からその現場の死体を視認することはまず不可能であるばかりでなく、その現場の目印とする戸市川岸の杉林の切れ目というのも判然としたものでないことも確かめられている(この点、当審での検証においても確認されている。)ことからすると甲の弁解は信用できないのであって、結局、甲が死体遺棄現場を正しく指示できたということは、とりもなおさず、Aの死体が遺棄されたとき甲がそこに臨場していたことを強く示す事情と解することができること、甲は、犯行直後の二月二六日に自らAの遺留品である靴やバッグをZで運んで富山市内の呉羽山公園に投棄したことを認めており、その後の捜索でも甲が指示した場所からそれら遺留品が発見されていること、そして、Aはニトラゼパム系の睡眠薬を服用して熟睡中に腰紐を頸部に二重に巻かれて強く緊縛され絞殺されたものと推認されるところ、甲は当時、同系統の睡眠薬である「ネルボン」及び「カルスミン」を所持しており、また、殺害に使用された腰紐は甲が丙と共に宿泊したことがある下呂温泉の旅館から持ち帰って「北陸企画」内に保管していたものと同一物とみられるのであるが、右のような手段及び方法を用いてAを殺害すると同時にその死体を自動車内から車外に出して遺棄することは女性の身である甲単独でも十分可能であるといえること、そのうえAの殺害と死体遺棄を丙が実行したということは証拠上認め難いのみならず、他の第三者がその実行に関与した可能性も考えられないこと等であるが、右各事実は、原判決が挙示する関係証拠に徴し十分に認定することができ、これに反する甲の捜査段階及び原、当審公判における供述は措信するに足らず、他にこれを左右する証拠や状況も存しない。

(二) 甲の弁解内容

甲が捜査段階で述べるところはまさに様々であって(原判決二二九頁〜二三四頁参照)、富山事件に関しては、当初の全面否認から甲の単独犯行を認めたかと思うと、A殺害には他に男性の関与があるかのようにほのめかしたり、その後は丙と共謀して丙が殺害する予定になっていたのに同人が現場に現れなかったので、結局甲が単独でA殺害等の実行行為に及んだと述べたりしたのち、今度は丙と共謀したうえ実行は丙単独であったと供述を改めるなど変転極まりないものであるが、更に甲は、原審公判段階に至って、従前の供述を翻し、甲は丙の依頼により代わりにAを迎えて「北陸企画」に連れて行って滞在させていたに過ぎないもので誘拐したわけでなく、Aの身柄は、二月二五日午後一一時三〇分ころ同所で丙に託して甲は帰宅したところ、翌二六日午前四時前ころ丙から電話で同所に呼び出され、そこで初めて丙がAを殺害してその死体を遺棄した事実を聞かされた旨改めて富山事件についての罪責を全面的に否定する弁解を行い、当審公判における被告人本人質問でも当初は同旨の供述を続けていたのに、その後二二回公判になって大きく供述内容を変更し、長野事件においてBを殺害してその死体を遺棄したのは丙ではなく甲である旨を認めるとともに、富山事件については、殺害死体遺棄を実行したのはあくまで丙であるとの主張は維持しながらも、甲が丙と共謀のうえAを誘拐した事実を自認するに至ったものである。

(三) 甲弁解の虚構性

原判決は、甲の原審公判における弁解、つまり、甲はAをみのしろ金目的で誘拐したものではなく、ましてや同女を殺害して死体を遺棄するつもりもなければ、その実行に関与したこともないのであって、これらの犯行はすべて丙が単独で行ったものである旨の言い分を検討した結果、その弁解は、甲がAを誘拐していないという前提自体が既に受け入れ難いものであるうえ、供述内容自体にはいくつもの不自然、不合理な点があるとしてその信用性を否定しているのであるが、甲自身も、当審公判において改めて誘拐の事実を自白したことにより、従前の弁解の虚構性を自分から一部暴露していることのほか、その誘拐が丙との共謀によるみのしろ金目的の犯行計画の一環であると言いながら、最後には当のAを丙に預けたまま「北陸企画」から一人帰宅し、その後に丙が単独で同女の殺害行為に及んだものという主張は変えないところが、逆に事実の流れを不自然なものにしているのであって、いずれにしても、甲の弁解の信用性に消極的評価をする原判決の判断は正当ということができる。

ただ、所論(弁護人小堀等の控訴趣意補充書、同(二))は、原判決がその根拠とする理由のいくつかに疑義を述べているので、以下その点について検討して若干の補説を行う。

(1) 甲2の証言等について

所論は、甲の母親甲2が、甲は二月二五日午後一〇時ころ帰宅し、翌二六日早朝丙からの電話で「北陸企画」に出掛けて行った旨(原審期日外)甲の弁解に沿う証言をし、これを補強する富山県警の補導員である村上幸子(原審一〇回、一一回)や甲の前夫であるC(原審期日外)の各証言もあるのに、原判決が、その甲2証言の信用性に疑問を呈し証拠価値を否定するのは不当であるというのであるが、原判決がその点に関して取り上げる信用性についての消極的考察はおおむね至当である。

もっとも、原判決は、二月二五日夜甲が帰宅した時刻が午後一〇時ころであったとする甲2の証言部分を、同女が翌二六日(昼ころ)警察の村上補導員からの問い合わせ電話に対しても同様に答えていることで、その時点で甲2がA殺害の件を知っていた可能性はないのであるから、ことさら甲をかばうために虚偽の供述をしたとはいえないとしたうえ、結局は、時刻の確認の点が不正確であったとするのであるが、この点については、そのような漠然とした証言でも甲の帰宅が少なくとも翌日午前一時とか二時とかの遅い時刻ではなかったという意味では甲弁解の補強に役立つとする右所論の指摘が適切である。

しかしながら、原判決は、村上補導員が甲2に電話した時点でA殺害事実が判明していなかったであろうということをもって、甲2証言の真実性が保証されるかのようにいうのであるが、甲がA殺害を実行した犯人だったとしても、その犯跡を隠蔽するため別に殺害事実まで明らかにすることなく母親の甲2にその犯行時刻のアリバイに関する工作をそれとなく依頼することができないわけではなく、ましてや、二六日朝「北陸企画」でAの家族と応対して犯行発覚の危険を覚えたのちの時点においては、一層その可能性は大きいものがあるといえるのであって、原判決がいうように甲2が虚言を述べるはずはないと断定することはできない。

原判決も、二月二六日早朝丙から甲方に電話があって甲が急いで「北陸企画」に出掛けて行ったとする甲2の証言の方は、甲2が捜査段階では取調官にその事実を供述しておらず、その秘匿の理由についての公判での質問に対しても弁疎の傾向が目立って納得できる理由が披瀝されておらず全体的に供述の一貫性が欠如しているとしてその信用性を排斥し、甲2に甲をかばおうとする姿勢があることを示唆しているのであって、その判断との整合性を考えてみても、甲の帰宅時刻についての甲2証言は、その供述内容の曖昧さとも併せてもともと信用性に乏しいものと評価するほかはない。

その他、右村上、Cの各証言が甲2証言の信用性を裏付けるほどの内容のものでないことは明らかで、原判決が甲2証言は全体的に信用できないとした判断は、結論的には賛同できるものである。

(2) Zの燃費と走行距離の関係

所論(弁護人小堀等)は、原判決は、Zの燃費に関する証拠からは、二五日の給油から二六日までの間にZは「北陸企画」から死体遺棄現場まで一回しか走行していない事実が示されているとして、いったんZで「北陸企画」に引き返して来たという甲の弁解を排斥しているが、Zの当時の燃費は、同型車での走行実験によって得られた結果である約8.31キロメートル毎リットルを信用すべき数値として計算するのが相当であるのに(<書証番号略>)、これを否定して最終的に約5.1キロメートル毎リットルとする原判決の認定は非常識なもので誤っていると主張する。

しかしながら、自動車の燃費は、同一車種といっても多少の個別差があるのは免れず、それに運転者の技量やそのときの具体的な運転方法によって相当の誤差が出てくるのもやむを得ないところであって、原判決が、Zのメーカーである富山日産自動車株式会社の技術者である上村浅次郎の検面供述も参考に、Zを日常的に使用していた当の甲及び丙両名の各供述にも基づき、Zのスノータイヤ着装時の燃費を一リットル当たり七キロメートル以下とした推測値は一応根拠があるものであり、これに疑問があるとして、三月三日から同月七日までZが走行したとされる距離から逆算した燃費を掲げてする反論は、その計算の基礎である走行距離の正確性の点において既に問題であって、これによるのを相当とするわけにもいかない。

ただ、原判決が、最終的に、甲がZで「北陸企画」に戻り、丙がこれに乗って数河高原に赴くために要する距離(約一二五キロメートル)を総走行距離から減じて算出した燃費約5.1キロメートル毎リットルを極めて無理のない数値とみなしている点は、前記七キロメートル以下毎リットルとした推測値との較差が大き過ぎるきらいはあるが、もともと自己の実行関与を否定する甲の供述に基づいた総走行距離を根拠にした燃費算出は、その基礎数値の確実さに乏しい概数に過ぎないのであり、これが例えば、甲がAと共に二月二五日午後九時三〇分ころ「エコー」を出て二、三時間後に自らの手で同女を殺害したとするならば、Zの「北陸企画」までの往復距離は省かれるものの、代わりにその殺害時まで他の方面にZが走行していた可能性があるはずで、その間の詳細が語られない限り具体的な計算は不可能となるのであるが、少なくとも、甲の弁解が燃費のうえで裏付けられることはないというべきであり、甲の弁解の当否についての一応の試算である原判決の検討結果もその限度で相当である。

(3) 死体遺棄現場における甲の指示について

所論(弁護人小堀等)は、捜査段階における現場引き当たりに際し、実際の死体遺棄現場から約一〇メートル離れた地点に花が供えられていて惑わされやすい状況にあったのに、甲がその死体遺棄現場を正確に指示したとする原判決の認定に反論し、そのときの状況を説明する関係各証言(原審一四二回岡本新治、原審一四三回坂井靖)によれば、甲は当初の指示以前にその花を発見していたわけではないから、花の存在は甲にとって惑わされやすい状況とはいい難いし、そこでの甲の指示も正確というほどのものでもない、というのであるが、現場の客観的な状況が道路脇に供えられていたその花によって実際の死体遺棄現場と紛らわしくなっていたのは事実であり、もし甲が自らの記憶でその遺棄現場を正しくは知らなかったとしたら、その地点をすぐには特定することができず、その付近一帯を見分するうちには遺棄現場付近に供えられていたその花に気付いて地点特定の手掛かりにしただろうと思えるのに、このようなヒント抜きでその花があった地点とは別の実際の死体遺棄現場の指示が可能であったということは、やはり甲が犯行時にそこに臨場したことがあるということを示す情況の一つととらえてよく、その場所の指示が所論がいうとおり厳密に正確でなかったとしても、これが総合認定の結論を左右するようなものでもない。

(4) 丙及びその他第三者の実行関与の可能性について

甲が、富山事件における丙の関与の有無等について捜査段階で供述するところでは、甲及び丙両名は事前に共謀し、まず甲が若い女性を誘拐して「北陸企画」に連れ込んだうえ機会を見て相手に睡眠薬を飲ませて眠らせ、一方連絡を受けた丙がその事務所に来て絞殺するという犯行計画であったが、甲はAを誘拐したものの、すぐには丙に連絡して殺害行為に移ることもなく同女を事務所に二泊もさせたうえ、甲一人で同女をZに同乗させて外出し、最終的には、丙と数河高原近くで合流したのち丙が殺害を実行したというものであったところ、当審公判に至って、甲がAを誘拐した事実は認めるが、殺害等の実行行為は丙が一人で行ったものである旨供述を変更したことは前述したとおりであるが、そのいずれにしても、甲がいうところの謀議の内容と誘拐ないし殺害の実行行為の態様が不自然に食い違っていることは明らかで、誘拐後のAの処遇に関して丙が介在した様子が全く窺えないことも前説示のとおりであるうえ、計画どおり睡眠薬を事前に飲ませることもしないうちに、Aを丙にゆだねてしまって甲が帰宅したというのは誠に理解し難い行為であって、そのような甲の供述自体に基づいて丙が殺害実行に及んだと認定することは困難である。

一方この点に関する丙の供述は、その犯行時間帯には自宅でテレビを視聴していたというもので、それを確実に裏付ける客観的証拠もないことからアリバイが成立するとまでいうことはできないにしても、甲供述と対比してみてその信用性に疑問を投げ掛ける事情としてとらえることはできるとする原判決の証拠評価は相当である。

なお、丙は、二月二五日早朝「北陸企画」に出向いたことを自認する供述を一時行い、原判決はその事実を否定的に認定しているのであるが、この点に関する武田睦子の原審証言(四五回[丙関係のみ。甲については<書証番号略>が同旨])の内容等に徴すると、むしろ丙が出向いて行った可能性は強いものとみるべきものであるところ、後述するとおり、その事実は甲との共謀を推測させるどころか、その際に犯行計画を遂行する方向に何らの事実の進展もみられないことが、逆に甲及び丙間の共謀の不存在を示すものと眺めることができるのであって、これは決して丙の不利益事実となるものではない。

その他、丙を含めて甲以外の第三者が実行行為に関与したことを窺わせる証拠はなく、この点に関する原審の各証言(証人秋葉明美、同小原ふみ子、同森下宗一等)も検討したうえ、第三者の関与、実行を否定する結論に至った原判決の判断は優に首肯するに足るものである。

(四) 富山事件での甲の実行正犯性についての原判決の判断の当否

以上検討のとおり、富山事件における甲の実行正犯性に関する前記3に掲げる諸状況の認定に不備はなく、これらを総合して検討すると、あらかじめ若い女性の殺害までも予定してみのしろ金目的での誘拐計画を抱いていた甲は、自分一人で誘拐してきたAを前記のような甘言で誤信に陥らせ、長時間その支配下に置いていたうえ、最後には同女の死体を遺棄する現場にも臨場していたことが優に推認されるところ、その具体的な殺害、死体遺棄の態様に照らしてみるとその犯行は甲単独でも十分実行可能なものと考えられ(現在では、長野事件における単独の殺害、死体遺棄の実行を甲は自白している。)、他方で、甲において、殺害の実行行為者であると言い張る丙がその犯行現場に臨んだ可能性は否定されるほか、他の第三者の実行関与の形跡も認められないことから、結局、富山事件については、その実行行為は甲が単独でこれを敢行したもので、丙を含め他の第三者の関与はなかったことを認定するに足るのであって、同旨の原判決の判断は正当である。

所論(弁護人小堀等)は、原判決が理由として挙げる前記間接事実のそれぞれについての証拠価値を争い、たとえば、Aの死亡時刻や死体遺棄場所が、甲と最後に一緒であったことが目撃されている「エコー」を中心にしていずれも近接しているという事情などは、それ自体甲の単独犯行を根拠付けるには足りないもので、むしろそれは反対の推定さえも可能な状況として評価することもできるなどと主張するのであるが、論点の一部については先に説示したとおりで理由がなく、その他の個々の間接事実が、それ自体では甲単独による殺害実行を強力に推定させるだけの証明力まではないという指摘も、それら諸状況のすべてを総合して判断した原判決の結論を批判するにはいまだ説得力に乏しい反論であって、その認定を左右する主張として採用することはできない。

4  長野事件における甲の実行正犯性について

甲が原審公判段階において長野事件に関して主張するところでは、甲は丙と共謀のうえ、自ら単独でBを誘拐してZの車内で睡眠薬を飲ませて眠らせたのち、丙に連絡して合流し、直接的には丙がBを手に掛けて殺し、その死体は二人で遺棄し、その後みのしろ金要求の電話は甲がしたというのであって、甲は同事件に正犯として加功したことは認めながら、犯行は丙との共謀であるとするほか殺人についての実行正犯性は否定する内容の供述を行っていた。

しかしながら、甲は当審公判段階になって、当初は原審当時と同旨の供述をしていたものの、のちにその供述を変更し、改めて、実際は丙が呼出しに応じて現場に来なかったので、甲が単独でBを殺害して死体を遺棄したのが真実であると自白するに至ったのである。

そして、甲の右自白は、丙との共謀の点を除いては、原判決が認定する客観的諸状況と合致するものであって、長野事件において甲が単独で殺害及び死体遺棄を行ったことを確かめるだけのことでは、もはや甲の原審当時の供述の再検討さえも必要がなくなったともいえるのであるが、なお、丙との共謀の有無の認定にも絡んでくる事実として、その犯行の実態を可能な限り考察しておくことが有用であると同時に、今では虚偽の供述内容であったことを進んで自認したことになったこれまでの詳細かつ具体的な弁明は、捜査、公判両段階を通じての甲の供述の信用性全体の判断に有力な手掛かりを与えるものとして見逃すわけにいかない。

そこで、原判決が客観的証拠とともにこれに裏付けられる甲の原審公判供述部分に基づいて認定した長野事件についての事実関係の概要を示すのに、次のとおりである。

すなわち、甲は、富山事件で失敗しながら、なおも誘拐殺人の方法によるみのしろ金奪取の犯行計画を断念せず、三月四日夕方、国鉄(当時)長野駅周辺で若い女性二名に声を掛けて誘拐しようとしたが、いずれも拒絶されて目的を果たせなかった。翌五日午後六時三〇分ころ、甲は、長野市内の「千石前」バス停留所付近で職場から帰宅途中のBを見掛けて声を掛け、言葉巧みに近くの喫茶店に誘い込んでその身上関係などを聞き出し、郊外のレストランで一緒に食事することを承諾させたうえ、「日興」に同行して同所に駐車させていたZにBを乗せ、自らが運転して松本市内のレストラン新橋「元庄屋」に赴いて共に食事をし、同日午後一〇時ころ、同店を出てBを自宅に送る風を装って再度Zに乗車させ、途中休憩の口実で長野県内の県道二八号更埴明科線矢越トンネル付近にZを駐車させ、家へは翌朝送ると欺いて車中泊を承知させ、あらかじめ準備していた睡眠薬「ネルボン」を同女に勧めこれを服用させて眠らせた。Bは、三月五日夕刻同僚と喫茶店で雑談後、午後六時ころ帰宅すると言って店を出て以来全く消息不明であったところ、翌四月二日長野県小県郡青木村所在の林道弘法線の崖下で死体となって発見された。Bは、甲がかつて宿泊した長野市内のホテル「志賀」から持ち出して所持していた腰紐で頸部を二重に巻かれて絞殺されていた。甲とBが乗っていたとおぼしきZが、三月五日午後一〇時四〇分ころ通行人によって目撃されており、その時点ではBは生存していたものと推認されるが、翌六日正午ころ以降Zを見た人は甲以外の乗員がいたことを認めておらず、少なくともその間にBは殺害されたものと考えられる。

なお、Bの死体解剖の所見(<書証番号略>)、睡眠薬服用時刻(原審三二回甲供述)及びその薬効などからすれば、その殺害時刻は三月六日午前三時ころから午前九時ころまでの間と推定される。その後である同日午後四時三〇分ころ、Bの父の勤務先に女性の声で不審な電話がかかってきたのを始め、同日午後七時過ぎころから翌七日午後一〇時ころまでの間B方等に合計七回にわたり、いずれも女性からBの身柄と引換えにみのしろ金を要求する電話があり、姉B3はそれに応じ二〇〇〇万円を用意して高崎駅まで赴いたが、犯人と接触することはできなかった。右みのしろ金要求の電話の内容は原判決添付の別紙一の一覧表記載のとおりであって、これらはすべて甲が、みのしろ金を奪取する計画に基づいて行動する過程で公衆電話等を利用してかけたものであるなどというものであり、以上は、原審公判段階において甲自身に争いがなく、原判決挙示の関係証拠によっても肯認するに十分な事実関係である。

そして、以上認定の諸状況、つまり、甲は富山事件同様、あらかじめ抱いていた誘拐殺人計画に基づいてBを誘拐し、以後も同女を騙してZに同乗させるなどして自己の支配下にしばらくとどめ置いたのち、殺害行為を容易にするため予定していたとおり同女に睡眠薬を服用させて眠らせた後同女が殺害、死体遺棄されたと推定される時点ころまで行動を共にし、また、殺害に用いられた腰紐はもともと甲が所持していたものであり、しかも、殺害時点から間もないころからBの自宅等に専ら甲一人で連続して何回もみのしろ金要求の電話をかけたなどのことを情況事実として眺めるならば、これだけでも、甲は、Bを誘拐し、みのしろ金要求電話をかけたというだけにとどまらず、その殺害、死体遺棄の実行行為にも関与したことが強く推認されるものといわなければならないが、更に、その犯行の実行過程には丙を含めて他の人物の介在を窺わせる状況も認められないことからすると、それらの実行行為は甲単独のものである可能性が極めて濃いものということができる。

これに対し、甲は、原審公判では、捜査段階の後半からの一貫した主張として、甲が誘拐したBを睡眠薬で眠らせたのち、甲からの連絡に応じて「日興」から抜け出してきた丙と県道更埴明科線上において合流し、その後丙がBを殺害し、死体は甲及び丙の両名で遺棄した旨の弁明を行い、当審公判においても、当初は同旨の主張を維持していたが、のちにこれを変更し、犯行は丙との共謀によるものとはしながら、丙が甲からの連絡に応じて合流予定場所に来なかったので、結局甲が単独でBを殺害して死体を遺棄した旨改めて供述を変更するに至ったものである。

これに伴い甲及びその弁護人(小堀等)も、控訴趣意補充書等において、従来の甲本人の控訴趣意の内容を改め、長野事件は丙との共謀に基づくものではあるが、丙が殺害を実行したとの主張は撤回し、殺人、死体遺棄を含めて甲が実行行為に及んだ事実は争わないと述べるところ、甲の当審における自白内容は、丙との共謀をいう点を除き、前記の原判決の認定事実とも符合し、また、原判決が更に、長野事件における甲の殺人、死体遺棄に関する実行正犯性について詳しく考察するところ(一五六頁〜一九二頁)とも一致するのであって、いわゆる長野事件における甲の実行正犯性は証拠上既に明白というべきである。

したがって、甲が単独で長野事件での実行行為に及んだという限度での立証については、それ以上の検討は要しないことになるのではあるが、なお、丙との共謀をいう甲の供述の信用性を吟味するに当たっては、甲が従前主張していた丙殺害実行の供述内容が余りにも具体的かつ詳細であったことが逆に軽視できないものになってくるのであり、原判決が、甲のその主張に対し、他の関係各証拠と対比し、あるいは経験則にも照らした合理的考察によりその言い分を排斥している点は、今後の事実認定において大いに参酌されなければならない。

すなわち、甲の従前の主張では、丙は甲からの連絡を受け次第「日興」を出て矢越トンネル付近で合流する計画で、その交通手段としてタクシーやトラックを利用し、あるいは相当距離の夜道を徒歩で来ることになっていたところ、現に丙は三月六日午前二時前ころには同合流地点に到着したというものであったが、これが「日興」からの道程や所要時間、交通手段の確保の困難さ、犯行発覚のおそれなどからも極めて非現実的な計画であることは原判決が説示するとおりであるばかりか、丙が、その計画に抵触する時間帯に「日興」でテレビを視聴していたと供述している(<書証番号略>、原審九七回、一一三回)ことなどから丙についてのアリバイが成立しそうな審理の情勢になり、検察官から改めて、本件両事件とも殺害等の実行行為は甲の単独のものである旨訴因の変更がなされるや、甲は、突如従前の主張を翻し、テレビ視聴による丙のアリバイ作りは、つとに甲及び丙両名が富山を出発する当時から画策していたもので、あらかじめポータブルテレビをZに積んで持参し、犯行当夜には丙がそれを携えて「日興」を出て長野駅周辺で駐車中の他人の自動車を盗み、これに乗って途中深夜テレビを見ながら合流予定地点付近に至っていったん下車し、あとはテレビを手に持って合流したのが事実であると弁明するに至ったことが記録上明らかであるが、そのような弁明が、その供述内容自体からみてさえ荒唐無稽といっていいほど矛盾に満ちた不自然、不合理なものであることは、原判決の詳細な検討結果を待つまでもないことで、これは、丙をB殺害の実行担当者とするのに不都合な丙のテレビ視聴のアリバイを覆すための強引なつじつま合わせの作り話と断ぜざるを得ない。

その点、甲が当審公判において、新たに単独でのB殺害実行を自白したのは、先の不自然極まる弁明の矛盾を自ら解消したことになるのではあるが、甲自身で虚偽と認めた従前の供述内容が余りにも具体的かつ詳細で作為性に満ちたものであったことは、甲が自分の刑責を逃れるために事実を隠蔽、歪曲する意図が強いことを窺わせると同時に、虚言癖や作話能力にたけている事実を示すものとして、今後の甲供述の信用性の判断において留意しなければならないところである。

なお、所論(弁護人小堀等の控訴趣意補充書(二))は、富山、長野両事件における各被害者であるAとBの死体の状況を検分して判明する殺害方法とその後の処置が互いに著しく異なっていることからして、その殺害、死体遺棄の実行者はそれぞれ別人であるはずであるのに、これをいずれも甲一人の実行にかかるものとした原判決の事実認定は誤っていると主張し、殺害に用いた紐の締め方や結節方法につき、富山事件の場合は、被害者の頸に一重の紐が二周巻かれて正面でこま結びを二回して縛り目はきれいであるのに、長野事件の場合は、二つ折りした紐が二周巻かれ左側頸部でたて結びを一回していて結び目は乱雑といったような違いを指摘するのである。

検討するに、確かに関係証拠によれば一応両者の間に指摘するような対称があることは否定できず、特に紐の結節方法などは人の長年の習慣から無意識的に同一手順によるのではないかと考えられることからすると、所論の主張も一応理があるかのように思われる。

しかしながら、紐の結節方法については、原判決が説示(一八七頁〜一八八頁)するとおり、捜査段階で甲及び丙両名の紐の結び方についての習性を知るため風呂敷を結ばせるなどして観察した結果によると、大体において甲はこま結び、丙はたて結びであったことが確かめられているのであり、とすると、それぞれの殺害犯人は、富山事件では丙、長野事件では甲と供述している甲の自白内容とはまさに逆の結果が示されたことになるのであって所論の主張はそれ自体矛盾を含むものといわなければならない。のみならず、右結節方法の鑑定結果(<書証番号略>)によると、右の例数は少なく、しかもたて結び及びこま結び自体決して特異な形態ではないので、甲及び丙の結びの習癖としてこれを特定付けられないとされているほか、一般的に考えても、人を絞殺するという極めて異常かつ凶悪な犯行に及ぶ際には、当然極度の緊張、興奮状態の下に実行されるのであろうから、そのときの犯人は必ずしも日常的な同一行動を取るとは限らないことからすると、紐で絞殺するという手段は共通していても、それぞれ時期、場所、被害者など異なった状況下で行われた本件各犯行における所論指摘程度の食違いをもって、いまだ両事件の犯人が別異の者と確認させるほどの間接事実として評価することはできない。

5  結論

以上検討したとおり、本件においては、富山、長野両事件ともに甲が単独でみのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄、あるいは拐取者みのしろ金要求の各実行行為を行ったことは、原判決が認定するとおりに証拠上明らかであり、現時点において、長野事件についての甲の実行正犯性は認めるものの、富山事件についてはこれを争う甲本人及び弁護人(小堀等)の所論はいずれも理由がない。

四  本件両事件における甲及び丙両名の共謀の有無について

1  はじめに

以上検討のとおり、本件各犯行は、富山、長野両事件とも、その実行行為面では、誘拐やみのしろ金要求電話だけでなく、殺人、死体遺棄の行為も含むすべてを甲が単独で行ったという事実が認定できるのであるが、甲及びその弁護人(倉田等及び小堀等共)は、これらはいずれも、丙との共謀による犯行であり、しかも丙が主犯格として加担したかのように主張し、検察官もまた、控訴趣意として、本件各公訴事実につき、丙が甲と共謀して犯行に及んだことは証拠上明らかであるのに、これを否定し犯罪の証明がないとして同被告人に無罪を言い渡した原判決は事実を誤認したものであるから破棄を免れないと主張するので、更に右各所論について検討していくこととする。

まず、丙の共謀の有無についての原判決の判断は、前記第一、二「原判決の事実認定及びその理由の骨子」中の4(一)ないし(三)に掲記するとおり、本件両事件に関して証拠上共謀の事実は認められないとするもので、その理由としては、要するに、丙の共謀加功を直接基礎付ける甲の捜査、公判両段階の各供述は、その供述過程や内容が不自然、不合理であるばかりでなく、全体的に甲の責任転嫁や軽減を図って作為された疑いが濃厚であって、逆に本件各犯行に際して情を知らない丙を利用したのではないかとの疑念さえ禁じ得ず、単に殺害の実行行為者が丙であると名指しする供述部分が信用できないというだけでなく、共謀の点も含めて全体として丙有罪の根拠としての証拠価値はなく、また、甲供述以外の客観的証拠や争いがない事実関係に基づいてみても、丙が甲と共謀したことを推認するには不十分で、一方丙の自白も、供述は動揺していて不安定であり、内容的には共犯関係があったことを前提にしたのでは到底理解し難いような不自然、不合理な状況が随所に述べられていて体験供述性に欠けるなど、その信用性に疑問を抱かせるものであって、結局は、丙が「男の責任」ともいうべき心理的負担からあえて不利益事実を承認した可能性が強く、丙が甲に騙されていたとする原審公判での弁解を一概に排斥することはできない、というのである。

これに対する当事者(検察官並びに甲本人及びその弁護人ら)の各控訴趣意における反論の概要は、前記第二において掲記したとおりであるが、検察官においては、原判決が、甲供述には「責任転嫁」の布石とみられる問題供述があり「情を知らない丙の利用」も疑われるというのは単なる仮説に過ぎないもので、甲が将来の責任転嫁を図って供述を操作したとまでいうのは非現実な想定であり、甲の捜査段階での供述中、少なくとも「丙との共謀による甲実行」の自白部分は、内容的に自然かつ合理的で多くの間接事実にも符合していて信用するに足るものであり、これら間接事実及び甲供述からみて、原判決がいうような「情を知らない丙の利用」などがあり得ないことは明らかである。原判決はまた、丙の自白は、甲に対する心理的負い目に動機付けられた道義的責任から虚偽の犯行を認めた疑いがあるとしてその信用性も否定するのであるが、その供述の内容や経過からみても虚偽の自白がなされたとは考え難く、供述が不安定であることは事実としても、その変遷の理由は理解が可能なものであって、その信用性を失わせるほどのものではなく、何よりも、丙が原審公判で主張する金沢の土地や政治資金についての各弁解は、甲が話したとする虚偽話が余りにも内容空疎で信用するに足りないものであり、甲及び丙両名の密接な男女関係に照らしても、甲がそのような架空話を弄してまで丙を騙す必要があったとは考えられず、また、そのような弁解を丙が言い出した時期などからみても、容易にこれを信じ難いものであって、にもかかわらずその弁解を一概に排斥できないものとした原判決の判断は不当である、というのであり、甲及びその弁護人らにおいても、一部実行行為に関しての主張に違いはあるものの、本件各犯行は丙との共謀によるものとする点では検察官の控訴趣意と同旨の主張を行うのである。

そこで、それらの所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討していくこととするが、前述のとおり、本件においては、甲及び丙の両名共に捜査、公判の両段階を通じて様々の供述を行い、その中には本件公訴事実に沿う自白部分も含まれるのであって、その信用性の如何が事実認定上の最重要課題であるというべきところ、甲の供述については、本件両事件で丙が殺害、死体遺棄の実行行為を行ったとする部分が虚偽のものであり、真実は甲単独の犯行であったということは、既に関係各証拠の検討によって明らかにされ、また、甲自身も当審公判で自認するに至っているのであるが、そのような自白の多様性や複雑性などに徴すると、共謀の有無に関する部分も含めた各供述全体の信用性を検討するには、まず、本件各犯行に関する客観的な事実関係、特に丙の共謀共同正犯の成否に関連すると思われる間接事実を認定し、これの分析評価を通じて事案を推究するとともに、これとの対比もしながらその自白供述の信用性も確かめていくという判断手法によるのが相当と考えるので、以下その順序に従って原判決の事実認定の当否を検討することにする。

2  共謀の有無に関する当裁判所の判断の概要

共謀の有無についての当裁判所の判断経過及びその結論の詳細は後述することにするが、その概要は次のとおりである。

すなわち、原判決では、その第二部の第四「丙の自白を除いた本件各証拠による検討」(二七六頁〜三五六頁)の項において、共謀の有無に関係する間接事実についての検討を行い、当審における控訴趣意とほぼ同旨の検察官の各主張に対し、いずれも消極的な事実認定もしくは証拠評価をし、結局、被告人らの供述を除いては本件各犯行に丙が共謀関与したことを推認させるに足る間接事実を認めることはできないとしているのであるが、この点について当裁判所として当審における事実取調べの結果も加え関係各証拠に基づいて改めて考察してみるのに、原判決が間接事実に関して行う事実認定とその評価については、一部において必ずしも同じ見解に立てないものもないわけではないが、大要としては、原判決が認定する間接事実が甲及び丙両名の共謀を推認させるに足りないものとする判断は肯認できるところであって、加えて、丙との共謀による犯行に疑念を抱かせるその他の状況の存在も指摘することができ、原判決が間接事実だけでは丙との共謀を推認できないとした結論は支持するに十分である。

具体的にいえば、原判決は、甲及び丙が本件各犯行当時において心身共に一体の関係にあり、経済的困窮の点についても共通の立場にあった旨の検察官の主張に対しては、甲及び丙の間柄が密接な愛人関係にあったのは事実と認めながら、両名の愛情的結び付きはそれほどには強くなく、甲が本件犯行の意図を丙に告げないはずはないというほどの一心同体性までがあったわけでないとし、経済面においても、共同で経営していた「北陸企画」は経営不振で閉鎖が決められていたことで両名の共通基盤は大きく揺らぐ状態にあり、また、当時の借金の状況は、「北陸企画」名義の借金は皆無に近く、それぞれの名義の借金は、主としてZの購入に絡むものであるが、丙には早急の返済を督促されるようなものはないのに、甲の方は、返済のためサラリーマン金融にも手を出すなど困窮振りが目立っているうえ、丙は甲のそのような借金状況を把握しておらず、自分の責任で清算しなければならない借金が存在するとは考えていなかったと思われるのであるから、当時丙においても、甲と同じように借金返済に窮していた事実は認められないとするのであるが、これらの事実関係の如何が甲及び丙両名の共謀や犯行動機の形成等の認定にどう結び付くかといった情況証拠としての価値の点はともかくとして、前記のような内容の原判決の事実認定は、甲及び丙両名の関係について消極的、否定的面を強調し過ぎているきらいがあり、必ずしも正しく実態を把握したものとは思えない。

また、甲が実行に及ぼうとしたDに対する保険金殺人未遂事件(D事件)の本件各犯行との関連性や丙の関与の有無、程度については、まず、原判決が、同事件はその犯罪類型や実行時期からみて本件各犯行との関連性は強くないかのように位置付け、その事件への関与が本件各犯行への加担を推測させる間接事実としての意義を低く評価している判示部分については、どちらの事件も人を殺害してまで大金を獲得しようとするものである点で同一であるとする検察官の反論も結構有力ではあるが、丙の同事件への加功を立証するに足る証拠は脆弱であるとする原判決の判断は正しく、関係証拠から認められる客観的状況に照らすと、逆に丙が同事件で共謀したとは考えにくい事情も浮かび上がってくるのであって、同事件に関する共謀を認めた丙の自白はそのままには信用できないとした原判決の認定は肯認するに足るものである。

次に、富山事件に関し、昭和五五年二月二五日早朝丙が「北陸企画」に出向いたかどうかの点について、原判決は、当日午前六時ころ「北陸企画」前にライトバンが停車しているのを目撃した旨の武田睦子の原審証言(四五回[丙関係のみ。甲については<書証番号略>が同旨])の信用性が相当高いといいながら、なおこれに疑問を残し、併せて丙が当日早朝「北陸企画」に赴いたことを自認する丙自身の捜査段階における各供述の信用性をも否定し、結局、丙がその朝「北陸企画」に赴いた可能性はないと断定しているが、その証拠評価及び判断過程は随分と強引なものであって、この点に関する検察官の控訴趣意における反論も十分根拠があるものといわざるを得ず、素直にその証言及び供述の内容を眺めれば、それらの供述の信用性を否定することは難しいといわなければならない。しかし、一方において、丙が供述するところでは、甲からの電話で呼ばれて「北陸企画」に出向いて行ったとき、そこでAにも甲にも出合わなかったとも言っているのであって、丙の供述が全体的に信用できるものとするのなら、折角誘拐したAがいるはずの場所に行って全く無為に過ごして帰って来たということになり、これはかえって、丙が本件犯行には関与していなかったことを推測させる情況とみるほかなく、検察官がいうように、丙のその朝の動向を丙の共謀を裏付けるに足る間接事実として評価することはできない。

更に、原判決は、長野事件において、丙は、三月三日甲と一緒に富山を出発してから長野、東京、高崎を経て同月八日富山に帰宅するまで終始行動を共にし、甲がみのしろ金要求電話をかけた際にもすぐその近くにおり、金員の受領現場である高崎駅にまで同行して警察官の気配で逃げ出すなどしたことは、一般的にみれば、甲及び丙両名の共謀を示す間接事実とみることもできるとはしながら、甲の供述を分析すると、本件の場合には、甲において警察の目をくらましたり、責任を転嫁するなどの目的で、情を知らない丙を利用するために同行させていた可能性があるものとして、その間接事実としての証拠価値を否定するのであるが(原判決三四三頁〜三四六頁)、情を知らない丙に責任を転嫁しようとしたとする想定が、丙を甲の身代わり犯人に仕立てることで自分の罪責を免れようとしたことを意味するのであれば、それは検察官も反論するように不自然、不合理に過ぎる推論といわざるを得ず、現実にあり得る策謀として可能性を認めることはできない。

確かに、情を知らない丙を同行し、甲が単独で犯行を実行する間も身近かで行動させておけば、いったんは丙に共犯者としての容疑を掛けさせることはできるかもしれないが、最終的に、極刑も予想されるような重罪の刑責を無実の丙に負わせるということが、本人のあらかじめの了解なしに現実に可能になるとは思えないのであって、そのように見込みがない企みを甲が犯行時から抱いて画策していたとは信じ難いのである。

原判決は、甲の供述全体を考察して原判示のような策謀の可能性が見いだせるようにいうが、甲供述の変遷過程や内容の不自然さに着目すれば、そこに何らかの意図的な供述作為があるのではないかと疑って当然だし、そこに本件各犯行時における不可解ともいえる甲及び丙両名の行動の謎を解くためには、甲が自分の犯跡をくらますため何らかの企みを持って策動したと推量することに異存はないのであるが、その作為内容が原判示のような目的のものと決めつけることに賛意を示すわけにはいかない。

しかしながら一方で、検察官が、本件の場合、甲は一切丙と無関係に犯行に及ぶか情を明かして共同で行うかのどちらかであって、その中間の場合は考えられず、丙を終始同行させ欺き続けながら犯行に及ぶといったような事態を想像することはできないという主張にも左袒できない。

その点当裁判所において、甲及び丙両名の密接な男女関係を前提にし、証拠上認定できる多くの間接事実をも参酌し、また、捜査段階での供述を始めとする甲の言動のすべてや丙の弁護人に対する接見時発言や公判弁解といわれる甲から聞かされたという嘘話の内容などを総合して勘案した結果では、原判決の推論とは違った意味合いで甲が「情を知らない丙の利用」を企んだ可能性は十分に存在するものと考えられ、検察官が否定するところの中間の立場での甲の策謀によって丙の存在や行動が利用された疑いは濃厚といえるのである。

すなわち、甲としては、丙に対して、誘拐、殺人等の犯罪計画を打ち明けないまま、他の口実で誘って同行を求め、運転の便宜や心身の安らぎを求めることなどの協力をさせることのほかに、甲とほとんど同一行動を取らせはするが、肝心の犯行は甲が単独で実行して丙には関与させないでおき、その後犯行が発覚しそうになった場合には、やるからには二人の男女関係や行動から当然共同で犯行に及んだはずと思い込み疑ってかかるだろう捜査官の常識的な予断を利用して丙に容疑を向けさせ、一方、容疑を掛けられた丙の方では、捜査官の追及に対し、情を明かされていないことで、全く自分には身に覚えがないこととして本気に弁明することが期待されるとともに、現実に事件に関与していない丙に犯行を裏付ける直接の証拠が存在しないというだけではなく、当然のことながら完全なアリバイさえも成立する場合もあって最終的に有罪として断罪される気遣いはない反面で、甲の方は、丙と一体的な関係にあると思い込ますことで捜査官の追及を言い逃れるといった策謀を持って行動したことが極めて強い可能性をもって浮かび上がってくる。

換言すれば、これは、原判決が推論するように、無実の丙を犯人に陥れる(黒)代わりに甲が罪を免れる(白)という形での罪証隠滅工作(いわば「犯人工作」)というのではなく、甲及び丙両名の一体性を利用し、犯行には直接は関わりがない丙を容疑者に仕立てて注目させ、同人に影武者的役割を果たさせて捜査陣を惑乱させ、最後には丙が無実になるだろうこと(白)に乗じて、甲の方も刑責を免れよう(白)という効果を狙った二個一戦術ともいえるような企み(いわば「容疑者工作」)が存在した余地がないわけでなく、諸般の状況を合理的に推理すると、むしろその可能性は非常に高いものと思われる。

結局、本件にあっては、通常一般の場合においてなら、丙との共謀が疑われそうな情況でも、異常ともいえる事案の特異性を考慮に入れて慎重に吟味するならば、それは検察官がいうような常識的な考え方に従って共謀を推認させる間接事実であると分類評価することはできないものが大いに含まれている。

逆に、間接事実の方から眺めれば、本件においては甲及び丙両名が共謀していたものとするなら理解困難な事情も少なからず見付かり、あくまで共謀があるというのならその疑問こそ解明されなければならない場合である。

何よりの疑問点は、本件のような凶悪で重大な犯罪が連続して二度までも敢行され、検察官が一心同体と呼ぶような密接な男女関係にあったという甲及び丙の両名が共謀のうえその犯行に及んだとされているのに、男性の側の丙が、殺害行為を始め肝心の実行部分に関与した形跡が一切なく、両事件ともに女性である甲が単独で実行したと認められるその犯行態様の特異性にあり、これに対してはよほど合理的な説明が加えられない限り、それでも両者の間に共謀があったということは容易に納得することができない。

更に特記すべき間接事実を挙げれば、長野事件に際して、丙は、三月六日朝、甲が一晩中連絡もなく帰って来なかったということで、長野中央署に交通事故の発生の有無の問合わせをし、その中で甲の動向やZの特徴などを平然と述べているという事実があり、まるで甲の犯行の逆アリバイを捜査官に教えるようなその行為は、共謀があったことを前提として理解することがほとんど不可能であり、共謀を否定する大きな消極的情況とみなされるのである。

以上のとおり、間接事実の認定や評価については、原判決といささか見解を異にするものもあるが、結局は、検察官がいうような常識的な観察からでは共謀を推認させると思われる間接事実も、本件事案の特異性に照らして深く考えを巡らせば、それはいまだ共謀を裏付けるに足るほどの証拠価値はなく、それよりも、逆に共謀を否定する方向で看過し難い情況さえを認められるのであって、全体的に間接事実からは本件各犯行における甲及び丙両名の共謀を推認することはできない。

そこで次に、本件各犯行に関する甲及び丙の捜査及び公判各段階における各供述の信用性について検討するに、結論的にいえば、甲供述については、その供述に作為的な虚偽が交えられていると眺めることは原判決と同様であるが、その作為の内容については意見を異にするものであり、また、丙供述についても、同人が捜査官に対して虚偽の自白をするに至った動機、心情、経緯等の点で必ずしも原判決と全く同一の理解に立つわけではないが、そのいずれについても、本件公訴事実に沿う自白ないし不利益供述の部分は、供述内容が様々に変動して安定性に欠け、内容的にみても不自然、不合理なもので体験供述性にも欠け、客観的事実にも符合せず、相互の供述も齟齬するうえ、なかには明らかに虚偽内容の供述も混じるなどで信用性は甚だ乏しいばかりでなく、特に、甲供述の方には、自己の罪責を免れようとして作為的な供述操作を行ったことが疑われ、また丙供述の方では、捜査官の取調方法と甲及び丙両名の密接な男女関係や本件各犯行のあり方等の中に、本来の刑事責任とは別に道義的責任を取るといった意味での制裁を甘受しようとする心情が形成されていく背景事情も認められるなど供述の真実性を歪める要因も存在し、結局において、甲及び丙の両供述ともに本件各犯行での共謀を証明するだけの証拠価値がないとした原判決の判断は、当裁判所としても肯認することができる。

まず、甲供述は、丙との共謀事実を直接に立証する唯一の証拠(丙の自白を除き)となるわけであるが、その捜査、公判の両段階における供述状況や内容は、捜査当初から原審公判に至るまで様々にまた大きく変遷してきており、当審公判に移ってからも、しばらく丙の殺害実行や共謀を重ねて強調するなど丙への責任転嫁とみられる供述が維持されていたものの、やがてその供述を一変させ、富山事件での誘拐を自認すると同時に、長野事件については、Bは実は甲が単独で殺害したものである旨の逆転自白をするに至ったもので、そのような供述の変遷振りは、自ら過去の供述の虚偽性を暴露してみせた点においても看過できないものである。

とはいえ、甲は、その最終的供述にあってもなお、本件各犯行で丙と共謀したとの主張は維持したままで、特に富山事件については、殺害の実行担当者は丙である旨の供述を固執し続けているのであって、甲が長野事件の実行行為に関しては真実を述べたといっても、既に証拠上明白な富山事件における甲の単独実行の認定に反する主張に依然こだわる姿勢に徴しても、共謀の点を含めた甲の供述全体の信用性が回復するわけはない。

検察官は、甲は捜査当初ころこそ丙をかばって自己の単独犯行を主張していたが、「丙との共謀による甲実行」の自白をするようになってからは、共謀の存在をいう限りで供述の一貫性は保たれていて信用がおけるものであると主張するのであるが、その供述が意図的、作為的に工作された疑いが極めて濃厚であることは既述したとおりで、ただ原判決が、その作為の内容として、甲は最終的な責任転嫁供述を捜査官に信用させる目的で捜査当初の段階から意識的に供述を少しずつ変遷させるなどの操作をしたものと推論することには同調することはできず、捜査当初ころの甲の供述は、前記「容疑者工作」によった供述過程や内容とみることで合理的な説明も可能になると思えるのであるが、捜査の最終段階で丙が殺害実行者と主張するに至っては、もはや丙への責任転嫁の魂胆があったことを否定するのは難しいけれども、これは、甲にとっては丙の捜査官に対する供述内容が期待を裏切ったがための予想外の展開とみることができ、捜査官の丙への予断が極めて強いことを甲が察知したことで改めて自己保身の誘惑に駆られたものと考えてみてもその供述の動機に破綻があるともいえないのである。

次に、丙の捜査段階における自白の信用性について検討するに、その自白を含む全供述の過程や内容の概観は、原判決が摘記するとおり(三六〇頁〜三八一頁)であるところ、原判決は、丙供述は、長野、富山両事件ともに否認と自白との動揺の跡が歴然としていて自白状況の不安定が目立つ点が信用性を減殺する要因としてまず挙げられるとするほか、自白には秘密の暴露とみられる供述部分がなく、共謀がなされたものとすれば当然に認識しているはずの事項についての説明が欠落し、共謀を疑わせる客観的事実についての疑問を解消させるに足る説明もなされていないなど不自然、不合理な点を随所に指摘することができ、また、供述は共謀や犯行手段等の本体的部分について重要な変遷がなされているのに、その供述修正の理由が調書上明らかにされていないなど体験供述性にも疑問があり、更に、丙が共謀についての全面自白を始めたときの状況には、自己の受けるべき刑期について著しい誤解をするなど、その供述の真摯性にも問題があり、結局、丙の自白は、本件各犯行を単独で敢行した甲と愛人関係にあった男としての心理的負担と捜査官の心情論的追及の相乗作用によって、自ら「男の責任」と称する道義的責任を承認する趣旨であえて虚偽の不利益事実を自認したものである疑いが非常に強いものとみて、その信用性を否定しているのであるが、当裁判所の考察によれば、丙が自白するに至った動機や自己の行為に科せられる刑罰を誤解していたとする点については必ずしも完全には見解は一致しないけれども、その自白内容に判示のような多くの疑問点があって信用するに足りないとする結論には賛同できるのであって、これを丙の有罪立証の資料とすることは許されないとした原判決の証拠評価は正当というべきである。

所論は、原判決とは逆に、丙の捜査段階での自白には、秘密の暴露もしくはそれと同視することができる供述が含まれており、多くの間接事実にも符合していて合理的であり、供述変遷の理由も十分理解可能なものであって、自白に至る経緯も自然であるなどと主張して原判決の判断に異を唱えるが、その反論はいずれも容れることができない。

すなわち、丙自白全体の信用性を総括していえば、まず、富山事件については、もし、事前に甲及び丙の両名が共謀して、しかもそれが丙自白が認めているように、誘拐は甲、殺害は丙というふうに役割を分担する謀議までも整っていたものとすれば、甲が折角誘拐に成功して丙に連絡したというのに、丙は計画どおり殺害実行に向けて何の行動も起こさないまま無為に日を過ごし、誘拐後二日以上も経って女性である甲がたった一人で勝手にAを殺害してしまったという事実の経緯を想定しなければならないことになるが、このような不自然極まりない事の推移について、丙自白は全く説明するところがないのである。

所論は、甲がAを二日以上も「北陸企画」に留め置いていたのは丙が殺害実行を逡巡していたことを推認させるというがその論拠は乏しい。

なお、所論はその理由として、富山事件が甲単独の犯行なら、Aを誘拐後三日間も無為に放置しておくはずはなく、これは丙が殺害をためらったなどの外部的要因で犯行遂行につき齟齬が生じたものとみられる、というのであるが、既に考察したように、A誘拐の態様が、同女をすぐに殺害することが具体的計画として確定していたにしては余りにも処遇が手ぬるいものであったということは、むしろその段階で甲自身の殺意がまだ確定的には形成されていないで、その決行に迷っていたものとみられるのであって、これを甲及び丙両名の共謀を動かし難い前提にしたうえでの所論の推論は、問いをもって答えとしていると批判されても仕方あるまい。

何より、甲及び丙の両名が共謀しながら、いざとなって丙が殺害実行をためらうようなことがあったにしても、とたんに甲が代わって単独で殺害行為に踏み切ることになったことの事情は、よほどの理由が説明されなければ納得できるようなものでなく、あらかじめ計画されたという犯行の具体的遂行に支障があったのなら、その善後策は当然共謀者間で話し合われるはずで、その間の事情が全く語られていない丙自白は、それ自体で既に欠陥供述といわざるを得ないが、更に、誘拐当夜は甲から、「女の子が警戒するから今日は来るな。」といって足止めされたということであり、早期に殺害が実行されなかったのは甲の側の指示であったことを供述していることからすると、丙自白の矛盾はいよいよ大きいものになる。

所論は、人の殺害という重大犯罪を丙でなく甲が実行した点につき、先のD事件においても丙は殺害の実行を甲にゆだねたうえ計画の続行をひるんだ例があり、富山事件でも同様の事情があったと推認されるともいうが、D事件で丙が共謀したことは証拠上これを是認することはできず、その際の実行行為に丙が一切参画しないですべて甲一人で行おうとしたことは、むしろ富山事件における甲の単独犯行を示唆する情況として眺めることさえ可能である。

なお、所論は、丙は、共謀による犯行を遂行するため、Aが「北陸企画」に留め置かれている間に同所に出向いて接触しているとするが、そのうちで二月二五日早朝に丙が同所に出向いた事実を自認する丙の捜査段階での供述が信用するに足ることは前述したが、それはまた、その場でAには会わなかったという供述部分の信用性も高いことを示すことになり、このことはかえって、甲及び丙間の共謀については消極的事情とみられるのである。

いずれにしても、富山事件に関する丙の自白というのは、その内容自体が著しく不自然、不合理なものであって、にもかかわらず、その供述が真実の共謀事実を述べているものとみるなら、捜査官としては、すべからくその疑問点を追及して理由を明らかにし、供述調書にもその説明を省くことはできないはずであるのに、それらの不審点の説明が調書にはほとんど録取されていないということは、単に取調べの都合ということで言い訳できるような事柄でなく、自白された事実自体が虚構のものであったため、合理的理由付けができなかったのではないかとの疑念が生ずるのもやむを得ない。

また、長野事件についての丙自白についても、その供述内容中の共謀に関する供述部分に不自然、不合理な点が多く見られるのは同様であり、その犯行が先の富山事件の失敗を踏まえての再犯行である以上、その計画はより緻密かつ周到に練られるはずであり、それもやはり甲及び丙両名の共謀による犯行ということになれば、それぞれの役割分担があらかじめ相談され具体的に決められて当然であるのに、そのような形での謀議がなされたことの供述がまるで欠けているのはいかにも不可解といわなければならない。

丙は、最終的には、三月四日下見途中のZの車中で丙には度胸がないから甲が単独で殺害することになったように述べているが、これは余りにも場当たり的な事の決め方で信じ難く、一方の甲が、当審公判において丙が殺害担当者であったが最後に現場に来なかったと供述しているのと全く矛盾しているのもおかしい。

更に、丙は、三月六日朝長野中央警察署に甲が運転する赤いZが交通事故を起こしてないか問い合わせていることが証拠上明らかであるが、丙がその前夜から甲が殺害行為を含む本件犯行に及んでいる事実を知りながら警察にわざわざ電話し、甲の実母にまで甲の安否を尋ねたと述べている供述部分(<書証番号略>)は、丙の共謀を前提としてでは到底理解不可能な文意であり、共謀を是認しているその供述部分を信用することはできない。

自白内容の変遷に関して、所論は、原判決が変遷と指摘するもののうちには必ずしも実質的に変遷があるとまではいえないものもあり、変遷があっても供述の信用性を損なうほどの不自然性はないと主張するが、確かに一部には取り立てて問題とするような変遷でないものはあるものの、全体としての供述変遷は著しく、これが信用性の大きなマイナス要因になることはいうまでもない。

次いで、原判決は、丙の供述過程に従い、その供述態度や捜査官の取調方法等をも勘案しながら追跡的に検討して自白の動機、原因を推究した結果、本件両事件についての共謀事実を認めた丙の自白が反省、悔悟に基づいた真摯なものであったとは考えられず、その真の動機というのは、愛人関係にあった甲が、やがては丙にも利得が還元される可能性もある大金を奪取しようとして本件各犯行を行ったことに対して男としての心理的負担を抱いていたところへ、捜査官からの心情論的追及や説得を受けてその心理的負担を増大させ、最終的には自らの道義的責任を承認する趣旨で虚偽の自白に及んだ可能性が強いものとする推論については、当裁判所としても基本的に同調するものであるが、その理由とするところでは多少意見を異にする。

原判決では、丙が全面自白をするに先立って、刑期のことを気にしたり、弁護人を選任すると言ったり、良心が許さなくなったと言いながら自白が一部にとどまっているなどのことは不自然であるというのであるが、そのような評価には経験則上の裏付けがあるとは思えないし、更に、丙がそのとき、自白した場合に自己が受けるべき刑を著しく過少に誤認していたことが虚偽自白を誘発する危険性に繋がったという考察にもにわかに賛成することはできない。

すなわち、前者については、それまで事実を否認していた犯人が自白に転ずるに当たり、その後の処罰がどうなるかを気にして弁護人の弁護活動を期待することを不自然な心の動きとするのは理解し難いし、自白が一部にとどまっているという見方も、自白する以上は容疑事実の全貌を明らかにするのが当然とするわけにもいかない。

また、刑罰に対する著しい誤認というのも、当時捜査官からいわゆる「男の責任」絡みで追及を受けていた丙としては、殺人までも含んだ本件両事件全部の容疑を認めるまではできないが、正式に犯罪になるかどうかは別にして、自分なりに責任を取ってもいいと考える罪の範囲内であればこの程度のものという刑罰の相場を口にしたものと受け取れるのであって、甲と同罪に評価される共謀共同正犯の場合を基準として刑罰の比較を論じるのは相当でない。

察するに、丙がその当時、自己の行為の刑事責任と道義的責任とを明確に区別して意識していたかどうかは明らかでなく、刑罰の誤認とみられるような発言を行っていたことからしても、丙自身が公判弁解で主張しているように、長野事件で丙に詐欺まがいの悪事に加担して大金を得ようとする限りでは甲に協力するつもりがあった以上少なくともその限度での刑事責任はやむを得ないとする覚悟に道義的責任感が加わって本件両事件での事前共謀の虚偽自白に及んだ可能性が強く窺えるのであって、このようにみることによって丙が何度も弁護人と接見して捜査官には事実を述べるようにとの助言を受けながら、なお自白した経緯が理解できるのである。

しかし、いずれにしても、本件各犯行での事前共謀を認めた丙自白には、虚偽供述がなされる要因が十分存在するのであって、これに捜査官の取調方法の在り方も影響して、丙がいわゆる「男の責任」を取るという心境にもなって取調官が求める内容の自白を迎合的に行った可能性は強いのであり、前述のような供述内容自体が含んでいる欠陥とも併せて、その信用性は否定せざるを得ないのであって結局同旨の原判決の判断は正当である。

最後に、丙は、原審公判において、本件各犯行の前後を通じての真実の事実関係として、要するに、甲からは「金沢の土地の件」や「政治資金の件」で大金が手に入るという架空の儲け話を聞かされて騙されていたものである旨の弁解を詳しく述べるに至っているが、原判決は、このような丙の公判弁解を関係証拠によって積極的に肯認することまではできないが、これを虚構として直ちに排斥することもできないとするのに対し、所論は、丙の公判弁解が信用できない所以を様々の観点から述べて反論する。

しかし、公判弁解の真否はこれまで検討してきた間接事実の認定評価や甲及び丙両名の各供述の信用性の判断と裏腹の関係に立つもので、検察官が前提とする事実関係に基づいて甲が丙を欺く必要もなければ、その可能性もないというのはともかく、当裁判所が考察した結果である「情を知らない丙の利用」があり得ることを念頭に検討すれば、逆に、その公判弁解にあるような事実が存在する可能性は高くなるのであって、確かに、その公判弁解の中には常識的になお不自然と思える点は残るが、本件事案の特異性に着目し、併せて甲の普段からの虚言癖や本件での供述過程でも明らかにされている作話能力、あるいは甲及び丙両名の密接な男女関係等にも照らして勘案すると、丙の公判弁解がいうような事実が実在した可能性は否定し難いものといわなければならない。

もちろん、丙の弁解のすべてが積極的に真実に違いないことまでの心証が得られないのは原判決がいうとおりではあるが、丙の自白の信用性を確かめる意味においては、その不明部分の完全な解明が必要とされるわけのものでないことは、立証責任上自明のことである。

以上、本件両事件については、間接事実や甲及び丙の各供述のほか、取り調べたすべての証拠を検討しても、丙が甲と共謀して犯行に及んだ事実を明らかにすることはできない。

3  共謀の有無に関する各事項についての検討

以上、共謀の有無に関する当裁判所の総括的な検討経過及び判断要旨を述べ、最終的には、本件各犯行について丙の共謀による関与は認められないという結論を示したのであるが、以下に、所論にかんがみ、関係する各事項ごとにその判断内容を詳述する。

(一) 間接事実について

本件においては、甲及び丙両名の共謀の有無について直接に触れる両被告人の各供述は、その折々で大きく変遷して一定せず、内容的にも不自然、不合理と思われる部分が多々あってその全部を直ちには信用できない場合であるから、これら供述の信用性についての検討はとりあえずおいて、まずは、原則的に、客観的証拠ないし甲及び丙両名の公判供述中の争いがないものにより、また例外的には、必要に応じて信用性が肯認できる限りの各被告人の捜査段階における一部供述にもよって認められる間接事実を認定し、それが共謀の有無を判断するうえでの情況事実としての意味するところを考察するとともに、併せて甲及び丙両名の各供述の信用性を吟味するための資料ともすることにするが、以下には、まず、これら間接事実についての原判決の認定及び評価とこれに対する検察官の控訴趣意における反論を中心にして順次検討していくことにする。

(1) 甲及び丙両名の愛情及び日常生活面における一心同体性について

原判決は、検察官が、甲及び丙両名は本件各犯行を共同で行って当然といえるような心身共に強固な一体性があったと主張するのに対し、甲及び丙は、昭和五二年九月に知り合って以来、愛人関係を継続して本件犯行時まで至り、特に、贈答品販売業の「北陸企画」を共同で経営するようになってからは、その事務所を二人の同棲場所も同然に利用するなど親密な間柄にあったとしながら、甲は、丙と知り合ってからのちも結婚相談所から他の男性の紹介を受けたり、また、その紹介を受けた一人であるEと交際を継続して昭和五五年二月二八日には借金の返済猶予を得る代償として性交渉に応ずるといった事実も認められるとともに、甲の捜査段階における供述状況からは、丙を利用しようとする意思が見え隠れすることなどからすると、甲が丙に対して、愛情及び日常生活面で一心同体と評価できるほどの一体感を抱いていたとは解されない旨判示するのであるが(二七七頁〜二八二頁)、検察官が主張するところの一心同体性というのは、厳格の意味での純愛で固く結ばれ隠し事なども一切しないような関係を指すものでないという言い分は理解できるものであり、関係証拠によっても、甲及び丙両名の関係は、もともと互いの家庭や自由を損なわないことを条件とするいわば大人の付合いといったことで始まり、それでも甲は、自分が才覚があって金儲けもできる女性のように振る舞い、年下の丙に対してかなりわがままな態度で自分の意を通すことも多くあったのであるが、一方で病身の丙を案じ、同人の望みをできるだけかなえてやろうとして献身的ともみえる姿勢で愛情を傾けるといった一面もあり、丙としても、畏敬もする女性にそのように尽くされて男冥利に思いながら不倫関係を継続していたことは、進んで公判供述で自認するところでもあって、本件当時、「北陸企画」を閉鎖することになっていたという事情も、必ずしも二人の関係の終息を意味するわけでないことは、その後長野事件に際し、共謀の有無は別として、丙が甲と終始密接に行動を共にしていたという事実だけからでも推察することはできるのである。

原判決が、甲が愛情面で丙を裏切ったかのごとくに取り上げる事実も、相談所を通じて付き合う他の男性がいたという点は、甲及び丙の関係が前記のような内容のものとすると、格別に裏切り行為と咎め立てするほどの問題ではなく、富山事件ののちの出来事であるEとの情事も、犯行に失敗した甲が同人からの厳しい借金の催促を免れる方策に窮してやむなく応じたものとみれば、同事件の動機にも繋がったかも知れないその当時の甲の切羽詰まった立場が推察されても、これが丙に対しての大きな背信行為とみなさなければならないほどの出来事ともいい難い。

しかしながら、そのような甲及び丙の関係は、両名が共同で本件犯行を行ってもおかしくない間柄であるとみることはできても、検察官がいうように、甲が犯行を行うにつきその情を秘匿しなければならないような事情はなかったというほどの一体性であると結論することもできず、逆に甲としては、気心が知れた密接な男女の間柄にあったことで、丙には情を知らさないまま自分の犯行の周辺で行動させても不安を覚えない存在として考えた可能性もないわけではない。

要は、甲及び丙両名の一体性の意義付け如何によってその答えは違ってくるのであって、原判決がいうように両者の関係をことさら引き離した眺め方をしなければ、共謀事実を認めざるを得なくなるような事情ともいえないのである。

なお、原判決は、逮捕後の甲の供述には丙を利用しようとする意思が窺えるとして、犯行当時には甲が丙に対して愛情を持っていなかったものと推測するようであるが、その推論が、甲が丙を自分の身代わり犯人に陥れて一人罪を逃れようとしていたと考えられるとするのであれば、それは必ずしも的を射た想定とはいえないし、何よりも本件における甲供述の信用性は、そのような愛情の有無に関わるものとは考えられない。

愛情及び日常面における甲及び丙両名の一心同体性についての原判決の認定及び評価は、消極面を強調し過ぎているきらいがあるとはいえるが、かといって、甲及び丙の親密な関係はそれ自体で本件犯行を共同で行うのが当然とするようにいう検察官の主張にもくみすることはできない。

(2) 甲及び丙両名の経済面での利害の共通性について

原判決は、甲及び丙両名の経済面での基盤の共通性につき、共同経営にかかる「北陸企画」を二月に閉鎖するのに伴ってその基盤は大いに揺らぐことは避けられない状態であったとし、また、両名の犯行当時の借金状況については、「北陸企画」名義の借金はほとんど皆無であり、富山事件当時の甲名義の借金は、国民金融公庫、E及びサラリーマン金融から借り入れた合計約三〇〇万円に上るのに、丙名義の借金は、僅か合計八五万円に過ぎず、しかもそれらの借金は、昭和五四年九月に購入したZの代金支払いが発端となって生じたものであって、その実質的購入者が甲と丙のどちらであったかは証拠上確定し難いが、その後の借金状況を眺めてみると、甲は、自己名義の借金の返済に困窮していた様子が歴然としているのに、丙の方は、Z購入のために自己名義で借り入れた第三者の借金を甲名義に転化したり、甲が都合した金を自分の借金の返済に充てたりしていて、甲が返済に追われていた借金分を自分の責任で清算すべきものとは考えていなかったと理解できるとし、甲及び丙の両名が一定限度で経済的な利害関係を共通にしていたことはあるにしても、丙の側に大金を入手しなければならない差し迫った事情は見当たらず、丙についても借金返済が主たる犯行の動機とする検察官の主張は根拠に乏しいものであると結論する(二八二頁〜二九三頁)。

これに対し、所論は、甲及び丙両名の借金の原因や実態を検討すると、その借金の大部分は、実質的には両名の共同購入とみることができる高額なZの購入にかかるものであって、その当時の借金の実態は両名共通の債務と把握すべきものであると反論し、証拠上認められる購入資金の算段、その後の借金名義の転化の実情、借金の返済に関するやりくり、甲の新しい借金に際しての丙の協力等を挙示して、これら債務は名義の如何によらず甲及び丙両名に共通の債務であったのであり、丙についても本件犯行の動機になり得る大金入手の必要性があったものと主張するのである。

検討するに、確かに、原判決の甲及び丙両名の経済的利害の共通性についての論調は、丙がZの購入に当たっては自らの名義で手続きを取り、その際の代金の調達は専ら丙が当たり、その後も甲の借財の連帯保証人になったり担保を提供したりもしている事実などから窺える両者の協力関係などにも照らすと、余りにそれぞれの経済的利害を分断して考え過ぎている気味がなくもないのではあるが、それでも、所論が取り上げているように、本件各犯行当時の甲の借金は、Eからの借金のうち四〇万円について二月一〇日の返済期限を徒過して厳しい督促を受けており、サラリーマン金融二店への合計六五万円の支払いが二月末の目前に迫っており、国民金融公庫への一五〇万円の分割弁済も三月中旬に始まることになっていたことなど、焦眉の急というほどに切羽詰まった状態にあったことが明らかであるのに、丙がその事実を知り、これを両名共通の課題として清算しなければならないものとして対処しようとした様子は全く窺えないばかりか、逆に、甲に対してはZ購入に絡む手形の決済資金の手当てを迫り、甲が苦労して金策した金を自分の身寄りからの借金返済に充てるなどしている点は、丙が甲と二人して共通の借金返済にあえいでいた姿からは程遠いものであって、当時甲に対し「金、金」といって責め立てていたと自認する丙の公判供述も、その間の事情に符合するところであり、そのような借金の状況をもって、本件各犯行を甲及び丙両名が共謀して行ったことを推認させる有力な間接事実と評価することができないのは、原判決がいうとおりである。

もっとも、甲が本件各犯行によって入手しようとしたとされる一五〇〇万円ないし二〇〇〇万円という金額は、当時甲が返済に苦しんでいたという借金の額をはるかに超える大金であることからみると、その犯行のきっかけとして借金の存在があったとしても、犯行の動機は単にそれだけにとどまったとは限らず、甲自身が捜査段階で述べているように、東京方面への移住のための費用や丙との男女関係を将来とも維持継続するために必要とする資金を得ようという目的も加わっての一獲千金の野望に取り付かれた犯罪計画であったものとすると、必ずしも甲及び丙両名の借金の実態のみで共謀の有無の判断が左右されるわけではなく、それだけが持つ間接事実としての価値もさほどには大きいものとはいえない。

(3) D事件について

甲が、昭和五四年五月から八月にかけて、知人のDに加入させた生命保険金を騙取するために同人を殺害しようとして失敗に終わった事件(D事件)に丙も加担していたかどうかは、本件各犯行における丙の共謀の有無を判断するうえで極めて重要な事柄である。

原判決は、この事件が甲の本件犯罪計画の立案に有機的関連性があることは認めながら、なお、犯罪類型、実行時期等からみて本件各犯行同士のような強固な密着性はないとして消極的な評価をするようであるが、D事件の内容からすると、丙がその事件に共謀して加功していた場合はもちろんのこと、共謀はしていなくとも甲が人の命を犠牲にして大金を入手しようとする犯罪を現実に行おうとしたことを事前に認識していたというだけでも、その僅か六か月ほどのちに敢行された本件各犯行について丙の共謀が疑われる有力な状況とみなさないわけにはいかなくなると思われる。

しかしながら、原判決では、関係各証拠を総合し、D事件への丙の共謀を直接に立証する内容の甲及び丙の各供述の信用性に疑問を呈し、客観的証拠から窺われる事情にも丙が同事件に関与していなかったことを示すものがあるとして、結局、丙が同事件で共謀したことを否定するのであって、その結論は、当裁判所としても首肯することができるものである。

まず、原判決が認定するD事件の概要というのは、甲は、かねて交際があったDを被保険者として災害死亡時四〇〇〇万円の生命保険に加入させ、受取人を自分にしていたことから、やがてその保険金欲しさの気持ちが高じてきて、ついには自らDを殺害して多額の保険金を入手しようと考えるに至り、昭和五四年三月には、念のため更にDに頼んで前同様甲を受取人とする災害死亡時五〇〇〇万円の生命保険に別途加入させたうえ、同人を殺害する機会を狙ううち、同年五月ころ、二度にわたって山菜採りの名目で同人を富山県中新川郡上市町地域内の山中に誘い出し、崖から転落死させることをもくろんだ(以下「山菜採り事件」という。)が、適当な場所が見当たらなくて実行するまでには至らず、次いで同年八月、今度はDを海水浴に連れ出し虚言を弄してクロロホルムを吸引させたうえ同人を海中に引き入れて溺死させようと企んだ(以下「海水浴事件」という。)が、クロロホルムの効果が十分現れなくて結局失敗に終わったというものであり、この認定事実の限りでは当事者間にも争いはないのであるが、甲は、捜査段階及び原、当審公判を通じて、本件各犯行同様、D事件についても丙と共謀して行ったもので、実行行為への加担こそ相手のDが用心して誘いに乗ってこないおそれがあったのでさせなかったが、事の首尾はその都度丙に報告していたものであると供述するのに対し、丙は、捜査段階で一時共謀を自認する供述をした時期はあったが、最終的に原審公判段階においては、その関わりを全面的に否認するところである。

そこで、同事件における共謀の有無を確かめるためには、単に客観的な証拠の検討のみでなく、その点についての直接的な証拠である甲及び丙両名の各供述の信用性の吟味が欠かせないことになるが、所論も、同じく両名の各供述の信用性を中心に反論しているので、本項では、その所論にもかんがみ、のちに行う両名の各供述全般の信用性の検討に先立って、必要な限度で各自の供述も取り上げて検討を加えることとする。

ア はじめに

D事件における甲及び丙両名の共謀の有無に関して当裁判所が関係各証拠を総合して検討した結果、結論的には原判決の判断を肯認できるとすることは既に述べたが、当裁判所が推認する事実関係は、丙は、甲からDを殺害して保険金を取る話を聞かされたことはあったかもしれないが、それは、甲の思惑もあって必ずしも真剣に具体的な犯罪の共同実行を持ち掛ける形でなされたわけでなく、丙としては一種の冗談話と受け取って適当に相手に調子を合わせ、あるいは聞き流していたところ、甲は、丙のそのような態度を見て同人は重大犯罪の共犯者とするのに適格ではないと判断し、自分一人でDを殺害して保険金を入手する企みを実行しようと企て、山菜採りにかこつけて同人を誘い出してはみたが、適当な場所が見当たらなくて実行するに至らず、改めて、第三者の女性と組んだ海水浴事件において実際にDを殺害しようとしたが、クロロホルムを吸入させただけのことで失敗に終わったのち、丙にDを手に掛けようとして果たさなかったことを話したところ、丙としては人を本当に殺害しようとするなんてとんでもない話だとしてこれをたしなめたという経緯のものであった可能性が大きいと考えるものであって、丙が本件各犯行について警察での取調べを受けるようになった当初の段階で、取調官に対して甲が犯人かも知れないとの疑惑を申告するに際し、その不審の根拠を説明する一助としてD事件にも言及し、今にして思えば、あの時の甲は本当にDを殺す気でいたものと思われるという自分の推量を述べたものと考えれば、丙の供述内容も自然な流れのものとして理解することができるのであって、同事件について丙と共謀したという甲の供述は信用できず、丙自らがその共謀を自認した供述部分も、のちに検討する本件各犯行自体についての自白の場合と同様、その信用性には多分に疑問があるのであって、結局は、取り調べた全証拠をもってしても丙がD事件で共謀し、あるいは事前にその計画を認識していたとはいえず、また、その事後においてでも甲が実行しようとしたD事件の内容について明確な認識があったともいい切れないのである。以下にその理由を述べることとする。

イ 丙がD事件で共謀したことを疑問とする諸事情

本件各犯行が甲及び丙両名の共謀の下に行われたとするのに疑問を抱かせる最大の問題は、丙がその実行行為はもちろんのこと犯行の核心的な部分に全く関与していないという点にあるが、D事件においてでも、甲が丙を共謀による共犯者であると指摘しながら、丙にその実行行為の一部たりとも関与させていないというのがいかにもおかしく、しかもそれについて、甲が意図的に丙を実行行為から遠ざけたという弁明の理由がまた不合理極まりない内容のもので、この点の疑問が解消されないまま、甲及び丙の両名がただ自白しているからといって、その各供述を直ちに信用するというわけにはいかない。

甲の原、当審公判供述を通覧してみても、甲はDに勧めて高額の生命保険に加入させたりはしたが、どちらかといえば毛嫌いしているのにしつこく交際を望んでくるDに辟易し、同人に対する否定的な感情が高じて、「あんな男は死んでしまえば私が高額の保険金を手にすることができる」という思いにとらわれるようになり、これを丙に対しても口に出して話題にしたということは十分にあり得る事態と思われ、これが現実的な犯罪計画として丙に謀られ、甲及び丙両名間で具体的にその手段、方法が練られたというのに、丙がことさら実行行為から外れ、女性である甲だけが殺人という荒仕事を引き受けたものとするのは、そのような共謀事実を裏付けるに足る状況が皆無といってよいばかりではなく、検察官が一心同体というほどに親密な関係にある男女二人が共同して行う犯行の態様として余りにも不自然、不合理といわなければなるまい。

まず、D殺害を目的として最初の実行を目指したとする山菜採り事件についてみれば、甲が二度にわたってDを誘って山中に行ったのが、あわよくば同人を崖から突き落として殺害することの思いを胸に秘めた行動であったとはいっても、適当な場所が見付からなくて断念したというその経過には全く切実感が伴わず、その時期、甲自身に直ちにDを殺害しようとする明確な犯意まであったとみることができるか疑問であって、いまだ模索段階での「瀬踏み行為」にとどまるものであった可能性が強く、これが丙との間で共謀というほどに意思を通じ合った計画の実行であったとは考えられず、また、それ以前に丙が甲に頼まれて付近山中などをZでドライブした行為も殺人計画に基づいての下見であったとは思えない。

次に、海水浴事件については、甲は、知人の女性をわざわざ高額の謝礼を出すと言って仲間に誘い入れ、クロロホルムを準備携行し、Dを乱交パーティーの練習にことよせて海水浴場に連れ出し、実際にそのクロロホルムを同人に吸引までさせていることからして、これが実際にDの殺害を目的とした犯行の一環であったことに間違いはないが、その犯行が丙との共謀によるものというのなら、なぜ丙がその実行行為の一部にしろ関与しないのか、Dを誘い出すのに邪魔になるといっても、犯行は夜間のことで、しかもDにクロロホルムを吸引させて意識を失わせたうえ同人を海中まで運んで溺死させる計画であったというのであるから、丙が甲らの車のあとを密かに付けて現場に赴き、正体不明になったDの体を運搬するのを手伝うことに何の支障があろうとも思えず、むしろ、計画どおりに事を運ぶためには掛替えがない男手でもあったはずであるのに、その協力を頼まず、わざわざ知人のT(のちにT2と改姓)を三〇〇万円もの高額な報酬を支払う約束で犯行を手伝わせることにしたという矛盾行動について合理的な説明を加えることは不可能と思えるのである。

もともと信頼できる愛人の丙が共犯者であったというのに、殺人を内容とする凶悪かつ重大な犯罪を実行するに当たり、その丙をわざわざ実行行為から排除し、代わりに犯行発覚のおそれが多分に心配される頼りない第三者の女性を金で誘って仲間に加えるなどという犯行態様が、不自然極まりないものであることは多言を要しないところである。

原判決は、そのように甲が他の共犯者と手を組んで犯行を行うことを丙には内緒にしていた可能性が強いこと、丙はD事件での目的である肝心のDに掛けられていた保険金について、当初の四〇〇〇万円の保険金契約以外に改めて五〇〇〇万円のものが追加して掛けられた事実を知らなかった可能性が極めて強いことなどを消極事情として挙げているが、その点も含めて、Dを殺害して保険金を騙取しようという犯行を甲及び丙両名が共謀して計画実行しようとしたということは、状況的にみて容易に信じ難いものである。

ウ 甲がD事件において丙に行わせたというアリバイ工作について

のみならず、丙は、海水浴事件が実行された八月九日深夜、富山市内のキャバレーなどで遊興したのち馴染みのスナック「スコッチ」に出向いて飲酒し、そこから同店のママの取次ぎで「北陸企画」に電話して甲を呼び出して車で迎えに来させており、これが甲から丙に持ち掛けて取らせた処置であることも証拠上明らかであるところ(<書証番号略>、原審二二回江本京子[丙関係のみ。甲については<書証番号略>が同旨])、甲自身は、これは丙のためのアリバイ工作であったと主張するのに対し(原審七九回、当審三回、二六回等)、丙は、甲からアリバイ工作として頼まれたわけではないけれど、甲に「その夜桜木町辺りに飲みに行ってもよい、遊び終わったら『北陸企画』へ電話したら迎えに行ってあげる」と言われた旨供述するのであって(原審九四回等、当審二七回)、果たしてそのような甲及び丙の行動は何を意味するのかが問題となるのであるが、この事実は、検察官が主張するようにD事件における甲及び丙両名の共謀を指し示す事情というよりも、逆にこれを否定する方向への矛盾状況としてとらえられるべきものである。

すなわち、この点についての甲の公判供述によれば、話はもともとD殺害の実行行為に参画しない丙がその間をどうしていようかということから考え出されたアリバイ工作というのであり、それも当初は、八月八日夜に予定していた犯行に合わせ、甲が共犯者の他の女性を車で迎えに行く前に丙を富山市内の飲屋街に降ろし、そこで丙はキャバレー「加賀小町」等で遊んで、ホステスを指名し領収書か名刺を貰うなどして印象付けたうえ、馴染みのスナック「スコッチ」へ行き、午後一一時ころ、店の人に「北陸企画」へ電話してもらって甲が所在しているのを確かめて迎えに来てくれるように頼んでもらうという手はずを整え、当日そのとおりに丙が行動したのに、甲の都合でその日の実行を取り止めたため無為に終わり、改めて翌九日夜に同様のアリバイ工作に及んだものであるが、それは同時に、甲にとってみても「スコッチ」からの電話のとき「北陸企画」にいたということで、ずっと前からそこに甲がいたように人が思うのではないかという気もあったという程度のことであって、あくまで当初の目的は丙のためのアリバイ工作であったと言い張っているところ、そもそも丙はD殺害の実行行為には何ら関与していないばかりか保険金詐取の手段その他犯罪の目的達成に役立つ何らの役割も果たすことになっていなかったというのであるから、丙自身のためにことさらそのようなアリバイ工作をする必要はないはずであって、それでも仮に丙がDの殺害に関係がないことを他に強く印象付ける必要があるというのであれば、甲がその犯行に及んでいる時刻に友人や知人のもとなどで丙を過ごさせることぐらいで容易に目的は達せられるのであって、それをわざわざ手が込んだ方法で丙の姿を飲屋街に出没させるなどの方法を講ずるというのは、甚だ理解に苦しむアリバイ工作といわなければならない。

更にいえば、甲及び丙の両名は、海水浴事件の実行日である八月九日を前後して二晩連続してモーテルに同宿し、前日の八日には二人そろって「スコッチ」に出向いたうえで翌九日に丙が店の人に電話の取次ぎを頼んだという事実が認められ、検察官は、これをもって甲及び丙両名の共謀を窺わせる状況と主張するのであるが、甲及び丙の両名が、実際には実行行為に加担する予定もない丙のアリバイをそれほどに気に掛けるというのなら、その犯行のまさに前後に二人がこれみよがしに密着行動を取るというのが逆に不自然な動きであり、もともと丙自身のためには必要があるとは思えない不可解なアリバイ工作との整合性が保てないのである。

結局、右アリバイ工作というのは、甲が自分自身の罪証隠滅の目的で丙を利用したのではないかということが疑われてくるのであって、それも直接殺害の実行行為を行う甲には本来アリバイは成り立ち得ないことを考えると、その意図するところを容易に推測しにくいのではあるが、いずれにしても、丙のためのアリバイ工作ということは考えにくく、D事件が甲及び丙両名の共謀のうえの犯行とする甲の言い分を前提にしたうえでは、このアリバイ工作を合理的に説明することは困難である。

しかし、いうところのアリバイ工作なるものが甲の働き掛けに応じて丙が行動したことに間違いはない以上、これが全く見当外れの無意味な行為とも考えられない。

そこで、甲及び丙両名が共謀していた場合を前提にして本件のアリバイ工作の意味するところを考察してみて、それが甲が主張するような共謀を前提にしたのでは事実関係がうまく整合しないことが確かめられたとなれば、その反対の場合、つまり、甲及び丙両名が共謀はしていなかったならばどうかという視点での検討をしてみる必要が当然出てくるのである。

そこで案ずるに、もともと甲としては、D事件での殺害行為などに加担させてもいない丙についてそのアリバイ工作をする必要がないことはつとに承知していたはずだが、甲と深い愛人関係にある丙とは一心同体的に思われているだろう二人の間柄を逆に利用し、特に、実行行為の前後ころには意識的に丙と密着行動を取ることでその印象を他に強めたうえで、実際の殺害行為を甲が実行している時刻に合わせ、当然共同して犯行に及ぶだろうと疑われる立場にある片割れの丙にはっきりしたアリバイを成立させ、そのことで甲自身にもアリバイが成立するかのように装うという方法を考え付き、丙にはそれと情を明かさないままにそれとなく指示して事実上甲の思惑に沿った行動を取らせて協力させるということが可能性として浮かび上がって来るのである。

もちろん、これはいまだ可能性としての想定にとどまるものではあるが、間接事実の情況証拠としての評価に当たって、本件アリバイ工作や犯行前後の甲及び丙の行動などの意味するところが共謀の存在に疑問を抱かせるようなとき、逆の立場で他の可能性を探ることでその証拠価値を確かめることは許されていいはずである。

そして、このようなD事件における犯行の態様は、その後敢行された本件各犯行の態様とも奇妙に符合するところがあり、そこには甲及び丙両名の共謀の有無を探る鍵が秘められているかも知れないという思いさえも禁じ得ないのであって、今後における本件各犯行の検討に当たっても、両名の共謀に疑問を抱かせるような場合には本件アリバイ工作について行ったのと同様の考察を行って事実関係を検証してみることが肝要と思われる。

エ D事件についての丙の自白とその信用性について

ところで、丙は、その捜査段階において、D事件において甲と共謀し、あるいは、計画は事前にすべて知っていたかのような供述(弁護人に対する接見時発言を含む。)を行っているのであるが、これについて原判決は、丙がD事件について共謀していたという供述を全面的に信用することはできないとはいいながら、殺人計画の一部についての関与は否定できず、また、少なくとも事後的には顛末を聞かされたとの認定は可能であるとしたうえで、なお、D事件と本件各犯行との間には必然的な犯罪の一連性まではなく、丙は甲のD殺害計画を事前には知らなかった疑いが強いことに加え甲が殺害失敗後もその計画を完全には放棄していなかったことに気付いてなかったと思われるのであるから、本件各犯行は、その後甲が丙に謀ることなく単独で計画し実行した疑いが生ずるものとして、D事件での右の程度の丙の関与をもって、検察官が主張するように、本件各犯行の共謀を推認させる事情として位置付けることはできないと結論するのである。

これに対し、所論は、丙は、捜査段階での当初取調べ(三月三〇日)から、D事件について甲と共謀していたことを自発的かつ詳細に自白しており、以来その自白を維持してきたうえ、弁護人との接見時においてでさえも同事件への加功を認める発言をしていたばかりでなく、丙の自白は甲の供述に先行しており供述内容には秘密の暴露と同視できる供述も含まれていることなどを挙げて、丙のD事件についての自白は信用できる旨反論するので、以下検討する。

まず、所論は、丙は三月三〇日の広瀬吉彦警部の取調べに対し、富山事件については否認していたが、同警部が前もって把握していなかったD事件につき甲と共謀して行ったことを自発的かつ詳細に自白するに至ったもので、その自白内容は調書化しなかったものの、それは当時長野県警と競合していた捜査が錯綜し、当面の富山事件に的を絞って取調べを維持するように上司から指示されたという捜査上の都合があったからであるのに、その間の事情をいう広瀬証言(原審一三九回等)の信用性を否定した原判決は失当であるというのであるが、原判決が、丙は富山事件での自らの共謀加担は否認したうえで甲に対する不審点としてD事件に関する供述を始めたといいながら、たとえ未遂に終わったとはいってもその殺人事件への関与は進んで自白したというのは供述経過として理解できないし、そのように甲と殺人を共謀したという丙の自白を得たという取調官がそれを調書に全然記載しないというのは不自然に過ぎるとしたことは、当裁判所としても全く同感であって、所論がいうように、富山事件での関与を否定していた丙が、取調官の追及をかわすため未遂にとどまっていたD事件の方を自白したなどという強引な解釈に従うわけにはいかない。

大体、丙の三月三〇日における広瀬警部の取調べというのは、その前日、丙自らが本件各犯行に関して警察に話したいことがあるということで進んで警察署に出向いて行き、自らの潔白をいうと同時に甲についての不審点を打ち明けることになったもので、D事件のことも甲に関する疑惑を訴えるための自発的供述の一環とみられるのであって、その段階で丙はいまだ本件各犯行の犯人容疑で厳しい追及をされていたとは考えられず、丙が富山事件での自分への追及をはぐらかすためにD事件の方だけを早々に自白したという想定は状況的保障にも欠けるものといわなければならない。

所論は、前記広瀬警部の原審証言によって丙が三月三〇日にD事件を自白したことを認めることができるようにいうが、この点については、原判決が説示するところをそのまま肯認できるといってよいが、もともとD事件について丙が捜査官に対してどのような内容の供述を行ったかということを、その際の取調状況を明らかにするということでなく、丙の犯罪事実の自認を含む供述内容自体を真実のものとして立証しようとするためには、伝聞法則上の制約もあるはずであり、また、実質的な証明力の点からみても、もし捜査官が丙を富山事件の有力な容疑者と睨んで追及していたとき、丙がその事件への関与は否認しながらもこれと密接に関連するD事件で甲との共同犯行を明確に自白したというのであれば、これを簡単にでも調書化しないということは考えられず、それが当面の取調べの対象でない余罪だからという理由で調書録取を指示しなかったともいう大澤秀作(刑事部参事官)の原審証言(一四八回)の信用性にも疑念を拭うことはできないのである。

所論はまた、丙はその後もD事件の自白を維持していたと主張するが、もともと取調べ当初に自白があったとすること自体に疑問があって主張の前提が欠けるといわなければならないが、丙のその後におけるD事件についての供述状況をみても、原判決もいうとおり、四月一一日までの供述内容は、「D事件に積極的に言及していたこと自体は否定できないが、長野事件への関与を否定し、甲の詐言に欺かれていたことを納得させようとの意図から供述されたことは明らかであり、全面的な関与を認めた内容であった可能性は薄い。」(五〇七頁〜五〇八頁)のであって、その限りで丙の当初の供述と内容的に軌を一にするものといえよう。

もっとも、丙が長野事件での事前共謀を認めるようになった四月一二日以降五月一三日までの間の供述では、D事件でも甲と共謀し、その計画の全貌は事前に承知していた旨の自白をするようになり、その態度がのちに富山事件を否認する供述をしていた時期においてでさえ変わらなかったことは原判決も認めるところではあるが、この自白内容には、本件各犯行自体の事前共謀を認めた丙の自白の信用性が疑問とされるのと同じ問題点をはらむものであることは後述するとおりであり、先にも判示したような多くの疑問があるD事件での共謀をその時期になって認めた自白に対し、直ちに高度の信用性を付与するわけにはいかないとした原判決の判断は首肯するに足るものである。

一方丙は、四月二二日から五月一三日までの間、合計八回にわたって弁護人の接見を受け、その際にD事件に関しても何回か発言しているのであるが、原判決は、弁護人に対する丙のこれら発言は、状況的にみて周到に計算して演技された可能性は少ないものとして、同じ丙の捜査官に対する自白より信用性が高いものと評価しており、その点は当裁判所も賛成であるが、その発言内容の理解の仕方には多少相違するところもある。

そこでまず、その発言中でD事件に関する部分だけを拾い出してみると、次のとおりである。

四月二二日分。丙「僕も知らなかったDの保険金殺人事件というのがあるんです。」(<書拠番号略>)

同月二六日分。弁「生命保険を誰かに掛けて、その人を殺すか何かしようという内容の話を持ち掛けられたことがありますか。」、丙「あります。Dという男でした。『分かった』と言いました。結局、最後にはみんなだめで、山でやったんだと、山でやらなかったんです。それで結局、甲が自分勝手に海でやったんです。」(<書拠番号略>)

五月九日分。弁「Dさんの話ね、岩瀬海岸で甲さんがやっちゃったと後で聞いたの。それともやる前に聞いたの。」、丙「なに、その殺すということ。」、弁「うん。」、丙「やる前に分かったんです。おれ……。やるからね。山見に連れて行ってくれと言って、おれ一緒に行ったことあるんだよ、それ。だから計画はまるで知ってるんだ。ただ、おれね、失敗したというから、こんな恐ろしいからやめろと、こんな殺しなんてもうやめろ、おれもこれ以上耐えられんと。で、おれやめさせたんだ、あのD殺しというの。おれがやめさせたんだよ。おれも聞いていたけど。」、弁「やめさせた。」、丙「うん。」、弁「そういう態度をあなたが言ったら、甲はあなたに対してどういうふうに言いましたか。」、丙「『あんたはやっぱり悪人になりきれないね』って。」(<書拠番号略>)

というやりとりがなされていることが確かめられる。

そして、右のような丙の発言の趣旨について、原判決は、丙は、当時捜査官に対してはD事件における殺害計画は事前にすべて了知していたことを是認していたのに、接見時において弁護人に対しては、海水浴事件について事後的に甲から聞かされたに過ぎないことが明確に述べられているとするところ、検察官は、弁護人の海水浴事件を事前に知っていたか、という質問に対して、丙が「やる前に分かったんです。計画はまるで知っていたんだ。」などと答えていることは、丙が海水浴事件を事前に了解していたことを窺わせるものと反論するのである。

しかしながら、これまでの検討結果も踏まえて改めて甲の発言内容を吟味してみると、本件各犯行自体の認否についての対応振りにも表れているような丙の心理的動揺も考慮に入れ、また、舌足らずで飛躍した表現も合理的に解釈しながら全体的に考究すると、それは決してD事件での事前の共謀を認める趣旨のものとは考えられず、甲からは犯行をほのめかすようなことを聞いていたが本気にはしていなかったところ、海水浴事件の後、実際にDを殺そうとしたことを打ち明けられて、とんでもないことをするなとたしなめたという経緯があったが、今甲が誘拐殺人等の本件各犯行の犯人と分かってみると、甲がその当時最初からD殺害の計画をもって行動していたことがはっきり分かってきたといった趣旨のものと理解するのが相当と思われる。

具体的に発言内容を分析してみると、丙は、まず四月二二日に「僕も知らなかったDの保険金殺人未遂というのがある。」とD事件全体についての不関与を供述しているが、その後の発言では、四月二六日に、Dを殺して生命保険金を取るというような話を甲から持ち掛けられたことがあり、「分かった。」と答えたとか、五月九日には、海水浴事件について「やる前から分かったんです。」と答え、「計画はまるで知ってるんだ。」とか述べているのを文字どおりに受け取ると、一見、丙が前言を翻してD事件での事前共謀までも自認するに至ったのかともみえるのであるが、一方で丙は、四月二六日には、「結局、甲が自分勝手に海でやった。」と言い、五月六日にも、甲が失敗したと聞いて、丙が、「こんな殺しなどもうやめろ。」というと、甲から「あんたはやっぱり悪人にはなりきれないね。」と言われた旨答えている(四月二六日にも同旨の発言がある)ところからすると、甲及び丙両名の間に人を殺害することを目的とした現実性のある具体的共謀があったことには疑問があり、共謀があったにしては余りにも不自然な丙の実行行為との無縁さをも併せ考えるときには、丙の弁護人との接見時発言に基づいてD事件における甲との共謀や事前においての明確な認識があったと認めることは困難で、また丙が事後的に海水浴事件の失敗を聞かされたというのも、甲がことさら丙を共犯関係から除外して行動していたとなると、必ずしも事件の具体的全貌は語られていなかったものと推量され、結局において、このD事件の存在と態様は、所論が主張するように本件各犯行における甲及び丙の共謀を推認させるに足る間接事実としての意味は持たないものといわざるを得ない。

(4) 金沢における誘拐計画に丙が同行した事実について

所論は、原判決が、甲は、保険金殺人計画に失敗した後、みのしろ金目的の誘拐、殺人等の犯行を企てるに至り、その計画実現のために二月六日ころから九日ころまでの連続四日間金沢までバンで出掛けたものの、機会がなく実行には至らなかったが、その際いずれも丙がバンを運転して甲に同行したことを認定しながら、そのような客観的状況のみでは丙にも誘拐目的があったと認めるのには不十分であって、この行動について信用できる丙の自白もない以上、それは本件各犯行の事実認定に独自の意義を有しないと判示するのに対し、丙は甲に同行して金沢に赴いた際には、必ず帰途落ち合うための時間や場所を決めていたことからすると、もし甲が計画どおり誘拐に成功した場合には同行していた丙にその事実を知られてしまうのは必定であるから、甲には丙に金沢での誘拐計画を秘匿する意思がなかったことが明らかであるなどと反論する。

しかしながら、その当時甲が原判示のような誘拐殺人の思惑を抱いていただろうということは事実としても、それが具体的計画というほどに強い遂行意思を伴った具体的な犯意として形成されていたかには疑問があり、むしろその段階での金沢行きは、そのような悪巧みを胸に秘めながらの瀬踏み程度の行為とみる方が実態に近いものと考えられ、このことは、甲がのちに若い男性二名までをドライブに誘うことに成功して誘拐のきっかけをつかみながらも、別段の支障があったともみえないのにそれ以上の所為に出ることがなかったという事実からも推量できるのであって、この時期に甲が殺人までも予定した誘拐計画を直ちに実行する犯意まで抱いていたとは考えにくいのである。

とすれば、本件において確たる殺人誘拐計画があったものと前提して、丙が甲に同行したことの意味をあれこれ推論するのは、本件各犯行での共謀の有無を判断するうえでそれほどの重要な意義は持たないものといわざるを得ない。

(5) 「北陸企画」がAを留め置く場所として利用されたことについて(富山事件)

所論は、甲が二月二三日夜から二五日夕刻までのほとんどの間、被拐取者であるAを「北陸企画」に留め置いていたのは、同所が甲及び丙両名の同棲生活の拠点でもあるだけに、もし、甲が単独でAを誘拐し殺害したうえその家族からみのしろ金を奪取しようと企図していたものとすれば、誘拐後の時間を長引かせるというのは、被拐取者の取扱いに困るというだけでなく、相手家族の届け出による捜査の開始などによってその犯行の遂行に支障を来すことも懸念されるのであるから、誘拐に成功した以上は、できるだけ早く次の行動に出るはずのところ、何ら具体的行動に出ることもないまま丙がいつ訪れるかも知れない「北陸企画」にAを三日間も留めて置いていたとは考えられないのであって、このような状況は共謀の存在を推認させる有力な間接事実というべきであるとし、この点について、原判決が、犯行に「北陸企画」が使用されたというだけでは余りに漠然とした状況証拠というほかなく、その間に丙が「北陸企画」に赴いたことも証拠上認められないうえ丙が同所に近づかないという合意が存在したというような特別の事情もないとしてその証拠価値を否定していることに対して異存を述べているのであるが、そのいずれの立場も、甲がAを誘拐したのが、それまでに内心に描いていたみのしろ金目的の計画に従った実行の端緒であり、それには同女の殺害までもが予定に入っていたとみられる限りで認定に誤りがあるわけではないが、その殺人について誘拐後直ちに実行しようとする具体的な遂行意思が現実に形成されていたかどうかの点については、先の三、2の「富山事件における誘拐の成立とその態様」と題する項で詳述したとおり多分に疑問があるのであって、これを誘拐したからには直ちに殺害の実行行為に移って当然とする見地で論議するのは実情に沿わないものといわなければならない。

すなわち、本件の誘拐があらかじめの計画に従ったものとしても、現実に殺害を実行することについてはいまだはっきりと心定まらない状態にあったとすると、甲がAを「北陸企画」に留め置いている事実をなるべく丙に内緒にしようとする秘密保持の必要もそれほどには大きなものとは解せないのである。

それよりも、もし甲が供述するように同事件で丙が共謀し、それも積極的に殺害の実行行為まで買って出ていたというのが真実の事実関係であったとすれば、三日間もAが「北陸企画」に留め置かれていたというのに、なぜ丙が事務所に出向いて行って目的達成に向けての行動を起こさなかったのか、甲が当審公判においても依然として丙が殺害実行したと主張し続けている点はともかく、原判決がその第一部で認定しているように、甲が単独でAを殺害したことに間違いがないものとして、もともと丙が担当することになっていたというその殺害行為をなぜ甲が単独で実行するようになったのかという最も肝心の点の理由が明らかでなく、甲及び丙両名の間でその犯罪の具体的遂行方法や殺害担当者の変更について話し合われた形跡が全く窺えないことの不可解さこそが問題にされなければならないのであって、甲が「北陸企画」をA誘拐の舞台としながら、三日間もの間、殺害の実行に着手もしないでほとんど無為ともいえる時を過ごしたのち、最後は丙の力に頼ることもなく甲が単独でAを殺害してしまったという事実の経緯は、丙との共謀を示す間接事実どころかむしろこれを否定する方向での有力な情況とみることの方が至当と思える。

もっとも、その間丙が「北陸企画」に出向いて行ってAと接触したかどうかは重要な争点であるが、これについては後述する。

(6) 丙が二月二四日に「北陸企画」に出向いた可能性(富山事件)

甲は、原審公判(二六回等)において、二月二四日午前一一時ころ丙がバンで「北陸企画」に来たので、自分はそのバンに乗っていったん自宅に帰り、母親甲2と息子のC2をバンに同乗させて買い物に出掛け、午後四時三〇分ころ「北陸企画」に戻ると丙とAがいて三人で雑煮を食べた旨供述するのに対し、丙は、その日は近くの店に買い物に行った以外はずっと自宅にいたと述べて(原審九五回)供述は対立するのであるが、原判決は、甲の公判供述の信用性を否定し、検察官がその補強証拠と主張する、甲の母親甲2(原審期日外)やNHK受信料の集金人であった原弥三松(原審一三二回[丙関係のみ。甲については<書証番号略>が同旨])の原審各証言も、その供述内容の正確性を保し難いとし、結局は、丙が当日「北陸企画」に赴いた事実はないと否定する丙の供述を排斥するのは困難であるとしているところ、その判断は当裁判所としても肯認することができる。

すなわち、甲は、二月二四日に丙が「北陸企画」に来たという事実は原審公判において初めて言い出したもので、捜査段階においてそのことを全く供述していなかったばかりか、「自分の知っている限りでは二月二四日及び二五日に丙は事務所に来ていない。」(<書証番号略>)と明言もし、また、「自分は、二月二四日午前一一時ころZで事務所を出発して授業参観に出掛けた」旨(<書証番号略>)も自認しており、また、その時期に早くも甲が丙にA殺害の実行責任を押し付ける虚偽供述を行っていたことからしても、丙が共謀の線に沿って同事務所に出向いた事実があったものとすれば、そのことをことさら秘匿する理由も考えられないのであって、今になって二月二四日に丙が「北陸企画」に出向いて来たという甲の公判供述を信用することはできない。

大体が、甲のその辺りの供述は、それ自体が不安定かつ曖昧なものであるうえ、供述内容には看過できない変遷がみられ、当審公判(二四回、二五回)において改めてその点を甲に聞きただしてみても、その部分を述べる状況の描写は全く内容空疎なものであってとても措信することはできない。

第一、その前後甲からA誘拐に成功したという連絡を受けたはずの丙が、理由も告げないで何の行動も起こさず、一晩を無為に過ごしたのち、翌日昼ころになってのこのこと「北陸企画」に出向いて行ったというのに対しては、甲からそれなりの問責があって当然だろうし、また殺害担当役を予定している丙が出て来たからには、Aの身柄の処置や殺害方法などの打合せのほか、今後のみのしろ金奪取に向けての何らかの実行的な動きがなければならないはずであるのに、その間の事情がまるっきり説明されていないような甲の供述を真実のものとして信用できるはずはない。

甲は、丙とAを「北陸企画」に残してバンで授業参観に出掛け、午後四時ころに戻ってきて三人一緒に雑煮を食べたというが、殺害の実行担当者に予定されていた丙は、甲が誘拐してきたAの身柄を何の打合せもないまま押し付けられ、夕方までの長時間を事務所内でどのようにして過ごしていたというのであろうか。所論は、甲は殺害役になっていた丙が約束どおりに出て来ないので、実行を逡巡して日時を過ごし、最後にはついに甲単独でAの殺害に踏み切ったように事実関係を推定するのであるが、一日遅れにせよ丙が出て来たということになると今度はその殺害担当者の変更経緯をどのように説明するのであろうか。その点に関する甲の当審公判(二四回、二五回)での弁明が、まさに支離滅裂といっていい内容のものであることにも照らし、甲の右公判供述を信用することはできない。

そのうえで、当日甲と一緒に買い物に行くときに乗った車はバンに間違いないとする甲2証言の信用性について付言すると、原判決は、甲2がその日書店で注文していた漫画本を買ったと言っていることを手掛かりに日付特定の正確性に疑問があるとするのであるが、前述したように、本件各犯行を通じて疑われる甲の罪証隠滅工作の可能性も考慮に入れると、甲が母親甲2に本件の真相を明かさないまでも自己の罪責を免れるための偽装的供述を頼んだ場合もあり得ないでもないのであって(二月二六日未明にかかってきた電話に関する証言についても同様である。)、いずれにしても甲2証言に丙供述を裏付ける補強証拠としての価値は認められない。

また、前記原証言については、原判決がいうような日付の間違いも考えられようが、仮に同人が集金に丙方を訪ねたとき丙が在宅していなかったとしても、それが直ちに丙が「北陸企画」に出向いたこととは結び付かないのであって、前述したような甲供述に内在する疑問を別にしても、これが丙がそのとき「北陸企画」に赴いた事実を推認するに足る有力な証拠とまでみなすことはできない。

以上の検討を通じると、丙が二月二四日に「北陸企画」に出向いた事実は証拠上明らかにはならず、かえって否定的に推認するのが相当というべきである。

(7) 丙が二月二五日早朝に「北陸企画」に出向いた可能性(富山事件)

当時「北陸企画」周辺で新聞配達に従事していた武田睦子(当時一六歳)は、二月二五日午前六時過ぎころ、その事務所前に丙が乗っていたと思われる白色のバンが停車しているのを目撃したと証言(原審四五回[丙関係のみ。甲については<書証番号略>が同旨])しており、他方丙自身も、捜査官に対する供述調書(<書証番号略>)中でこれを自認する趣旨の供述をしているところ、検察官は、武田証言により、Aが誘拐されて「北陸企画」内に留め置かれていたと考えられる同日の早朝、丙がその事務所に出向いてAと接触したことは明らかであり、これに沿う丙の供述調書も信用することができるとするのに対し、原判決は、武田証言は具体的かつ詳細で信用性が高いように思えないわけではないとしながら、日時の点での記憶の正確性になお疑問があるものと結論してこれを事実認定の資料から排除し、また、丙の供述調書二通についても、バンの目撃証拠があると追及され誘導により記憶に反した事実を承認した可能性が強いとして、丙が二月二五日早朝に「北陸企画」に出向いた可能性は証拠上認定できないとするのである。

よって案ずるに、標記の事実の存否を確かめるためには、武田証言の信用性だけでなく、丙の供述調書の記載内容の真否も他の関係証拠とも照らし合わせて検討する必要があるが、当裁判所の考察によれは、武田証言の信用性には疑念を抱かせる余地はないものと思料され、したがって、二月二五日早朝丙が「北陸企画」に出向いたことを認める丙の供述調書二通の信用性もこれによって十分担保されることになるのであって、とすると、事実関係は、その供述内容どおりに丙はその前日の甲からの電話に応じて二五日早朝「北陸企画」に出向いたものの、そこには甲もAもおらず、無為に帰って来た可能性が高いということになるが、このことは、甲及び丙両名の共謀を示す間接事実というよりも、逆に共謀を否定する消極的情況とみなさざるを得ないのである。以下にその理由を述べる。

ア  武田証言の信用性について

原判決は、武田が「北陸企画」前でバンを目撃したというのが二月二五日としているのは、日時の特定の点で記憶違いをしている疑いがあるというのであるが、これに対する所論の反駁には十分に説得力がある。

すなわち、その日が二月二五日であることの根拠は、① その日は妹の誕生日(二四日)の翌日で、新聞配達後に残っていたケーキを一つ食べたこと、② その日母親から翌日(二六日)に予定されていた妹の小学校入学説明会に代理に行って欲しいと頼まれたこと、③ その日新聞配達後に姉がタイトスカートをはいて出勤しようとした際、下着の線が出ているのを母親と共に注意したことがあり、姉がそのことを二月二五日付けの日記に記していたこと、④ そのとき、「北陸企画」内が点灯していて物音が聞こえたため、新聞の入れ場所に迷ったが、前日の日曜日(二月二四日)にテレビで「西遊記」を見たことを思い出し、今日は月曜日だから事務員が早朝から出勤しているものと納得したことなどの記憶があったためというのであり、その供述内容は、原判決も認めるように十分具体的かつ詳細であるというばかりか、その記憶喚起の手掛かりとなったものは、いずれも印象的な記念日や出来事と結び付いており、また日記で後から確認もし、目撃当時も前日に見たテレビの内容までを想起して自己の認識を納得させたりしているもので、その記憶喚起の経過にも何ら不自然な点は見当たらないのであって、それの信用性ないし正確性を否定することはまず難しいものとしなければならない。

原判決は、④のものを除いては、日時特定の契機とする自宅内のエピソードと目撃事実を介在する事情が存在しないというふうに判示するが(その意味するところは必ずしもはっきりしない。)、少なくとも④自体による記憶の確度は極めて高いものとしなければならないはずであるのに、その検討を省いて行った原判決の判断の結論は、強引に過ぎるといわれても仕方あるまい。

原判決は一方で、仮に丙がその目撃時刻に「北陸企画」に赴いていたとすれば、甲の犯罪計画に関係する行動であった疑いが濃いものとなるが、甲が捜査段階でそのことを明確に否定しているのが不可解であるし、睡眠中のAを絞殺するという役割を分担することになっていたとされる丙が、わざわざ早朝に現場に臨み、Aを目の前にしながら引っ越し作業と思われる所為に出ただけで空しく帰ったというのでは、富山事件における誘拐殺害計画の実行過程の流れからみて全体的な整合性が保てないということも理由にし、これが武田証言の信憑性にも大きな影響を与えざるを得ないというのであるが(三二二頁〜三二四頁)、丙がその朝「北陸企画」に出向いたことを甲が知っていたとしても、それまで甲は捜査官に対し、殺害役に決めていた丙が予定どおりに事務所に来なかったため、仕方なく甲が単独でAを殺害したという弁明をし、その後はAを連れ出した甲が丙に連絡しバンでやって来て落ち合った丙がAを殺害したなどと供述していたのであって、これらのストーリーを捜査官に信用させるためと同時に、もし「北陸企画」に出向いて行った丙が甲にもAにも会っていないというのが事実であったなら、丙との共謀をあくまでも主張していた甲とすれば、その矛盾した事態の説明に窮することが明らかであることからすると、甲が丙の来所を否定する供述をしていたということも十分に理由があるのであって、作為性が強いと疑われるそのような甲の供述を丙が「北陸企画」に出向いていないことの根拠にすることはできない。

そもそも、原判決や検察官は、丙が「北陸企画」に赴いたならばAと接触しないはずはなく、接触したならば当然に甲及び丙両名の共謀が推認されるものと決めてかかっているようだが、果たしてそのような図式が必然的に描けるものであろうか。

本件において、武田証言を信用できるとする以上は、バンに乗った丙がその日の早朝「北陸企画」に赴き、引っ越し作業と見える行為をしていたことに間違いはないことになるが、それが甲の誘拐殺人計画に加担している犯人の行動として違和感があることは否めない。

とすると、そのときその事務所にAがいなかったか、いたとしても丙とは接触しない状態にあった可能性がありはしないかということが問題にされてよく、それを、丙が「北陸企画」に出向いた以上は共謀は否定できないものと決めてかかるのは、本件のように謎が多い事件を解明する思考方法として適当と思われない。

なお、当日の天候から武田証言の日の特定に誤りがあったかどうかについて検察官と丙側弁護人の双方がそれぞれの推論を述べているが、そのいずれもの可能性があるのであって、どちらにも決め手となるものはない。

イ  当日「北陸企画」に出向いたことを自認する丙供述の信用性について

丙は、Aとの面識に関しては、<書証番号略>では、富山事件の一部共謀を自白する態度を示しながら、Aとの接触については否定していたのに、富山事件の関与を否認する態度を明確にするに至った<書証番号略>においては、二月二四日午前一一時ころ甲からの電話で翌朝午前六時に「北陸企画」に来るように言われ、これに従って約束の時刻に赴いたが誰もおらず、大便をしたり机の中を片付けるなど数分間した後に帰宅した旨の供述を行い、弁護人との接見時での発言でも何回かこの点に触れて同旨と思える供述をしているのであるが、原判決は、これら丙供述の信用性について、それまで否認していた不利益事実を自認するに至った供述の変遷には特に不自然な点はないとしながら、供述変更の理由が思い違いをしていたというのは信じ難く、結局は、バンの目撃証言を突き付けられた結果、その朝「北陸企画」に出向いたことだけを認めたとしても犯罪を自白したことにはならないと計算し、あえて記憶に反した事実を迎合的に承認した可能性が大きいものとし、接見時発言(<書拠番号略>)もその疑念を深める内容のものであって、やむなく真実を述べたものとは考えられないとするのであるが、この判断が前記武田証言に抵触することはいうまでもない。

そこで、武田証言や丙供述の内容を合理的に推究すると、結局は、丙は二月二五日早朝「北陸企画」に出向いたのは事実であるが、同時にそこでは甲にもAにも出会わなかった可能性が極めて高いものとみられるのであって、原判決がいうように、前記の丙供述が捜査官に迎合して記憶に反したことを承認したものとは考えられない反面、検察官がいうように、たとえ企画に出向いたことを認めても共謀さえ否認しておけば大丈夫と踏んで供述したという想定も事実に沿う考え方とは思えないのである。

すなわち、丙の捜査段階での供述経過をみると、当初富山事件で共謀を認めていた時期には否定していた、二月二五日早朝に「北陸企画」に出向いた事実を、今度はその共謀を争う段になって逆に承認するという正反対の供述をすることになった理由を、丙が捜査官の誘導に極めて弱い傾向を示すものとして片付けることには、何らの合理的根拠もないのであって納得することはできない。

もともと原判決自身、丙が「北陸企画」へ出向いたということになると、それは富山事件での丙の共謀を推認させる有力な間接事実になるというのである。

そうであれば、丙がそれまで富山事件での共謀を認めていた態度を変え全面的に否認するつもりになったとき、逆に「北陸企画」に出向いた事実を認めてしまえば、そのことで共謀事実が強力に推認され、自分が決定的に不利な立場に追い込まれることを予測できなかったとは思えないのであって、これをたやすく誘導に乗り迎合的に記憶に反する自供をしたとは信じ難いところである。

その不利益供述の契機が、バンの目撃証言を基にした捜査官の追及にあったことは想像に難くないものの、原判決が、丙においてこれだけを認めても犯罪を自白したことにならないだろうとの計算の下で虚偽の不利益事実を承認した可能性が高いとする考え方には異論がある。

本件において捜査官が丙に対し、虚偽の供述を無理強いするような不当な取調べに及んだ形跡があったわけでもなければ、丙が何の理由でそのような計算までして虚偽の供述をしなければならなかったのか理解することはできない。

もし、それほどに丙が誘導に弱く、虚偽の不利益事実でもやすやすと供述する傾向があったというのなら、いったん自白していた富山事件での共謀を翻して改めて否認に転ずるというのもおかしなことだし、代わって自供したという「北陸企画」への臨場事実にしても、捜査官が求める供述は、そこでAと会った事実であろうと思えるのであって、当然その点の追及も行われたはずであるのに、この事実については否定する供述がそのまま調書に録取されていることをどのように解釈したらよいのだろうか。

しかし、一見矛盾してみえる丙の供述変遷や内容も、丙は二月二五日の早朝、実際に「北陸企画」に出向きはしたが、そこでは甲にもAにも会わなかったというのが正しい事実関係であったからこそ、その記憶どおりに供述したものと考えてみると、状況的に何ら不自然なところはなくなるのであり、武田証言との食違いも解消するのであって、丙の供述変遷の説明に原判決や検察官のような強引な推論を行う必要もないことになる。

丙は従来認めてきた富山事件における共謀を改めて否認するときになって、逆に一般的には大きな不利益事実とみられ、本人にもその自覚があったと推察される「北陸企画」への臨場事実をあえて承認するに至ったのであるが、これは、それまでは自分が富山事件に関与していると疑われる不利益事実として伏せていたが、武田証言という確かな目撃証拠を突き付けられたことにより、改めてその事実を認めるに至ったが、併せてその際にAに出会わなかったことも事実であるからそのとおりに捜査官に申述したものとみてその信用性を高く評価してよいものと思われる。

ウ  丙の弁護人に対する接見時発言とその考察

原判決は、丙の弁護人に対する接見時の発言内容を検討してみても、丙が前記各供述調書で捜査官に記憶に反して虚偽の迎合供述をした疑惑は深まるものと判示しているので、その点について改めて考察してみる。

まず、関連する発言と見られるものを日付順に列挙して以下に摘示する(<書拠番号略>)。

①  四月二二日 Aさんとは一遍も会ってない。

②  四月三〇日 二五日におれ、少し(北陸企画に)出ているらしいんだわ、警察から聞いた。

③  五月三日 おれ長野で言われたのだけれど、甲が丙さんはAさんと一面識ぐらいあると言うんですよ。というのは、二五日、おれね、どうもうまいこと呼び出されてね、見てないんだけども、要するにそれらしきそれというのは見てないんだけれども、甲と会った。そしたらこのとき甲、どっかにその女の子を置いてるんだ。もし、おれ事務所で会っていたとしたら、事務所の中のどっかにいるんだ。Aさん。(北陸企画に)おれ、本当に行ったのやろか。肝心のところを覚えてないんです。

④  五月九日 二五日、どうも事務所に行っているらしいんです。記憶は全然ないんです。甲がね、長野署で言われたんだけども、「丙さんはAさんに一面識ぐらいあるかもしれんよ」と、これが本当だとしたら、おれ会ってないんだけれども、それに近い状態でどこかで会ってるんだ。

おれね、二二日、二三日、二四日、二五日、二六日、肝心のところ、一つも覚えないんだ、これ。

⑤  五月一三日 どうも二五日、出たような気がするから、朝ね。ライトバンがあると。そして、朝、甲に呼ばれたような気持ちで行ったと。でも、誰もいないんですよ。北陸企画の事務所に行った。それで、Aさん見たかと。おれそんなもの見てないと、誰もいないと言った。そして首出してから出て来たと、二五日にね。どうもまだそれでもふっきれんのやけれどもね、やっぱりね、おれどうもそういうとき一回あったような気がするんですよ。朝。北陸企画でAさんに会った覚え全然ない。それで甲にも会ってない。おれね、どうも出たと思うんだけど、二五日ね、おれ朝やっぱり寝てたのかな、それともやっぱり出て来たのかなあ。二四日の朝のことは、おれ出とらん。二五日は出たような……。そう言えば朝何か出たような気があるから、出たと。甲から電話がなけりゃ出ていかんのやから、まあなにせ甲の電話あったと。そして出ていったんだろうと。だけど出ていったけど、一〇分ぐらいですぐ帰ってきたと。だからもちろんね、誰も見てないんですよ。おれ、Aさんも見てないんもん。だけど、本当にうちの女房がね、そのときおれ出ていったか、出てないかね……。本当におれ二五日、女房と一緒に寝てたの、朝。

以上の発言内容を通覧するに、供述は生々しく現実味が感じられて自然であり、特に作為的、意図的なところはない。目撃証言を教えられ、何らかの経路で甲の供述内容も知り、それらを手掛かりに記憶を喚起しようとする様子は示しているが、その際Aに会っていないことを強調するなど、記憶の限りで主張すべきところは主張しており、その内容は捜査官に対する供述とも共通するもので、決して迎合的に記憶に反して虚偽の事実を認め、あるいは誘導に乗ってありもしないことを真実と思い込むようになったことを窺わせるような発言部分を見いだすことはできない。

結局、丙の弁護人に対する接見時発言をも参酌して前記丙の供述調書二通の信用性を検討しても、原判決がいうようにその供述が迎合による虚偽のものという疑いを抱かせる点は捜し出せず、多少丙の記憶に曖昧さはあるにしても、丙が二月二五日早朝、「北陸企画」へ出向いたこと及びその際Aや甲に会うことなく事務所で無為に短時間を過ごしたのち帰って来たことの可能性は高いものといわざるを得ない。

エ  当日早朝における丙の行動の意味

そこで、前記供述調書二通などに基づいてその供述内容に従った事実関係を推理すると、丙は、その前日の甲からの電話に応じて二月二五日早朝「北陸企画」へ出掛けて行ったのに、そこには誰も見当たらず空しく引き返して来たということになって、それの意味するものは何かという疑問が生ずるのであるが、関係者の供述からだけではその真相としての客観的事実を知ることはできない。

しかし少なくとも、丙が、折角甲が誘拐してきたAを留め置いていた「北陸企画」に出向いて行ったのに、そのAに会うこともなく、また、甲と具体的に犯罪計画を推進する機会を持つでもなく、いわばスカを食って空しく帰って来た形の丙の行動からは、富山事件における共犯者としての姿は浮かび上がってこないのであって、これはかえって、甲との共謀がなかったことを推量させる消極的事情として分類しなければならないものというべきである。

そうなると、甲がなぜそんな無意味にも思えるような工作をしたのかが問題にもなるが、可能性として甲の思惑を探ってみると、甲はそうして丙を事務所に呼び出し、何らかの方法を用いてAに陰から丙の姿をかいま見せることで、先に誘拐の態様として想定したように、Aにアルバイト話絡みで引合いに出していた「北陸企画」の社長の存在を印象付けたことも考えられなくもなく、それは一見突飛な想像のようには思えようが、丙が弁護人との接見時に、「『北陸企画』に出向いたときAに会ってはいないが、Aの方は事務所内のどこかにいて自分を見たのかも知れない。甲が『丙はAさんと一面識ぐらいあるかも知れない』というのはその意味かも知れない。」との趣旨の発言をしていることとも符節が合うし、また、Aが二月二五日正午ころ母親にかけた電話の中で「社長さんの年齢は。」と聞かれ、「さあ、三四か三五ぐらいかね。」と、いかにもその人物を直接見たかのような返事をしながら、その人物と直接接触したことを窺わせる発言まではしていない様子とも妙に状況が符合するところでもあって、捨て難い推理とも思われるのである。

いずれにしても、丙が二月二五日早朝「北陸企画」に出向いた可能性はもはや否定することはできず、それと同時にその事務所内でAにも甲にも会わなかったことも信用せざるを得ない結果になり、それが富山事件での甲及び丙両名の共謀を疑問視させる情況とみなされることも承認せざるを得なくなるだろう。

丙自身は、原、当審の公判供述では、その日「北陸企画」に出向いた事実を強く否定しているのであるが、無罪を主張している自己の立場を守るため、不利に働くと思われる事実についてことさら否認しているものと考えておかしくなく、これを捜査官から甲の罪証を裏付けるために協力を頼まれて虚偽の供述をしたかのようにいう丙の当審公判における弁明をそのまま信ずることはできない。

(8) 二月二六日、二七日の両日に丙がAの両親等に示した態度について

二月二六日午後二時ころ及び二七日夕方、「北陸企画」近くの東町派出所において、Aの電話内容から「北陸企画」を捜し当てて尋ねて来た両親等と丙が面会した際、特に誘拐犯人と疑われたりしたわけでもないのに、異常に興奮したり、Aの所在不明を相当気にする態度を示したりし、翌二七日には、「誘拐犯人に間違われた。」と周囲の者らに言って憤慨していたことなどが認められるが、検察官は、これらの事実をとらえて、ことさらA誘拐事件への自己の関与を否定するいわば予防線を張った言動であり、そのことが逆に丙の犯行関与を如実に示すものと主張するのに対し、原判決は、Aの両親等は同女が誘拐されたのではないかという危惧を抱いて「北陸企画」に臨んだのであるから、その社長とおぼしき丙に対する疑惑の念は浅からぬものがあったはずで、丙の態度を誇張、曲解することもあれば、丙がいわれなき嫌疑として憤慨の情をあらわにすることも考えられ、これをもって丙有罪の間接事実とするには余りに漠然としている旨判示している(三三四頁〜三三七頁)。

所論は、原判決のこの判断に対し、控訴趣意書一一〇頁から一三〇頁に詳しく掲記する事実関係を前提として、二月二六日と二七日の両日における丙の言動は、犯行に関与していない者のそれとしては余りに冷淡であると同時に警戒的に過ぎるものであり、しかも、娘の身を案じる両親らは努めて冷静に応対して誘拐という言葉さえ出すこともなく尋ねていたもので、決していわれなき嫌疑を突き付けたといったことはなかったと反論し、その他、甲が二月二六日朝のAの身寄りの者との接触後直ちに丙と連絡を取り、東町派出所には丙一人が現れてAの両親らと応対し、両親らが派出所を退出したころを見計らったように両名がそろって同派出所に姿を見せたこと、あるいは、同派出所での両親らとの応対に際し、丙はその時期甲は金沢に行っていたと思っていたというのに、そのことを説明して相手の心配を和らげることを全くしなかったばかりか、その後においても甲に対して何らの追及をした形跡がないのは不可解であるとし、これらは富山事件についての共謀の存在を前提にしなければ理解できないものとして争うのである。

検討するのに、この件に関しては、確かに所論が指摘するような疑問点があり、一般的、常識的にみてなら、二月二六日から二七日の丙の言動や甲の行動が、富山事件での両者の共謀の存在、少なくとも丙が事件に深く関わっているのではないかという疑問を抱かせる状況と受け取られてもやむを得ないようにも思える。

Aの両親らの説明によって「北陸企画」が同女失踪の舞台であると名指しされ、そこに甲とおぼしき女性が絡んでいるらしいということが分かったとなると、自分自身が当時風邪で家にいたと弁明するだけでは事は済まないはずで、甲がその間は金沢に行っていたと信じていたというのなら、そのことの説明をしないでただ否定するだけという態度もおかしく、事後に甲に対して問いただすこともしなかったというのでは不審を解消することはできない。

しかしながら、本件はもともと、甲及び丙両名の密接な男女関係からして丙が主犯的に関与してもおかしくない事案と思われるのに、現実には、殺人だけでなくその他犯行の核心的実行場面で全く丙が姿を見せない点で極めて特異な事件であり、そこには何か尋常でない企みがあったかも分からないことが疑えるのであるから、そのことも念頭に例外的場合の可能性の有無の検討を省くことはできないのであり、その観点でみると、反対の状況の存在もしくは解釈の余地もないわけではないのである。

すなわち、検察官は、丙が一人東町派出所に出向いたことを疑惑材料の一つに数えるようだが、甲自身がその際の出頭を避けようとすれば、単独でどうにでも細工できることであり、丙が派出所での応対中に何度も電話で甲を呼び寄せようとしたのが真実味があったという証言(原審一一回村上幸子、原審一七回A3)もないわけでなく、丙が意識的に甲の身柄を隠したとまでは推認できるわけではない。

丙が、派出所に現れるなり事件関与を否定して異常とも思えるような興奮状態を示したということも、娘の失踪を案じている両親の気持ちを察すれば、本来は穏やかに言い分を聞き、相手の立場にも立って諄々と説明して疑いを解き、また協力もしてやるというのが望ましい態度であることには違いないが、人それぞれの立場や性格、思い込みも伴った誤解などによって必ずしもその場にふさわしい態度が取れない場合もあり得るのであって、もし、丙が事件には無関係であって、甲からは上手に暴力団絡みのかたりであるかも知れないと吹き込まれ、甲が事件には関係していないものと信じ込んでいた場合を想定すれば、家主からも警察官らが多数押し掛けてきて迷惑したと文句を言われたことなどもあって、自己中心的な短絡思考によりとんでもない濡れ衣を着せられているとの憤慨の念が先に立って前記のようなきつい言動に出たということもないわけでもなかろう。

応対途中で丙とAの父との間で口論めいたやりとりがあったというのも、両親側こそ気遣かって誘拐などの言葉を使わないようにしていたとはいっても、同行していった警察側がほとんどAは家出に違いないと決めつけて厳しく詮索はしない雰囲気の中で、なお釈然としない両親らの丙らに対する疑惑が氷解したとも思えず、これがおのずと表情や口調ににじみ出たようなことがなかったとはいえないのであって、これが下地にもなってちょっとした拍子から前記のような口論にも及び、また、その後において丙が誘拐犯人と疑われたと感じてその不本意な気持ちを他に訴えることがあったとしても別に不自然だともいい切れまい。

ただ、甲に対する疑惑を晴らすためにも同女の金沢行きのことを説明しなかった態度が不自然のようにも思われるが、これも、丙がいうように甲の金沢行きというのが土地の詐欺まがいの仕事が絡んだものと推量していたというのなら、特に必要もないのに警察関係者がいる前で口外はしたくないという思いがあってもおかしくなく、たまたま警察の方ではAの失踪は単なる家出に過ぎないと軽く考えているらしい様子の中で、聞かれもしていない甲の行動について進んで釈明しなかったということも格別異とするほどのことでもなかろう。

所論はまた、甲が、二月二六日朝、Aの身内のA4と会って話した直後、早速に丙と連絡を取って打ち合わせたのも怪しいというのであるが、企画を舞台として犯行に及んだ甲にしてみれば、丙と共謀したかどうかにかかわらず、その善後策を講ずる必要があり、丙にその全貌を打ち明けなくとも事実上しかるべき対応をしてもらうために協力を依頼する必要はあるのであって、これが直ちに共謀を前提としなければ理解できない状況ともいえない。

以上検討のとおり、二月二六日と二七日に丙がAの両親らに示した態度等は、一応富山事件との関わりを推定させるようにみえる面がないでもないが、本件各犯行の特異性にも照らすと、予想される例外事例が存在する可能性を否定するまでの間接事実と評価することはできないのであって、他の関係証拠との整合性を確かめないまま丙にとっての不利な資料とみなすことはできない。

(9) 丙が、三月三日富山を出発してから八日帰宅するまで、終始甲と行動を共にしていたことについて(長野事件)

長野事件については、富山事件の場合と違って犯行の前後に及んで丙は甲と同一行動を取っており、それらが外見上は共謀を推認させる間接事実としての意味を持つことは一応是認せざるを得ない。

この点、原判決も、丙は、甲の求めに応じて三月三日共にZに乗って富山を出発し、長野で三泊、東京で一泊した後、高崎を経て同月八日朝富山に戻って来たものであり、その外形的事実は、原判示第二部の第二の一(検察官の主張)のとおりであるが、その間の少なからぬ時間を甲と離れることなく行動しており、特に、同月四日甲は、殺害場所の下見のために木戸交差点、矢越トンネル等を走行しているが、その際丙はZを運転して同行しており、また、同月六日昼過ぎに殺害、死体遺棄を終えた甲と合流した後は、ほとんど行動を共にし、甲がみのしろ金要求電話をかけている際にもそのすぐ近辺にいたし、同月七日には、金員受領目的であることを知ったうえで高崎駅まで同行し警察官の気配を察知して二人で逃げ出した事実が認められるが、そのように甲と一緒に移動している間に、甲による誘拐、殺害、死体遺棄、みのしろ金要求等の犯行が敢行されていたことに徴すると、丙のその行動状況等は、事前に甲と共謀していたことを指し示す間接事実だとする所論も一応首肯できるとするのであるが、一方でまた、そのような行動状況だけでは直ちに共謀を認定するに足る間接事実とすることはできないのはもちろん、原裁判所が甲の各供述を分析した結果では、甲が当時警察の目をくらましたり、責任を転嫁するなどの利用価値を情を知らない丙に見いだし同人を同行させていた可能性が否定できないとし、本件における甲及び丙の密着行動が一般的には共謀を指し示す事情に見えても、そのままの証拠価値があると評価することには疑問である趣旨の判示をするのであるが(三四三頁〜三四六頁)、当裁判所の考察でも、後記のとおり、甲の「情を知らない丙の利用」と「責任転嫁」の内容については異論があるものの、甲が長野事件の犯行の前後を通じて丙を伴って行動していたことには自己の罪責逃れをももくろんだ秘められた企みがあった可能性があるとする推論には同感するところであり、結論的には原判決同様、検察官が有力な間接事実と主張する甲及び丙の同一行動等の状況は、決して二人の共謀を推認するに足るものとは考えないのである。

ア  原判決がいう「情を知らない丙の利用」と「責任転嫁」の考え方に対する批判

この考え方は、あくまでも可能性に基づく推論であって、果たして甲供述全体や事実関係全般にうまく整合するものかどうかは合理的解釈を通じて慎重に考察する必要があることはいうまでもない。

原判決がいうところの丙の利用価値が具体的にどのようなことを指すのかは、所論も指摘するとおりに直ちには分かりにくいのであるが、これが単にZの運転を手伝わせたり、甲の犯行中の心の支えといったことだけでは余りに漠然としたものであるし、甲が単独で行動するよりもアベックを装った方が犯行が発覚しにくいということにしても、その効果のほどは疑問があるうえ、その犯行自体を丙に内緒にしたままでその目的を達することが容易にできるとも思えない。

更に、「責任転嫁」といってみても、甲の罪責を情を明かさないままで無実の丙に押し付けることを目的としたというのであれば、それは甚だ不自然、不合理な発想であって、とても現実性のある企みとして理解することはできない。

大体が、あらかじめ因果を言い含められて観念するか、よんどころない相手からの頼み事として自らが犠牲になる覚悟ができているような場合でもない限り、もともと身に覚えのない罪を背負って刑に服することなど誰しもが簡単に容認するはずはないのであって、まして極刑も予想されるような本件両事件で身代わり犯人にされようとしていることが分かれば、その立場に置かれたものとして、自己のアリバイその他の反証さえも挙げて懸命に身の潔白を主張するだろうことは目に見えており、それを押して無関係な人物を一方的に犯人に仕立て上げるなどということはまずは不可能といってよいと思われるのである。

共犯者でなく、情を打ち明けてもいない相手を犯人に陥れようと図っても、本人の口から捜査官に対して虚偽の自白がなされる見込みはまずないのであって、また、その犯行を裏付けるに足る証拠を捏造するというのも容易にできることではない。

本件(長野事件)の場合でみれば、甲は、丙を同行し、継続的な犯行のほとんど全過程を通じて身近で行動させていたということになるのであるが、犯行の肝心部分である誘拐、殺人、死体遺棄、みのしろ金要求電話などの実行行為はすべて甲が単独で行っており、しかも、甲がその実行行為(特に殺害、死体遺棄)に及んでいる時間には、丙は犯行現場から遠く離れたホテルに滞在していたことになるのであって、それもことさらに甲の方から進んで犯行前後にホテルに電話を入れる約束もするなど、逆に丙についてのアリバイが成立するようにも計らったふしさえも窺えて、これらは丙を犯人に陥れるための虚偽証拠を作るのとはまるで裏腹の姿勢であるといわざるを得ない。

確かに、甲が、愛人関係にある丙を同行していって単独で犯行を行い、その間丙を身近で行動させておけば、後日犯行が発覚しそうになって容疑が甲に及んで来たとき、いったんは丙が共犯者であることの疑いを捜査官に持たせることは可能であろうが、現実に事件に全く関与させておらず、現場にも所在させず、しかもその情さえも打ち明けていなかったものとしたら、結局は丙の容疑は固まらないのであって、最終的に丙を甲の身代わり犯人に仕立てることは不可能になることは目に見えている。

捜査段階での甲の供述が、その後半ころでは丙に対して虚偽の実行責任を押し付けようとする内容になっていることは記録上明らかではあるが、それは取調べの成行きに応じた自己保身と丙に対する複雑微妙な心情の変化によるものと解釈することもできるのであって、甲が取調べの当初から原判決がいうような「責任転嫁」を企図して供述を操作していたとは考えにくい。

更に、そのような「責任転嫁」を甲がその犯行当時から企んで行動していたものとすれば、甲は、極刑さえ予想される重大犯罪の責任を無実の丙に押し付け、その犠牲の下に一人大金を獲得しようと計画していたとみざるを得なくなるが、当時の二人の仲が一心同体といえるほどに緊密であったかどうかは別として、甲の犯行動機に二人の将来のための資金も得たいという気持ちが含まれていたことも否定しにくいということになると、甲が丙を無実の罪で犯人に陥れ、自分だけは助かって大金を独り占めにするような犯罪計画を立てて実行に移すというのは矛盾した行動であり、これを事実として認めることは難しい。

また、本件犯罪が明るみに出てその犯人の捜査が始まれば、丙が甲に対して不審の念を抱くことは十分に予想され、そのとき、甲が捜査官に対し丙がその犯人であるかのように供述していることを丙が知ったとすれば、そのような甲の背信行為は丙にとっては許し難いものであろうし、丙としては、我が身の潔白を晴らすための弁明をするだけにとどまらず、犯行前後に見聞した甲に対する疑惑を逆に捜査官に暴露することも考えられるのであって、その意味では丙は最も危険な生き証人になるおそれがある存在といわなければならない。

以上のようにみてくると、原判決がいうような、無実の丙を甲の身代わり犯人に仕立てて甲が助かろうとするもくろみを内容とする「情を知らない丙の利用」や「責任転嫁」の推論は、状況的にその矛盾が著しくて合理的な根拠に欠け、甲が犯行当時に何らかの罪責逃れの企みを抱いて策動したことは疑えるにしても、その企みの内容が原判決が推論するようなものとは考えられないのである。

イ  甲の企みについての新しい視点からの考察

本件においては、前記のとおり、原判決がいうような推論を相当とすることはできないけれども、その犯行を甲及び丙両名の共同犯行としたのでは、丙が実行行為に一切関与しないで甲が単独でそのすべてを行っている点が、誠に奇妙な特異案件であり、そこには何らかの甲の策謀が存在していたことが十分疑える。

そこで、原判決とは違った視点によってその可能性を推理してみるのに、これまで丙を犯人に仕立てることの困難さを説示してきたが、それを逆な方向から眺め直してみることで、新しい解釈が可能になるように思えてくる。

すなわち、本件のような成人女性の誘拐、殺人、みのしろ金要求といった重大犯罪を敢行するには、通常は複数犯人による計画的な共同犯行が疑われて当然であろうし、まして、甲及び丙のような愛人関係にある男女が一緒に行動していた最中に起きた犯行となると、まず二人の共謀が疑われ、捜査官がその見通しを持って捜査に当たることは十分に予想されることである。

その場合、犯行の罪質、態様の凶悪さから推量すれば、これは女性一人の手によるものとはまず考えられないこととして、丙がその殺害実行にも関与した主犯的な犯人ではなかろうかという容疑を抱いて追及が行われることも容易に予測されるところである。

ではあるが、そのとき捜査陣をしてその犯行に甲は全く関係がなくて丙だけが犯人と信じ込ませるように策謀することは不可能といってよいものであることについては既に述べたとおりである。

しかしここで、本件のような重要な犯行をやるからには甲及び丙は一緒にやるはずであり、それも主犯は丙であろうと疑うに違いない捜査官のその予断に乗じて罪証隠滅を図る発想が出てくる余地がありそうに思える。

すなわち、甲が、そのように密接な男女関係にあった愛人の丙を、情を知らせないまま他の口実で犯行への旅に誘って同行したうえ、犯行の前後ころには意識的に自分との密着行動も取らせて二人の一体的な間柄を他に印象付け、実際の殺人等の犯行自体には丙を関与させないばかりか、場合によっては、丙自身にとっては本来不必要なアリバイまでも工作し、後日捜査の手が甲の身近に迫ったときには、もともと無実である丙に疑惑の目を向けさせるようにし、そうなれば、捜査官も丙を「ほんぼし」と睨んで重点的に追及を行うだろうが、これに対しては身に覚えがない丙が本気になって自己の無実の弁明もするだろうし、もとより犯行を裏付ける直接証拠がない丙が犯人と断定される気遣いはなく、最終的には丙の容疑が晴れることに伴って、丙と一体的に思われていた甲も証拠不十分で無罪放免になるという筋書きの策謀が練られた可能性がないとはいえないのである。

要するに、これは原判決がいうように、丙を「黒」にして甲が「白」になろうとする「犯人工作」ではなくて、丙にはいったんは容疑者になってもらうが、結局は「白」になることを見込んで甲も同時に「白」になろうとする「容疑者工作」といった企みということになるわけだが、この推論は、決して間接事実からだけ思い付いた単なる想定ではなく、今後検討する甲及び丙の各供述の変遷や内容あるいは弁解を合理的に解釈したうえでの考察の結果とも符合し、その可能性は十分に高いものと思える。

先のD事件の分析においても述べたように、甲が、重大犯罪を共に手を組んでやる相手として丙を適格でないと考え、自分一人で事を行おうとした際、なお、丙の存在と行動を自己の犯跡をくらませる目的で利用しようとした疑いはあったもので、その後富山事件を単独で実行しようとして失敗した甲が、改めて再犯行を企てるに当たり、既にD事件での対応振りからも凶悪犯罪に対しては拒否反応を示すことが分かっている丙とは、共犯者として組むことまでは考えないが、それでも長時間の車の運転を必要とする本件犯行に同行させたうえ、心許せるパートナーとして事実上の協力をさせ、もし、その後犯行が発覚するおそれが生じたような場合には、前記のような立場での罪証隠滅の効果も期待するといった一石二鳥の策を、推理小説好きで頭が良く、普段から上手に嘘話をすることも少なくなかったという甲が名案として思い付いたとしても決して不思議ではないのである。

所論は、甲が誘拐、殺人という重大犯罪を遂行しながら他方で相当な時日にわたって丙を欺き続けるといったことが可能とは思えず、そのような形での「情を知らない丙の利用」ということは常識上想像できないようにいうが、原判決が想定するような「犯人工作」ではなくて、当裁判所がいうところの「容疑者工作」の場合として考えてみれば、日頃の甲及び丙の男女関係では、甲は、年上で才覚にたけた女性として普段から丙に対して優越的な態度で振る舞い、丙の方も甲に対して畏敬の念も持って一目を置いた接し方をしていたことが窺われ、その中で、甲としては丙を自分の意のままになってくれる可愛い男と受け止めていたものと推察されるのであって、このたび甲が本件犯行に丙を同行させるに当たっても、日ごろの調子で適当な口実によって丙を信用させ、その際多少の不信感を抱かせたとしても巧みに言い繕い、更にしつこい質問があっても皆までは疑問に答えないではぐらかすなどの対応ができたとしても不自然ではなく、それでも仮に、企みがある程度丙に察知されるような事態になっても、そのときは犯行は二人のためでもあったことにすれば、丙の口から悪事が露顕する気遣いはなかろうと踏んだものと考えても、全体的な事実関係の証明に窮することはなく、所論が一方で、甲及び丙両名の親密な間柄からすると、甲は、一切丙と無関係に犯行に及ぶか、情を明かして共同して行うかのいずれかであって、その中間の場合はあり得ないと決めつけているのは皮相な見解といわなければならない。

ウ  まとめ

以上のように、当裁判所が証拠上明らかな事実関係を合理的に解釈して考察した結果では、甲が自分の罪責を免れるため無実の丙を犯人に陥れるつもりで「責任転嫁」を図ろうとしたとは到底考えられないのであるが、それとは違った形で、丙に情を明かさず、犯行にも関与させないことで、逆にいざとなっての自己の罪証隠滅工作を企んでいた疑いが強く浮かび上がってくる。

もちろん、証拠上は、この疑いは推論の域にとどまるものといわなければならないが、たとえば、丙が接見時発言(<書拠番号略>)で言うように、甲から三月二八日あるいは三〇日ころの電話で、捜査官の取調べに対する対応として「あんたはあんたで言ってみなさい、私は私で言うから、あんたって鈍いのね。」と言われたということなどとも妙に符合するところがあり、これに後に検討する甲の供述内容や変遷過程の吟味結果なども加えてみると、その可能性は相当に現実味を帯びたものになってくるのである。

結局、長野事件において甲及び丙の両名が犯行の前後を通じて同一行動を取ったという状況は、一見共謀を示す間接事実のようにはみえても、前記のような観察を加えると、かえって共謀を疑問とする方の事情としてとらえることができることになるのであって、所論が、その他多くの間接事実を挙げて甲及び丙両名の共謀を指し示す情況と主張している各場合についても、単に共謀がなされて当然だろうといった一般的、常識的見方にとらわれることなく、共謀があったにしてはおかしいのではないかといった観点からの推考を怠ってはならない。

(10) その他の間接事実について

既に検討したものを除き、所論が本件控訴趣意中に取り上げるその他の間接事実は次のとおりであり、これを列挙すると、

富山事件関係

①  丙は、犯行前日の二月二二日「プラザ」で甲と同宿し、犯行当日午後にも「小枝」で甲と同席したこと。

②  甲が、二月二三日夜Aを誘拐した後、「銀鱗」豊田店から丙に電話をかけたこと。

③  甲が、二月二五日夜「エコー」から丙に電話をかけたこと。

④  丙及び甲の両名が、富山事件後にZを買い換えようとしたこと。

長野事件関係

⑤  丙及び甲の両名は、二月二七日以降も長野に向けて出発するまで頻繁に連絡を取り合って行動を共にしていたこと。

⑥  丙及び甲の両名が、三月三日「志賀」で同宿し、甲が同所からB殺害に用いた紐を持ち出したこと。

⑦  丙が、三月四日甲と共にB殺害現場付近を走行したり、長野駅付近で駐車場を探したこと。

⑧  丙が、三月四日「日興」に偽名で宿泊予約をし、その際、深夜の電話取次ぎを従業員に確認したこと。

⑨  丙は、三月四日夜、「日興」において、甲が誘拐に失敗した女性から貰ってきた「ヤングレディー」等の女性用雑誌を見ていること。

⑩  甲が、三月五日夜Bを誘拐した後、「元庄屋」から丙に電話をかけていること。

⑪  甲がB殺害を遂げた後に丙と合流した方法は極めて不自然であること。

⑫  丙は、甲と合流後、甲からBから奪った現金を見せられたこと。

⑬  丙は、B殺害後の三月六日から同月八日富山に戻るまでの間、終始甲と行動を共にし、甲が七回にもわたってみのしろ金要求電話をかけた際にも常に近辺におり、三月七日高崎駅などで甲と特異な行動を取ったこと。

というのである。

所論は、以上の間接事実は個々的にみても甲及び丙両名の共謀を推認させるものであり、これを一連のものとして全体的に眺めると一層強くその推定が働く旨主張するのであるが、それはあくまで一般的な推測をいうにとどまるものであって、反対に共謀を前提としては不自然、不合理な状況も多く存在し、しかも前述のような甲の企みがあった可能性も否定できないということになると、そのような間接事実自体ではそれらの疑問を解消して共謀を強力に推認させることができるとは到底いえなくなる。

なお、列挙した間接事実について更に付言すると、そのうち、①、④、⑤、⑥、⑦、⑨、⑩、⑫の各項目についての事実はそのとおりに認定することができるのであるが、前述のとおり、本件において、甲が丙に情を知らさないで利用しようとした可能性があるものとして事実関係を眺めたときには、これらはもはや共謀と結び付く間接事実としての意義を持たなくなることはいうまでもない。

所論は、特に長野事件において、甲が、誘拐、殺人というような重大犯罪を遂行しつつ、他方で相当期間にわたって同行させていた丙を欺き続けるというのは至難のことであって、甲がその犯行を丙に対して秘匿しようとするのであれば、同人をわざわざ同行させるということは考えられず、また、甲がBを誘拐後殺害するまでの間の大事な時期に丙に電話している事実は、犯罪者心理等に照らしてみても共犯者との連絡や事件についての打合せをしたものとしか思えないのであって、いずれも、共謀を抜きにしては現実にあり得ることではないと主張するのであるが、甲が丙に情を明かさないで同行させ、犯行前後に密着行動を取らせた可能性があり得ることは、既に詳しく述べたとおりであって、その可能性を度外視して事を論じている所論は失当である。

なお所論は、終始同行させていた丙に対して犯行を秘匿することの困難さもいうが、これも、前記のような甲及び丙両名の特別の男女関係や甲の作話能力などに加え、丙が弁解するように、長野事件での同行は多少とも「やばい方法」によって大金を手に入れるためだと教え込まれていたのが事実だったとすれば、必ずしもそれは不可能なこととはいえないばかりか、丙が本件両事件とも無縁であったのなら、丙において甲の行動に何か不審を感じたとしても、それが本件のような殺人までも含んだ重罪を現に実行していることまでも見抜けたとは限らないのである。

所論はまた、甲がまさに犯行に接着した時点で丙に電話しているのが怪しいようにいうのであるが、検察官が前提とする時刻にかけた電話の相手が果たして誰であったかがまず問題であるものの、仮に犯行との近接時期に丙に電話をかけたとしても、甲が当時丙を利用するアリバイ工作的な企みを持って行動していたものとすると、そのときの電話の内容が犯行についての連絡や打合せ等であったと決めつけることはできない。

次に、富山事件関係の②、③の項目についての所論は、いずれも、甲がAを誘拐した直後と殺害を実行しようとする直前に丙に電話したことを前提にした主張であるが、そのような丙への電話がかけられた事実自体を証拠上明らかにできないとする原判決の判断は覆せない。

検察官は、甲が供述している時刻とは違うがその夜のうちに甲からの電話があったことを丙が認めているのを、広い意味での不利益事実の承認というようだが、その時刻の違いは重要であり、これに目をつむったうえでの立論に耳を傾けるわけにはいかない。

すなわち、まず②における二月二三日夜甲が丙にかけた電話の件に関しては、甲は、Aを誘って食事に行った「銀鱗」豊田店から午後九時ころに丙に電話してそのことを伝えたと供述するのに対し(原審二六回)、丙は、同日午後一一時ころ甲から「金沢の土地の件」で電話があったと述べていて(原審九五回)、その電話の時刻と通話内容は明らかに違うのであるが、所論は、丙がいう金沢の土地の件を頭から虚偽の弁解とみて受け入れず、甲が誘拐殺害等の犯行をまさに実行しようとするときに電話する相手は丙以外にないと決めてかかってその通話内容を憶測していることになり、これでは共謀の事実を先に固めてしまってから間接事実をいうことになって思考順序が逆であるといわざるを得ない。

所論は、丙がその夜のうちに甲からの電話があったという限りでは同じ事実を自認しているようにいうが、丙の供述内容が甲からの電話が当夜午後九時ころに電話があった事実を否定している点に意味があるのであって、丙としては、その夜甲からの電話があったこと自体を不利益事実と考えて捜査官に秘匿しようとするのであれば、時刻だけをずらした供述をしてみても余り意味がないことからしても、電話があったという点が共通するからといって双方を同一趣旨の供述とみなすことは相当でない。

もともと、甲がAを誘拐してから殺害するまでの行動には不明な部分が多いのであって、先にA誘拐の態様について詳しく考察したように、甲において誘拐後に殺害するという具体的計画を即座に実行に移そうとする気配は当初段階ではむしろ薄かったようにみえ、その間には甲は切迫した借金の支払いや督促に対する対応に腐心していたことも考えられるのであって、とすると、その時期甲がそれらのやりくり算段のため丙以外の相手方に電話をかけるということは十分あり得るのであるから、仮に甲がいうとおりその夜午後九時ころ他に電話をかけた事実があったとしても、その相手は丙に限ったわけのものでもない。

のみならず、その夜の丙への電話の件に関しては、甲から折角誘拐成功の連絡を受けたはずの丙が、大事な殺害役を引き受けていたというのになぜかその夜のうちに何の行動も起こさなかったことに対し、甲は電話でその都合を一切聞こうとしなかったとしている点が誠に不可解であり、ここではむしろ甲が丙に電話したとしていることよりも、当然に電話すべきことを電話しなかった事実の方を共謀についての消極的状況として問題にすべきものであろう。

なお、丙が自認する午後一一時ころの電話というのも、丙がいう弁解事実を頭から排斥するのでなければ、甲が単独で実行しようとしていた犯罪計画の遂行上、丙の動静を探るとともに同人に自分の所在地を誤認させ、あるいは丙をできるだけ自宅に足止めさせるための工作などとみて必ずしも不自然なものとはいえず、これをもって甲及び丙両名の共謀を示す間接事実とすることはできない。

更に、③の項目に関しては、甲は、捜査段階において、Aの殺害を実行する直前ともいえる二月二五日午後八時三〇分ころ、「エコー」店内の公衆電話から丙に電話し、A殺害の手はずについての打合せをしたと供述し、公判供述においても、通話内容に多少の違いはあるがほぼ同旨を述べているところ、甲が同所からその時刻に深刻な面持ちで一〇分以上もの長電話をかけていたことは他に目撃証人もいて明らかな事実でもあるが、その電話の相手方が丙であったとするには甲の供述以外に証拠はなく、これを認定することはできないとした原判決の判断は首肯するに足るものであって、これまた、電話の相手が丙以外にはないとする検察官の主張は独断というほかない。

この場合でも、甲がいうとおりの電話連絡を丙にしたというのなら、なぜその後丙が計画実行に向けて動かなかったのか、それにもかかわらず、犯行には消極的であったかのようにいう甲が勝手に一人でAを殺害するという凶行に踏み切ったのか、原、当審公判供述を通じても甲の口からその納得できる理由を聞くことができない。

Aを誘拐した当時、甲には多額の債務があり、なかでもEから既に期限が過ぎた借金の督促が特に厳しく、甲方にもしばしば同人からの電話がかかってきてその断りに苦労していた様子が証拠上明らかであるが、甲は富山事件で四月二一日に逮捕された当初は、この「エコー」からの電話の相手方はEであったと供述しその後もその供述を維持していたのに、裏付け捜査の結果、当のEがその日時に甲からの電話を受けた事実はないと否定したため、更に追及したところ、電話は丙に対してかけたものであると供述を変更した経緯があることは所論も進んで取り上げ、これをもって、甲が捜査当初は丙をかばって虚偽の事実を申述していた証左であるかのようにいうのであるが、承服はできない。

Eは、富山事件に関連し甲からの依頼でA誘拐の偽装工作を引き受けたりもしており、同人の甲に対する借金の督促が甲の犯行動機にもなっていないかが疑われる立場にもあった人物でもあってみると、必ずしも事件と直接の関わりはなくとも、下手に容疑を掛けられたくはないと構えてもおかしくなく、とすると仮に「エコー」から甲の電話を受けた事実があったにしても、その裏付け捜査に対して正直にこれを認めるとは限らないのであって、捜査官に対する同人の答えを絶対視して事実関係を推断するのは相当でない。

Eは、原審公判(期日外[五四回])での証言でも否定的な供述をしていることが記録上明らかではあるが、その供述内容は、甚だ歯切れが悪いものであって、質問自体が半端な限度でとどまっていることもあって、そこでは必ずしも真相が語られていない可能性が残ることをいわないわけにはいかない。

ここでも所論は、丙が当夜午後一一時ころに甲から電話があった旨公判で自認していることを不利益事実の承認とみるべきものと主張しているが、その時刻に電話したという事実は、逆に共謀の存在を疑問視させる状況といえるものであることは前同様である。

続いて、長野事件関係につき、⑧の項目において、所論は、丙が三月四日[日興]に本名でなく「吉田達夫」なる偽名を用いて宿泊予約をしたこと及びその予約の際にホテル従業員らに対し、「夜中の二時あるいは三時、四時に電話があるかも知れないので取り次いで欲しい。」と頼み、「電話があり次第出掛けなければならない。」などと述べていたなどということは、丙が自分らの犯行の足取りを隠すとともに、甲が誘拐、殺害等の犯行を成功させた後の連絡に備えていたことを示すものとして、いずれも共謀を推認させる間接事実であると主張するのであるが、これらは一応の疑問行動ということはできても、なお反対解釈の余地もあり、共謀と密接に結び付く有力な情況とまでみなすことはできない。

まず、丙が宿泊予約に偽名を使った点については、丙として本件のような重大犯行をすることを秘匿するといったような目的がなくとも、不倫の関係にある男女が旅行し、その間犯罪になるかどうかはともかくとして、まともとはいえない手段で大金を入手することの自覚があってホテルに宿泊するに当たり、本名を使うのをはばかる心理はごく有り触れたものとしても理解できるのであって、検察官が詮索するほどの深い意味を持たない場合もあり得るのである。

もしそれが、本件犯行の発覚を恐れたうえでの深慮に基づいたものであったのなら、やはり、丙がその宿泊の前後に本名を使ってZに給油した行為とは整合しないことは、原判決がいうとおりであって、その両者の違いを際立たせて反駁する所論は説得力があるとはいえない。

また、所論は、丙がホテル従業員に深夜の電話の取次ぎと出発の予告をしたことも共謀を推定させる間接事実になるようにいうが、これはむしろ逆であり、もし、甲及び丙の両名が共謀し二人が一体的に犯行に及んでいたものとすれば、共犯者の一方の甲がまさに実行行為をし終わった直後に外部からその連絡を受け、待機していたホテルから慌ただしく出発するなどのことを、ホテル従業員らにことさら印象付けるような言動をするはずはなく、丙の行為は共犯者としてなら誠に不用心かつ大胆なものと眺められるのである。

しかし、それが現実に甲が指示した方針に従った丙の行為として、犯行実行者である甲の内心を付度すると、これは単に犯行後における行動の連絡というだけのことではなく、甲と一体的関係にあった丙が、犯行時ころにはちゃんと「日興」にいたことをホテル従業員に印象付けようとしたのかも知れないと疑う余地さえ生ずるのであって、いずれにしても、この際の丙の言動は共謀を推認させる方向への間接事実と評価できるようなものでないのは確かである。

次に、⑪の項目の甲がB殺害後に丙と合流した方法、つまり、当時Zに乗っていた甲が「日興」に戻って丙と落ち合う方法を取らず、わざわざ丙をホテルから長野駅まで歩かせたうえ、そこからタクシーで国道一八号線と一九号線との交差点(当時の)にまで来させて合流したというのは、ことさらに丙を第三者の目から隠そうとしたものであって不自然であるという検察官の言い分は、ほとんどその主張自体理由がないものといわなければならない。

すなわち、実行行為を単独で行った甲にとってみれば、自分の犯行を他に気取られないため、その犯行実行の時間帯に丙と離れて別に一人行動していた事実をホテル従業員らに知られることを避けようとするのは当然で、犯行直後に丙と合流する足取りを秘密にしようとしたことに何の不思議もないのである。

所論は、この場合丙の姿を第三者の目から隠そうとしたことは原判決が想定する丙への「責任転嫁」の筋書きに反するというが、原判決の「犯人工作」の推論を是認することができないことは既に説示したとおりである。

最後に所論は、⑬の項目において、甲がBを殺害した後の三月六日以降八日まで丙が特に密着行動していたことが二人の共謀を推認させる強力な間接事実になると主張するのであるが、この場合についても、既に全般的な考察として説示したところがそのままに当てはまるものと思われるのであり、甲が内心、当裁判所が可能性ありとするような「容疑者工作」の企みを抱いて丙に同一行動を取らせていたと考えるならば、甲及び丙両名の間に本件犯行についての共謀がなくとも理解ができる事実関係であり、本件のような特異な態様の犯行については、必ずしも所論が問題にするような一面的な疑惑だけですべてを推し量ろうとするのでは真相を見間違えるおそれが十分にあることをいわなければならない。

(11) 三月六日朝丙が警察にZの事故の有無を問い合わせたことについて

最後に、逆に共謀の存在を疑わせる方での有力な反対状況として、丙が、三月六日午前九時ころ、わざわざ長野中央警察署に電話し、富山三三ナンバーで女性が運転している赤色フェアレディZの交通事故の有無を問い合わせたという事実を見逃すことはできない(<書証番号略>)。

三月五日夜から翌六日朝にかけては甲がBを誘拐し、殺害の実行行為に及んでいるときに相当する時間帯であるわけだが、丙としては、甲が約束の時間に連絡してこないことから心配して問合わせをしたものと説明するのである(<書証番号略>)。だがしかし、もし丙が甲と共謀して、自分はホテルに居残ってはいても、共犯者である甲がZに乗って誘拐、殺人等の犯行を実行するために出掛けて行ったことを知っていたものとすれば、その帰りが予定より遅れ連絡がしばらく途絶えたからといって、こともあろうに警察にそのような問合わせを行うことが考えられるだろうか。しかも、その際に丙が警察に申告した内容というのは、こちらからしゃべりさえしなければ警察には分からないような事実、つまり、車のナンバー、色、車種、運転者が女性であるということなどを進んで伝えているのであって、これはまるで、犯行の発覚を最も恐れなければならない警察に対し、捜査の端緒を与え、有力な状況証拠を提供しているようにもみえるのであって、本件のような重大事件の犯人としては常識外れも甚だしい行為といえよう。この場合甲からの連絡が長時間途絶えれば心配はするだろうが、もともと殺人という凶悪犯罪を女性一人に任せて実行させようというのであるから、予定どおりに事が運ばず、また事後の処理にも手間取るなどのことが当然予想されるはずで、それを事もあろうに、自分らの犯行の手の内をさらけ出すように、警察に向かって犯行時間帯と一致するころでのZ及び甲の消息不明の事実を暴露するような情報提供を進んで行うなどのことは、気違い沙汰と言ってもよいぐらいの不条理な行為であり、いくら犯罪者心理をあれこれと憶測してみてもその心の動きを理解するのはついに困難である。

所論は、これをもって丙が切羽詰まった挙げ句の窮余の策だというのであるが、そのような重罪を女一人の手にゆだね、自分はホテルで所在もなくただ待っているだけの格好であった丙が、なぜそれだけのことでそこまでに追い詰められた心境になるのかの説明が不十分であることはいうまでもなかろう。

丙はそのとき、同時に甲の自宅の母親にまで電話して同様の問合わせをしているのであって、その真剣さからみても丙は甲がそのとき本件犯行を実行していた事実を知らなかった可能性の方がはるかに高いとみられるのであって、それだからこそ、甲からの連絡が途絶えたことにやきもきし本気になって交通事故の心配をしたものと考えれば、事態の推移は極めて自然なものとして理解することができる。

ところで、甲の公判供述の中には、長野事件の犯行の実行行為を行った前後ころに丙が「日興」から他に電話してアリバイ工作をすることの謀議を行ったとするものもあるが、この警察への問い合わせ電話をかけたこともその計画の一環であったとすることの不合理さはいうまでもないが、殺害、死体遺棄の現場に丙が出向かなかった場合には丙についてそもそもアリバイを問題にする必要はなく、また、単独で実行行為に及んだことが既に証拠上明らかな甲自身のアリバイ工作であったとするのも理屈に合わない話であって、にもかかわらず、そのようなアリバイが問題になったとしている甲の供述は、それ自体で矛盾をはらんだものといわざるを得ないが、そこにはまた、D事件で考察したアリバイ工作と基盤を共通にする企みが存在した可能性もあり、これらの問題も含めて、丙が警察に甲の消息を尋ねたという行為は、共謀の存在に大きな疑問を投げ掛ける方の間接事実として重要視していいものである。

原判決も、この事実については結局消極的認定はしているのであるが、より強く共謀の存在と相容れない矛盾を指摘していい場合であろう。

(12) まとめ

以上、検討したとおり、所論が挙示する各間接事実が、本件各犯行における甲及び丙両名の共謀を推認させるという所論の主張を容れることはできず、二人の共謀を前提にしなければ到底理解することができないという事実も、原判決が推認するような内容のものとは異なるけれども、甲が「情を知らない丙の利用」を企んでいた可能性はやはり否定できず、その場合には逆に共謀を疑問とする方がより自然な理解に到達できるのであって、結局、本件での共謀の有無に関連する各間接事実の評価を原判決が誤ったと批判する所論は理由がない。

(二) 甲の捜査及び公判段階における各供述の信用性について

前段において検討したように、本件各犯行に関連する間接事実のみでは甲及び丙両名が共謀して犯行に及んだことを推認することは難しく、かえって共謀の存在を疑問とする有力な反対の情況も認められるのであって、事案の解明は、更に甲及び丙両名の捜査及び公判段階における各供述、特に、共謀を自白する内容の供述部分の信用性を当該供述の内容自体や供述の変遷過程あるいは、相互の供述の整合性等を十分に検討し、併せて客観的に認められる先の間接事実と対照もしながら慎重に考察していかなければならない。

そこでまず、甲供述の信用性についての原判決の判断の当否を、所論の反論にかんがみつつ検討することにするが、結論的にいえば、甲が単独で犯行に及んだことを認める部分を除いては、その信用性はほとんどなく、所論がいうように、そのうちの「丙との共謀による甲実行」供述部分については信用性が十分であるとすることなど到底できない。以下にその理由を順次述べることにする。

(1) 甲供述の信用性についての原判決の判断要旨

この点についての原判決の判断要旨は次のとおりである。

検察官が主張する本件各犯行の共謀を始めとする詳細な事実関係は、丙自白を除いては、甲供述が唯一のものであるが、既に認定したとおり、富山、長野両事件とも犯罪行為の実行部分を甲が単独で行ったことは証拠上疑いがないことであり、これを前提に考えると、甲の捜査段階での最終的供述及び原審公判での主張は、いずれも殺害などの実行者を丙と名指しして自らの実行正犯性を強く否定している点において、丙への責任転嫁の態度が発現しており、この限りで、つとにいわれてきている共犯者の自白の危険性が一部現実化していることが明白であって、にもかかわらず、共謀を認める部分についてのみその供述を信用できるかという角度から検討してみた場合、富山、長野両事件とも、その実行責任を丙に押し付ける虚偽の供述をした後のものについては、それと密接に関連付けられて述べられている謀議の形成過程、殺害、死体遺棄の行動状況などは丙の有罪認定の証拠として用いることは許されず、それ以前の供述についても、その供述状況や内容には看過し難い不自然、不合理な点が多くみられ、全体を通じて作為的、意図的に行われた供述である疑いが強いものであって、甲が丙との共謀を否定して単独犯行を自白し、あるいは共謀は認めても実行行為は甲単独であったと認めている供述でさえ、真の殺害実行者をかばっているとの印象を捜査官に植え付け、将来殺害実行者は自分ではないと供述を変更させてそれを捜査官に信用させるための布石であった可能性が高く、その供述は、最終的に殺害実行者は丙であるとの心証をそのときの取調官に与えようとする周到な準備の下に作為的になされたもので、捜査段階での甲の供述全体は、取調官の心証を考慮しつつ自己の供述を巧みに操作して責任の転嫁、軽減を図ろうとする意図があった疑いが濃厚であり、公判段階での甲の供述は更にその姿勢が明白になってきているのであって、結局甲供述は、捜査、公判の段階を問わずすべて丙有罪の証拠として用いるだけの信用性がない。

(2) 検察官の反論の骨子

本件両事件について甲が実行正犯であることは証拠上明らかであるところ、甲の供述では、捜査段階において、自己及び丙と事件との関わりについては、否認、甲の単独犯行、丙との共謀による甲実行、丙との共謀による丙実行の各態様を述べているのであるが、そのうちの「丙との共謀による甲実行」の供述は、まさにその供述に至った経緯が自然であるとともに供述内容も間接事実と符合し合理的であるなど十分に信用できるものであるのに、その信用性までも否定する原判決の判断は、証拠の価値判断を誤ったもので不当である。

原判決は、甲供述の信用性を評価、検討するに当たり、甲が当初から丙に責任を転嫁する意図で供述を意識的に変遷させたものと理解しているようであるが、これは、甲が情を知らない丙を利用して犯行に及んだとする見解と裏腹をなすものと考えられるところ、情を知らない丙を利用するということは、甲が自分が助かって丙を陥れる必要があり、またそれが可能でなければならないはずであるが、そのようなことは実際には不可能なことであり、取調べでの甲の供述変遷を当初からの責任転嫁の意図によるものとみるのは実態から遊離した想定である。

仮に甲が、あらかじめ丙への責任転嫁を考えていたものとすれば、取調べの当初から端的に責任転嫁供述をすればいいのであって、それを甲があらかじめ複雑な責任転嫁の方策を立て、取調官の追及を受けながら回りくどい手順を踏んで、当初企図したとおりに丙への責任転嫁の供述操作をしていたとみるのは、極めて非現実的であって到底真実のものとは思えない。

甲の捜査段階での供述では、自己の単独犯行や丙以外の者との共謀による犯行と供述したこともあったが、これは共犯者ではあっても本件両事件とも実行行為には加担していない丙をかばおうとしたものと解することができるのであり、また、甲が殺害等の実行行為を丙が行った旨客観的事実に符合しない供述をしたのも、それまで甲が実行したと供述しているのを取調官の方が信用せず、丙が実行行為に関与しているのではないかとの強い疑惑を持って追及を続けたため、そのような心証を察知した甲が、自らの極刑を免れたい一心から虚偽の供述に及んだものとみて不合理なものではなく、これらの供述の存在が「丙との共謀による甲実行」の供述の信用性を損ねることはない。

(3) 甲供述の過程と内容の概観

甲供述の過程と内容の概観は原判決が既に掲記するところではあるが(二二九頁〜二三四頁)、捜査官の証言によっても補充したとするその供述時期と内容の要旨は、記録に徴して必ずしも正確に引用されているともいい難い点もあるので、改めて必要な修正も加えたうえでこれを再録してみると、次のとおりである。

供述時期(調書作成日付を基準とする)及び供述内容等

三月八日〜一〇日 富山事件について甲及び丙両名の関与を強く否認。

三月二九日 富山事件について終始黙秘。

三月三〇日 (<書証番号略>)

富山事件について、当初は犯行を否認していたが、捜査官から「丙が、甲と共に下呂温泉でA殺害に用いた紐と同じものを盗んだと供述した。」ということを告げられたのをきっかけに、甲が単独でAを誘拐し殺害したことを自白。

(ただし、取調官の質問に対し、「そんなおそろしいことを一人ではできません。」と答え、共犯者の名を追及されて、いったんは、同調書の添付図面に「他男性一名、男性については名前は知っているが言えません。」と記載した後、「本当は私一人で殺したのです。」と前言を撤回し、図面記載の文言を自ら抹消した。)

〔長野事件で逮捕〕(なお、逮捕事実は、甲及び丙両名が共謀のうえ、Bを誘拐し、みのしろ金を要求したというもの。)

(<書証番号略>)

長野事件(逮捕事実)について、丙と共謀してBを誘拐、殺人、死体遺棄の事実を自白。

三月三一日 長野中央警察署に引致、弁解録取。

(<書証番号略>)

長野事件について、「そのとおり私がやっています。」と陳述。

(<書証番号略>)

長野事件における丙との共謀の点は不分明、主として甲を主体とした犯行の経過の供述で終始し、丙との関連では、「常に同じ行動を取り、しかも一緒にお金を受け取るべく高崎駅近くまで来た愛人の丙が……」とか、「私どもが犯した罪の詳しい事情は後日述べる。」というにとどまっている。

四月一日 (<書証番号略>)

長野事件(逮捕事実)は甲の単独犯行であって、丙は事件には全く関係しておらず、共謀もしていないことを強調。

四月二日〜四日 (<書証番号略>)

長野事件は、名前は今は言えないが富山の男と共謀したものであり、甲はその指示に従ったに過ぎず、Bを殺したのはその男であって甲ではない。

(<書証番号略>)

長野事件は、実は甲の実兄の甲3と一緒にやったもの。

四月七日〜八日 再び長野事件は甲の単独犯と主張。

(<書証番号略>)

長野事件は甲の単独犯行でBの殺害、死体遺棄も甲が実行したもの。丙に対しては、東京か大宮の知合いの人と会う必要があると適当に言ってごまかし、ドライブ名目で聖高原方面へも出掛けた旨供述。

(<書証番号略>)

甲はBを殺害後丙に電話連絡して合流して高崎の方に向かったが、丙は甲が夜中に帰って来なかったことで怒っており、警察に赤い車に乗っている女の子の消息を尋ねたりしたと言っていた、途中甲はみのしろ金要求の電話をしたが、丙にはどこに何の目的でかけているのかは教えなかった、長野で会った知合いの人が金を持って来てくれるはずであるが、まともな金ではないから刑事が来ているかも知れないと説明し、それ以上は聞かないで欲しいと断った旨供述。

四月一二日 改めて、長野、富山両事件とも丙との共謀による犯行と認める。実行行為者は、供述記載上は不明。

(<書証番号略>)

長野事件は、その名前は今は言えないが、ある人と相談してやった。

(<書証番号略>)

ある人というのは丙のこと。

(<書証番号略>)

富山事件で失敗し、今度は長野でやろうと言って丙と一緒に出発したもの。

(<書証番号略>)

今日まで本当のことを話さなかった、これまで丙は知らないことで私一人でやったと言っていたのは、できることなら私だけが罪を背負っていけばいいと思ったから、丙は絶対に殺したことは言わないと信じていたからで、実は丙と相談してやった、丙が黙っていれば殺した罪は私だけが背負って行くつもりでいたが、それでは良心が許さないとしたうえで、長野事件での共同犯行について供述。

四月一三日 長野事件は丙との共謀による甲の単独実行の供述を開始する。

(<書証番号略>)

長野事件では、甲が女性の誘拐に成功したらホテルに待機している丙に連絡し、あらかじめ甲が睡眠薬を飲ませて眠らせておいた女性を丙が殺して死体の始末をする計画であった、三月五日夜Bを誘拐し、午後九時ころ丙に電話したら「分かった。」と返事をしながら、合流予定場所で三時間くらい待ったが出て来なかった、丙は富山事件のときのように当てにはならないので、結局甲一人でBをZに乗せて山中に連れていき、睡眠薬を飲ませて眠らし、翌六日早朝車内において「志賀」の腰紐で絞め殺して死体を捨てた旨供述。

四月一四日 長野事件だけでなく、富山事件も最初から丙と共謀し甲が実行した旨供述。

(<書証番号略>)

富山事件でも丙と共謀し、計画では丙が殺害を担当する予定で、誘拐も丙にせき立てられて甲が行ったものだが、誘拐後丙に連絡したのに丙がそのとおりに行動を起こさなかったため、結局甲が一人でAを車で連れ出して帯紐で絞め殺して死体を捨て、家族にみのしろ金を要求したが失敗した、このときは睡眠薬は使用していない旨供述。

四月一五日、一六日 長野事件は丙と共謀し、丙が殺害する計画であったが、連絡するも丙が現場に来なかったので、甲がBを殺害して捨てた旨供述。

(<書証番号略>)

連絡しても丙が来なかったので甲がBを殺害した、腰紐を二つ折りにして首の下に通して首の右側で紐の両端を手の甲に巻き付けて交差するようにして力一杯絞めた、甲は縦結びの癖がある旨供述。

(<書証番号略>)

B殺害後丙に電話、あらかじめアリバイになるようどこかに電話しておくように丙と相談していたが、警察に赤いZを運転している女性が事故を起こしていないかと尋ねたというので、よりによってと怒った旨供述。

四月一七日〜一九日 長野事件については丙と共謀し、アリバイ工作の計画もあり、また、殺害後はみのしろ金要求のために丙が同一行動を取ったことはいうが、丙が合流予定場所に来なかったため甲が単独でBを殺害、死体遺棄したことの明確な供述はない。

(<書証番号略>)

富山事件に至る経緯について供述し、D事件にも言及。富山事件については丙との共謀とはいうが、Aの誘拐殺害を誰が実行したかは調書上の記載がはっきりしていない。

長野事件については、事前に丙と共謀したが、その内容は、甲が女の子の誘拐に成功したらホテルに待機している丙に連絡、丙はこっそり抜け出してきて甲と合流し殺して捨てる予定であった、なおそのときには、一八号線と一九号線の交差点(当時の)まではタクシーでいいが、それからはトラックにでも乗せてもらい、できたら何台も乗り継いでくればばれることがない、殺害等の実行後はすぐ長野に戻り、丙はこっそり「日興」に入って一晩中そこにいたことにし、甲は改めて死体を捨てた場所に戻ってZで付近を乗り回し、甲が一人でいたことを印象付けたのち再び丙と合流することも計画した旨供述。

(<書証番号略>)

長野事件について、三月六日朝Bを殺して捨てたとは供述しているが、その実行者が誰かという点は明らかでない。甲単独の趣旨に窺えるところもあるが、なぜそうなったのかという説明は全くない。

丙も加わったみのしろ金要求についての犯行の詳細を供述。

(<書証番号略>)

富山事件について、丙が積極的に犯行を主導していた点を含め共謀の状況を詳しく述べながら、肝心の実行行為部分については、計画どおりにAを誘拐し、結局殺してその死体を捨てたというだけの供述で終わっており、誰がどのように殺害したかの説明は全くない。

長野事件での共謀状況。この時点では女の子を殺害後丙がホテルにいったん帰るという打合せはなかった旨供述。

(<書証番号略>)

甲がBを誘拐した状況。殺害実行者についての供述はない。

四月二〇日 長野事件は丙と共謀し、殺害実行も丙という供述に変更。アリバイ工作の存在、丙実行供述をするに至った心境。

〔四月二〇日長野事件で、逮捕事実であるみのしろ金目的誘拐、みのしろ金要求に殺害、死体遺棄も加えて起訴〕

(<書証番号略>)

長野事件において、丙が自分自身のアリバイとしてホテルをこっそり抜け出して又戻る方法を言い出したことから、犯行が後でばれた場合、どうせ二人で殺して捨てたと言われるに決まっているので、丙にアリバイがあれば甲も助かると思ってそうすることにした、自分でもいい考えを出したものと思った、結局、三月五日夜甲がBを誘拐、丙に電話連絡した後同女に睡眠薬を飲ませて眠らせ、翌六日午前二時前ころ待ち合わせ場所に出てきた丙と合流し、丙がBを殺害し、二人で死体を遺棄した、その後午前六時三〇分ころ「日興」に引き返して丙を降ろしたなどと供述。

(<書証番号略>)

これまでは愛する丙をかばうため甲一人でやったと嘘を言っていたが、実際は丙と共謀し、丙が殺害して死体は二人で捨てたというのが真実である、Bの首の締め方については丙から聞いていて自分でも色々考えて説明したが、実際に殺したのは丙なので、話に行き詰まってどうしようもなくなった旨供述。

四月二一日 〔長野南警察署で富山事件(みのしろ金目的誘拐、殺害、死体遺棄)により逮捕、富山警察署に引致、その後同署に留置〕

(<書証番号略>)

富山事件について、丙と共謀して甲が実行行為、丙は殺してない旨供述。

四月二二日〜二四日

(<書証番号略>)

富山事件は、丙と共謀し、殺害、死体遺棄は甲の単独実行。

事前には丙が殺害担当の約束で積極的に犯行をそそのかし、甲からの誘拐成功の電話連絡にも分かったと答えながら、現場には出向いて来なかったので、甲が単独で殺害等の実行行為に及んだ旨供述。

四月二八日〜五月一三日

(<書証番号略>)

富山事件は、丙と共謀し、丙が殺害を実行し、二人で死体を遺棄した旨に供述変更。

〔五月一三日富山事件で起訴〕

公判廷(原審) 富山事件は否認。甲は丙に頼まれ代わりにAを富山駅に迎えに行ったに過ぎず、同女の誘拐、殺害、死体遺棄はすべて丙が単独でやったもの。長野事件は、丙と共謀して甲がBを誘拐したが、殺害は丙が行い、死体遺棄は二人でやったもの。

公判廷(当審) 当初での被告人本人質問においては、原審公判と同じ主張を維持。

二二回公判に至って従前の主張を撤回。

以降の被告人本人質問において、富山事件は、丙と共謀して甲がAを誘拐したが殺害は丙が行った旨、長野事件では、丙と共謀して甲がBを誘拐したが、丙が打合せどおり現場に来なかったので甲が単独で同女を殺害、死体遺棄したものである旨と供述を変更。

以上のとおりであって、その甲供述の変遷過程を概括してみると、甲は、捜査当初こそ本件両事件について丙の関与も含めて強硬に犯行を否認していたものの、三月三〇日長野事件で逮捕される直前に、丙が捜査官に対して富山事件のA殺害に用いられた紐に関する供述を始めたことを聞かされたのをきっかけに甲が単独でAを誘拐して殺害したことを自白したが、他にも男性の共犯者が存在することをほのめかすような微妙な供述態度も示し、逮捕後の長野事件の取調べでは、富山事件とは違って、いきなり丙との共謀による犯行であることを認めながら、翌三一日の供述では、長野事件での丙との共謀の点はやや後退し、更に翌四月一日に至っては、前言を翻し長野事件においても丙との共謀を否定して甲の単独犯行を主張しだしたかと思うと、翌二日から四日にかけては、今度は丙以外の男性との共謀による犯行であると言い始め、それが七、八日になると、供述を三転させて再び長野事件は甲の単独犯行の主張に戻り、特に、丙を同行させたのは適当に嘘を言って同人を騙していたものであるなどと弁明したのち、同月一二日に至って、改めて、富山、長野両事件とも丙との共謀による犯行であるとの供述を始め、これまでは丙をかばって甲一人が罪を背負っていこうとして嘘を言っていたものであるとし、翌一三日以降には、本件両事件とも、丙と共謀し、いずれも同人が殺害役になっていたが、そのどちらの場合も丙が現場に来なかったため甲が単独で殺害等を実行したものである旨を供述するようになったのに、同月一九日ころまでの供述では、殺害現場に丙が来なかったということ及び殺害実行者が誰かという点が次第に曖昧になっていき、翌二〇日には、長野事件は丙と共謀しただけでなく、現場にも出てきて甲と合流し、最後は丙がBを殺害し、死体の遺棄は甲及び丙の二人で行った旨供述するに至り、また富山事件についても、前述のとおり、四月一二日ころには丙との共謀をにおわすようになっていたが、同月一四日には、丙と共謀し、しかも丙が殺害役になっていたのに行動を起こさなかったため甲が単独で殺害に及んだことを明白に供述するようになりながら、同月一九日ころにかけては、丙が積極的に犯行を主導していたことを述べる一方で甲が単独で殺害したことを強調しなくなっていたのが、四月二一日には再び、丙が約束どおり現場に出て来なかったので甲が単独でAを殺害した旨の供述に戻ったが、同月二八日になるや、甲実行供述を覆し、丙は呼出しに応じて現場に出向いて来て合流し、丙がAを殺害し、死体遺棄は甲及び丙の二人で行った旨長野事件と同旨の犯行の態様を詳しく供述するようになり、その供述は五月一三日富山事件で起訴されるまで維持されていた。

その後の甲の公判供述では、原審においては、富山事件で捜査段階の自白を翻し、丙との共謀の点も含めて全面的に犯行を改めて否認し、長野事件では丙との共謀は認めるが、殺害は丙が行い、死体遺棄は二人がやったと供述していたものを、当審に至って、富山事件では、丙と共謀して甲がAを誘拐したことは認めるが、殺害は丙が実行したもの、長野事件では、丙と共謀して甲がBを誘拐したが、丙が現場に来なかったので甲が殺害したものである旨変遷したことは、既に挙示したとおりである。

(4) 甲供述の過程及び内容の特徴と一般的な不審点について

以上に示したとおり、本件各犯行に関する甲の供述は、捜査当初の段階から原、当審公判供述に至るまで様々に変遷して帰一するところがなく、その供述内容も、一見具体的かつ詳細で生々しくはみえても、共謀の成立過程や計画の手順方法などについての説明が本件のような重大犯罪を実行したにしては余りにも曖昧かつ空疎であり、何よりも、最も肝心な殺害等の実行行為についての記述が調書上全く省略されたり、杜撰に過ぎる供述に終わっていたりした挙げ句、既に証拠上は明白になっているように、本件両事件ともに殺人、死体遺棄を含む犯行の実行部分はすべて甲の単独行為であるのに、いずれも最終的には丙が殺害の実行行為を行ったように供述内容が変遷していく過程は、単に殺害実行者についての最終供述部分が虚構のものであるというだけのことで済まないのであって、丙との共謀をいう点も含めて甲供述全体の信用性を大きく減殺する事情とみなさざるを得ないのである。

甲自身も、当審公判の最終段階に至ってではあるが、富山、長野両事件について、それまで丙が実行したものと強硬に主張してきた誘拐や殺人等の事実関係について、富山事件での殺害実行者が依然として丙であるとする点を除いては、すべて虚構のものであったとして従前と正反対の逆転供述を行い、自らの過去の供述の作為性を自認するに至ったことからしてみても、既に甲供述は、全体的にも個々的にもその信用性が著しく乏しいものであることを認めないわけにはいかない。

大体が、本件のような誘拐、殺人、みのしろ金要求といった重大犯罪を、甲が言い張るように、丙と共謀して行おうというからには、相当に周到かつ綿密な犯行計画が事前に練られ、これに基づいて実行されるのが当たり前と思えるのに、そのような内容の謀議が丙との間でなされたことが甲供述の中にほとんど窺えないばかりでなく、丙は、犯行には極めて意欲的、積極的であったうえ本件両事件ともにあらかじめは殺害の実行担当者に予定されていたとされながら、証拠上で丙が現場に臨んで実際に殺害行為に出た形跡が全くなく、その他の実行部分にも一切姿をみせないというのがいかにも不可解な犯行の態様であり、そのうえ、丙が約束どおり現場に現れなかったからといって、いずれの場合もその理由が何らただされることもなく、また、甲及び丙間で善後策の協議が行われることもなく、いわば甲が勝手に単独で被拐取者を殺害してしまうといった犯行の経過は、もはや経験則上の理解を超える異常なものであって、その間の事情について合理的な説明が欠けたままの甲供述は、その内容自体から既に信用性に大きな欠陥があるものといわざるを得ない。

このように最初から大きな疑問がある本件での共謀に関する甲供述の信用性を検討するに当たっては、単に一般的、常識的な見方で共謀が推測されるといった程度の事情を供述中に指摘するだけでは足りないのであって、逆に、その共謀がなかった場合にはどうかという視点からの吟味を怠らず、そこで尋常でないと思われるような供述の矛盾を見いだしたときは、供述者の内心状態をも推理し、あるいは先に認定した間接事実とも対照するなりして慎重に事実関係を推究してみる必要があることはいうまでもない。

この点について原判決は、甲供述を細かく分析した結果、その供述状況や内容には、原判示のような不自然、不合理な箇所があり、供述は作為的、意図的に工作された疑いが濃厚であるとし、それをもって甲供述の信用性の否定に繋がる事情とみなしているのは正当であり、捜査当初の段階で甲が単独犯行を自白したのが、丙に対する愛情から同人をかばってその共謀の事実を隠したという甲の弁明を排斥し、検察官が信用できると主張する「丙との共謀による甲実行」の甲供述を措信しなかったことも肯認することができるのではあるが、ただそれを、甲が将来は殺害実行者が自分ではなく丙であるように供述を操作し、最終的に丙に責任転嫁する供述を行って、それを捜査官に信用させようとする一貫した意図の下で当初段階から少しずつ供述を変遷させた疑いが強いとする推論までも正当として支持するわけにはいかない。

すなわち、甲供述の変遷や内容を子細に分析吟味すると、甲が自らの罪責を免れようとする意図を持って捜査段階での取調べで何らかの作為供述をした疑いは非常に濃いということは、原判決が推理するとおりと考えられるのであるが、甲供述の変遷の跡をたどると、必ずしも甲があらかじめ計画したとおりに事が運んだとはみられず、丙が期待したとおりの供述を取調官にしなかったことで、甲の予定していた供述対策の目算が外れる結果になってしまったという可能性の方が高いのであり、甲がそれでも捜査途中まではのちに自白を撤回する場合も予想した作為供述を意図していたという気配がなくもないが、最終的に甲が丙への責任転嫁供述を行うに至ったのは、検察官も推察するように、むしろその後の捜査の成行きからきた心境の変化とみることが十分できるのであって、これが必ずしもあらかじめ仕組まれた供述操作による結論であったとも考えにくいのである。その理由については後述する。

(5) 三月三〇日における甲の捜査官に対する各供述について

原判決は、甲供述の信用性について、長野事件で起訴された四月二〇日の前後で全体の供述を区分し、更に、長野事件関係と富山事件関係の供述に分けて検討を行っているのであるが、要するに、そのいずれも、丙が殺害の実行行為者である旨の明らかに証拠に反する虚偽の責任転嫁供述に転じた以後の甲供述についてその信用性を全面的に否定し(ただし、長野事件について丙の実行供述が初めに明確に記載されている甲の供述調書は四月二〇日付けのものであって、その供述開始日を一八日と記述する原判決は、同日付け調書の内容を正しく理解したものといえない。)、それ以前の供述についても、その供述状況や内容を吟味分析した結果、これらは単に不自然、不合理というばかりでなく、最終的に丙に責任転嫁させようと図って供述を作為的、意図的に少しずつ変遷させていった可能性が全体を通じて強く疑われると断じて、これらの信用性も否定するのであるが、当裁判所としては、捜査当初(三月三〇日)における本件両事件に関する対照的な内容の供述の分析を重要課題と考えるので、あえて事件別には区分することなく、全体的視野に基づいて考察することとする。

まず甲は、三月三〇日の取調べにおいて、富山事件については自分の単独犯行と自白して丙の事件関与を否定しておきながら(<書証番号略>)、引き続いて取り調べられた長野事件の方では、極めて簡単に丙との共謀による犯行であることを自白しており(<書証番号略>)、その両者の供述内容が著しい対照を示していることに注目させられるのである。

しかも、その富山事件での甲単独犯行の自白というのも、その過程において他に男性の共犯者が存在する可能性をほのめかしながらの供述というのであって、決して単純で素直なものでないことも、前述したとおりである。

のみならず、甲の供述するところ(原審三三回等、当審一一回、二三回等及び<書証番号略>)によれば、甲及び丙の両名は、その取調べの前に捜査官に対する供述対策を相談し、甲だけが罪をかぶって丙が共犯者であることは秘匿しようという打合せができていたというのであり、甲の単独犯行の自白は、その線に沿って丙をかばった供述であるというのであるが、それにしては、わざわざ共犯者の存在をほのめかしてみたり、まして長野事件については、捜査当局において丙が犯行に加担したことを疑う何らの証拠も掴んでいたとも思えず、したがって、その時期に丙への容疑を強めてその線での厳しい追及がなされた形跡も全くなかったはずであるのに、いち早く丙との共謀を自白してしまったという供述姿勢には大きな疑念が生ずるのであって、原判決が、この段階での甲供述につき、取調べの初期だから真実を吐露したといった評価は与えにくいとしてその作為性を疑っているのももっともなことである。

したがって、甲供述全体の信用性を確かめるためには、この段階での供述内容をその背景、動機、取調状況等にも照らして慎重に検討することが特に重要であろうと思われる。

そこで、そのような甲供述がなされるに至った経緯や動機をその供述内容との関連で眺めてみると、そこには到底看過できない大きな供述矛盾が発見される。

もともと甲は、それまでの捜査官の任意の取調べに対して本件両事件ともに全面的に犯行を否認していたというのであって、それはそれで何とか罪を免れたいと願う犯人の立場からは当然のあり得る態度といえるのであるが、三月三〇日当日の取調官であった岡本警部から「丙が下呂温泉から紐を盗んで来たことを言っているぞ。」と聞かされたのがきっかけで、富山事件は甲が単独で犯行に及んだ旨自供するに至った(原審一四二回岡本新治、<書証番号略>)ということに対しては、すぐにはもっともとうなずくわけにはいかない。

甲はあらかじめ丙との間で供述対策を相談し、いよいよとなれば甲が全部の罪をかぶるから丙は何も知らないということで押し通し、それでも不審点を問い詰められれば、長野事件については、甲が、知合いの大宮か東京の人から長野で金を受け取るという話をしていたことにすればよいし、詳しい話は甲が教えてくれなかったことにすればいいなどの打合せができていたとも言っているのであって(<書証番号略>等)、そこまでの了解と覚悟ができたうえで甲が捜査官の取調べに臨んだというのなら、その線に沿った富山事件での単独犯行の自白の中で、ことさら他に男性の共犯者がいたかのようにほのめかすなどのことは論外であるし、ましてや長野事件での取調べにあって、富山事件では折角丙をかばって虚偽の単独犯行の自白をしたというのに、その直後に態度を豹変させて早々に丙との共謀事実を捜査官にばらしてしまったというのでは自家撞着も甚だしいのであって、そのような裏腹の供述態度を合理的に説明する甲の供述はない。

この点に関する甲の弁明は、前記<書証番号略>によれば、「岡本警部から丙が下呂温泉の紐の件をしゃべったことを聞いて、このまま丙にしゃべられては二人とも助からないと思って私一人がAを誘拐して殺したことにして罪を背負うつもりでそのように調書を取ってもらったが、長野事件の方は事実ありのままに丙との共謀を認めた。」というだけのことであり、更に、当審公判供述も含めた説明によると、その間の事情について、「甲が丙をかばって罪を背負うが、そのためには丙は何も知らないということにし、それで通らない場合の言い訳も打ち合せてはいたけれども、三月三〇日当日、岡本警部から丙が事件のことをしゃべり出したと聞いて驚き、このままでは二人とも助からなくなるので捜査官の目を自分の方に向けようと思い、二人の言い分が食い違うのもまずいと考えて富山事件は甲の単独犯行と自白したが、その際他に共犯者がいるような発言をしたのは、捜査官からお前が殺したんだろうといった挑発的なことを言われたのに反発する気持ちからついそういう態度を取るようになったものであり、また、長野事件について丙との共謀を認めたのは、捜査官の誘導的な説明がよく分からないままつい丙との共謀を認める供述をするようになってしまったものである。」などというのであるが、このような内容の弁明が甲の不合理な食い違い供述について何の説明にもなっていないことは多言を要しないところである。

甲は岡本警部から丙が一部事件に関係する供述を始めたということを聞かされただけで非常なショックを受けたかのようにいうが、自ら丙の罪をかぶって過大な処罰をも甘受する覚悟ができていたという甲が、その程度の事態にそこまでの慌て振りを示すのも解せないところであって、第一に、甲が岡本警部から聞いた限りでは、丙が甲についての不利益事実を供述し始めたらしいということは理解できても、丙自身が本人の犯行を自白したと受け取れるようなものではないのであって(甲は「丙が自白を始めたと思った。」と言うが措信できない。)、だとすると、それだけのきっかけでそれまでの強い否認の態度をがらりと変えて富山事件での甲の単独犯行を自白することになったという経過には釈然としないものがあるのであって、それがもし、丙をかばってやるために予定していたとおりの虚偽自白であるというのなら、その際に捜査官から甲を殺人の実行行為者と疑うような言葉を吐かれたからといっても、それは丙をかばって甲が単独で犯行に及んだと欺こうとしていたという甲にとってはむしろ我が意を得た捜査官の誤信というべきものであり、これに反発して逆に丙へ容疑を高めるような言動に及ぶなどとは矛盾も甚だしい態度といわなければなるまい。

この点の状況を更に考察してみると、甲が富山事件を自白したとされる<書証番号略>には、「私がAさんを殺した場所」と題する図面が添付され、その図面上に「私と他男性一名、男性については名前は知っているが言えません。」との記載がいったんなされながら、「と他男性一名」以下が線で抹消された跡が明瞭に残されており、その間の経緯は、取調官である岡本警部が「一人で殺したのか。」と質問したのに対し、甲が「そんな恐ろしいことを一人ではできません。」と答え、前記図面に「他男性一名」等の記載をしたものの、「本当に誰かと一緒にやったのか。」と重ねて念を押されると、今度は「本当は私一人で殺したのです。」と前言を取り消し、前記図面上の文言を抹消したというのであって(原審一四二回岡本新治)、このような事実や経過からは、甲が捜査官に感情的に反発してつい行き過ぎた発言をしたものと推認することは不可能で、結局それは、他に男性の共犯者が存在することをわざわざ暗示した疑いが濃いことになるが、甲としては、そうすることにより共犯者の容疑が自分と密接な男女関係にある丙に向けられるだろうことを自覚しなかったはずはないと思われるだけに、その際の供述態度には不審の念を禁じ得ないのである。

のみならず、甲が富山事件での取調べ終了後長野事件で直ちに逮捕されてその取調べを受けた際、今度は簡単に丙との共謀までも白状してしまっているが、これは丙をかばうことの事前打合せができていたという甲の供述として不可解極まりないものであることはいうまでもなく、これについて前記のような甲の弁明が通用する余地は全くないのである。

所論は逆に、甲が富山事件での取調べに際してその犯行に男性が関与していることを強くほのめかしたというのは、丙との共謀を認めるかどうかを甲が大いに逡巡した様子を示すものであり、長野事件において丙との共謀を認めたのも、甲はそれまでは全面的に否認の態度で終始してきたものの、長野事件で逮捕されたことで衝撃を受けて観念し、ついに丙との共謀を認めるに至ったものと理解できるというのであるが、これは甲が丙をかばって全責任を取ることを決心し事前での打合せもしてあったとする弁明を考慮から全く除外したうえでの立論であって何らの説得力もない。

そもそも甲にとっては、本件両事件は丙との共謀による犯行であると主張する立場を捨てない限り、三月三〇日における富山事件についての甲単独犯行の自白は、共犯者の丙をかばったためのものと説明しなければ前後のつじつまが合わないことになり、そのような弁明と結び付けてこそ前記のような事前打合せがあったということも意味を持ってくるのであるが、逆にその事前打合せがあったことを前提にすると、取調べに際し、他の共犯者の存在をほのめかしたり長野事件で簡単に丙との共謀を認めてしまった供述態度の説明がつかないという自己矛盾に陥るのであって、それはまさに、あくまでも丙との共謀があったことを前提にしたまま事実関係に整合性を持たせようとしたためにその無理が露呈したものとみざるを得ないのである。

しかし、そのような矛盾も、甲及び丙両名が本件で共謀したという前提を条件から外し、本件両事件がもともと甲の単独犯行であったものとして考えてみると、甲が後日の犯行発覚の場合に備え、本件が凶悪な重大犯罪であるだけに、捜査官側がやるからには甲及び丙が共同してやるに違いないと思い込むだろうその常識の裏をかいて、容疑を実際には事件に関与させていない丙に向けさせることができれば、甲への厳しい追及をはぐらかすことができる一方、丙の方は身に覚えがないこととして強く無実を主張するだろうことも期待することができ、また、丙についてはもともと裏付けとなるべき証拠が存在するわけでもないことから、一時期丙に迷惑を掛けることがあってもやがては無罪放免になることが予想されるといった効果を狙った甲において、捜査官に対していったんは自己の罪責を認めたかのように供述しながらも、捜査官の容疑の目を丙の方に向けさせようとして曖昧供述をしたものと推測することもできるのであって、先にも述べた、いわば「容疑者工作」といった構想を甲が抱いて行動した場合を想定して関連の事実関係を今一度眺め直してみると、これまでは理解し難いとしてきた多くの矛盾や不審点が解消され、後述するように、甲自身が供述の端々でその考え方に沿うような言葉を漏らしているところに照合してみても、これが決して絵空事とは思えないのである。

そして、このような想定の下で甲の立場を考えてみると、甲としては最終的に丙を自分の身代わり犯人に陥れることを目的とするわけではなく、単に一時的に容疑者になってさえもらえばよいのであるから、甲自身としては、本来なら否認の線を貫いたまま捜査官側で丙への容疑を強めてもらうのが理想的な展開であっただろうと思われるが、捜査の進展の具合によっていったんは甲の犯行を自白しなければならない事態になっても、なお丙への疑惑を利用してその罪責を免れようとすれば、のちにその自白は虚偽のものであったとしていずれ撤回できる余地を残しておく必要があり、そのときに備えるためにも、丙が共犯者であることを甲自身の口から明言するのをできるだけ避けようとしたのは当然だし、また、丙に対しては本人が本件各犯行に無関係であることを強く訴えること以外に甲の犯行当時の行動を含めその事件に関する情報を捜査官に提供させないようにすることも肝要であろうと推察することができる。

こうした考えに立って初めて、共謀を前提にしたのでは矛盾だらけだった甲の三月三〇日における自白の経緯や内容について、自然で合理的な説明が可能になってくると思われるのである。

すなわち、前述したように、甲が丙の罪をかばうつもりであったというのなら、何というほどのこととも思えないような丙の捜査官に対する紐に関する発言も、丙が捜査官に余分なことは言わないことを強く期待していた甲にとってみると、折角罪証隠滅を図って企んでいた捜査官に対する供述対策の筋書きを大きく狂わす出来事になるのであって、甲がこれに非常なショックを受けたというのもうなずけるところであり、丙にこれ以上しゃべらすわけにいかないというのも、甲が犯行を否認したままで丙によって甲についての疑惑事実をどんどん捜査官にしゃべられてしまえば、その後の甲の言逃れが難しくなってしまうと受け取ったものとしてなら納得できる反応であり、そこで捜査官の注意を甲の方に向けるため、富山事件での甲の単独犯行を自白したというのも、甲にとっての次善策としての対応だったと受け取ることができ、更にその際、氏名不詳の他の男性が共犯者として存在したかのようにほのめかしたというのも、甲が丙をかばうつもりであったとしたのでは何とも不可解な態度といわなければならないが、これが自分からの直接の名指しは避けながらも捜査官の丙への容疑を高める手段であったとなると至極もっともなことになり、更にまた、長野事件の方では早々に丙との共謀を認めてしまったということも、犯行時における接点がほとんどなかった富山事件の場合とは違って、長時日にわたって丙と同一行動を取ることが多かった長野事件の場合では、捜査官の丙への容疑をより高めることを計算に入れた供述対策であったとみて決して不自然なものではない。

このことはまた、甲が、三月二九日に丙から電話された際、「もし逮捕された場合、警察で二日間、あと検事勾留二〇日間を何もしゃべらないで黙っていてくれれば、私は必ず丙さんを助けてみせると言った。」(原審三三回)、「丙において三週間自分がやったと自白しなければ釈放に持っていく自信があった。」(当審二四回)、「後でばれた場合にはどうせ二人で殺して捨てたと言われるに決まっていると思ったので、丙にちゃんとしたアリバイがあれば私も助かると思った。」(<書証番号略>)、「私の方が表に出ているので万一のときは私が全部ひっかぶればいい。」(<書証番号略>)、「このまま丙にしゃべられては二人とも助からないと思い」(<書証番号略>)などと供述していることとも奇妙に符合し、また、丙が弁護人との接見で「甲からは、二八日と三〇日に『あんたはあんたで言ってみなさい。私は私で言うから、あんたってにぶいね』と言われた。」(<書拠番号略>)と発言していることなどが、にわかに現実的意味を帯びてくるといえるし、更に、甲が原審公判中で丙に対し、本人が無罪であること以外に余分なことはしゃべるなという趣旨のメッセージを送ろうとしたが果たせず、筋がめちゃくちゃな裁判になってしまったと供述している(当審二三回)のも、極めて暗示的に聞こえてくるのである。

このように検討してみると、甲が事前に丙をかばうための打合せをし、その際に丙が知らないというばかりでは通らなかった場合に備えての言い訳も考えたなどという甲の弁明は疑わしく、甲がことさら供述対策のために言い出した架空話という東京の人云々の件も、甲が長野事件に際し丙を欺くための口実として実際に話した作り話である可能性が強まってくるのである。

(6) その後「丙との共謀による甲実行」という甲供述に至るまでの供述変遷等について

前述のとおり、甲は、富山事件と長野事件について対照的な供述をしながら、いったん共謀を認めた長野事件について、翌三一日の<書証番号略>では自己の犯行(みのしろ金目的誘拐及びみのしろ金要求)を自認する限りの弁解にとどめ、同じく<書証番号略>でも、丙は自分と常に同じ行動を取ってみのしろ金の受取りにも一緒に高崎駅まで来たことなどを説明し、「私どもの犯行」などと言って暗に共犯関係を前提にしたような物の言い方はするものの、共謀についての供述はいささか不分明になってきており、更に翌四月一日になると、長野事件は甲の単独犯行であって丙は事件に全く関係がないことを強調する供述に変わり、四月二日から同月四日にかけては、今度は丙以外の男性との共犯事件であると言い出して何人かの人物の実名までも挙げるなど供述を変転させながら、四月七日、八日時点では、再び甲の単独犯行との主張に戻るなど、その供述内容は目まぐるしく変化するようにみえるのであるが、それら長野事件に関する供述全体を一連の流れとして眺めてみると、これも富山事件における供述と同様の内容、つまり、他に男性の共犯者がいることをほのめかしながら結局は甲の単独犯行を主張しているという形の供述であることに気付くのであって、三月三〇日段階における富山事件での思わせ振りな甲単独犯行の自白と軌を一にするものとみられるのである。

このような供述の変遷について、甲自身は、いったん長野事件だけは丙との共謀による犯行であると事実を述べたけれども、丙をかばうために思い直して同人は犯行には関与していないと虚偽の供述をすることにしたものと説明し(原審三三回等)、所論も同旨の主張を行うのであるが、本件両事件とも丙をかばって甲の単独犯行の線で押し通そうという事前打合せまでしたという弁明を前提にしては、そのような説明で前記のような供述変遷の不自然さをカバーできるものでないことは明らかである。

そもそも、丙をかばうと言いながら早々に丙との共謀を認めるという供述態度は甚だ理解し難いものであるが、それをまた思い直してわざわざ甲の単独犯行を主張する気になったというのなら、その単独犯行を強く印象付ける供述で終始すればいいはずのもので、他の者との共同犯行をにおわし、それもすぐに嘘が分かるような他の共犯男性の存在を実名を挙げてまで供述するというのは誠に不可解な供述経過で、そこには甲の意図的な供述作為があるのではないかとする原判決の疑問は正鵠を得たものである。

そして、その供述意図を富山事件についての自白とも共通するものとして推考すると、それは結局において、甲は自分からあからさまに名指しはしないけども、丙が本件両事件での共犯者である疑いが濃いことを捜査官に印象付けるための供述操作をしていたのではないかとの疑念を押さえることができないのである。

更にいえば、富山事件に失敗した甲は、その経験を踏まえて再度長野事件を計画するに当たり、当裁判所が先にも考察したような「容疑者工作」を思い付いて「情を知らない丙の利用」を図ったこともあり得ないわけではなく、これが決して奇抜な想像ともいい切れないと思われるのである。

もっとも、甲の最終目的が自己の罪責を免れることにあったとすれば、甲単独犯行の自白をいつまでも維持していくわけにはいかないはずで、いつかはそれを翻すことを予定しておかなければ供述工作としては首尾一貫しないものになるが、甲供述を全体的に精査してみると、そのような徴候も発見できないわけではない。

具体的に例を挙げると、長野事件におけるBの殺害方法については、甲は捜査官から紐を使っての実演を何度もさせられているが、その際の紐の巻付け回数、結び目の位置、紐の結節方法等はいずれも客観的事実と明らかに相違し、同じく、富山事件におけるAの殺害方法についても、紐の結び目の位置が実際と正反対であることのほか、甲が捜査官に説明した絞頸の具体的な方法というのが、人を現実に殺害するにしてはいかにも不自然なものであり、また、Bに睡眠薬を服用させたことは科学的判定によって動かし難い事実であって実行行為者である甲がそれを知らないはずはないのに、一時期その事実を否定し、Aに対する睡眠薬の使用については最後までこれを否定し続けるなど客観的事実との食違いが歴然であることが指摘できるのであって、これらが自己負罪を観念した者の正直な自白と受け取れないのはもちろん(その点甲自身も、捜査段階での取調べでは隠せる事実はできるだけ隠そうとしてことさらに事実から離れた供述をしたということを認めている。)、甲が秘密の暴露の逆を狙って、自分が真犯人ではないから客観的事実に反する不合理な供述をしたように装い、将来の自白撤回の伏線を設けたものとも推量することができるのである。

更に特記すべきことは、甲が再度単独犯行を自白するようになった四月七日、八日の時点(<書証番号略>)で、甲は丙に対して、東京か大宮の知合いの男と会ってまともとはいえない大金を受取るなどと言って騙していたが、詳しい内容の説明まではしなかった旨の供述を行っていて、これが丙において長野事件で甲と同行するに至った理由として説明する弁解内容と基本的に符合している事実である。

甲は、この間の経緯について、<書証番号略>において、甲が丙をかばうために創作した弁解用の架空話であったかのようにいうのであるが、それが事実であれば四月七日までにその弁解が捜査官に供述された形跡がないというのが理解し難いことは原判決が指摘するとおりであって、前項でも検討したように、そのような打合せが現実に行われたことについての心証を持つことは難しい。

(7) 「丙との共謀による甲実行」という甲供述の信用性について

以上のとおり、甲は、本件両事件について、供述変遷を重ねながらも結局はいずれも甲の単独犯行と認めていたのに、四月一二日に至ってその供述を一変させ、本件両事件ともに丙との共謀による犯行であるとの主張し始め、翌一三日には長野事件につき、丙と共謀して甲が実行したものとし、富山事件でも同様、四月二一日に丙と共謀して甲が実行したことを認めるようになったことは、前掲の供述変遷の過程として示したとおりであるところ、所論は、これこそが甲が語る真実としてその信用性を強調するので、以下に検討することとする。

ア  供述経緯の不自然性について

まず所論は、その供述に至るまでの経緯が自然であるというけれども、それまでの甲供述の変遷状況及びその内容が極めて不自然かつ不合理なものであって、これが甲において丙をかばうためにことさら虚偽の供述をしてきた経過とみることができないことについては、既に詳しく説示した。

ところで甲は、四月一二日になって改めて富山、長野事件ともに丙との共謀による犯行であることを明確に供述することになるが、これを同日付け<書証番号略>によってみると、「事実は丙と共謀して犯行に及んだものであり、丙は絶対に殺したことは言わないと信じていたので、丙さえ黙っていたら私一人が罪を背負っていくつもりで今日まで本当のことを話さないできたものの、それでは良心が許さないから事実を述べる。」と供述しているところ、それまでの甲の供述経過及び内容あるいはその当時の取調状況のどれをとっても、折角丙をかばって甲の単独犯行を主張していたのに、改めて丙との共同犯行を述べざるを得なくなったという内心の変化をもっともとするような状況を説明するものは何もない。

確かに、捜査官の側では甲の単独犯行の供述を容易には信用せず、甲と愛人関係にあって、特に長野事件では終始甲と行動を共にしていた丙の存在を重視し、同人が犯行に無関係なはずはないとの予断を持ってある程度は厳しく追及、説得しただろうことも想像されるが、証拠上は実行行為が甲単独の手によることが明らかな本件において、甲自身も丙が犯行の表には全く現れていないと自覚していながら、甲において隠し通そうと決めていたという丙との共謀を捜査官に明かさなければならないほど切羽詰まった状況があったとは到底考えられない。

それどころか、甲のそれまでの供述態度は、進んで丙に対する共犯容疑を高めようとしていたのではないかとさえ疑える奇妙なものであったことは前述したとおりであり、また、甲が、改めて丙との共謀を認める気になったのは、丙は絶対に殺したことを言わないと信じていたのに目算が外れたことを理由として挙げていることも不可解であって、結局これは、丙が甲のことに関しては捜査官に対し黙秘の態度を取ることを条件にして供述対策を考えていたのに、その構想が崩れたことを暗に漏らしているものと推量されるのである。

要するに、甲が丙との共謀を認めた経緯は、所論の主張とは逆に丙との共謀を否定する方向への看過し難い不自然性が目立つものといわなければならない。

イ  間接事実との対比による合理性について

次に所論は、「丙との共謀による甲実行」の供述の内容は、他の関係証拠から認められる客観的な間接事実にも符合して合理的であると主張するのであるが、間接事実との対比による供述内容の合理性に関しては、まず所論が、本件両事件に関して甲及び丙両名の共謀を推認させるとして挙げる間接事実のうちのいくつかは主張どおりの事実を認定することができず、ほぼ同旨の認定ができる事実についても、それは必ずしも丙との共謀を疑わせるものと評価することができないばかりでなく、逆に、丙との共謀を否定する消極的状況と眺めるべきものがいくつもあることは既に詳述したとおりであって、間接事実と符合することを理由に甲供述が合理的であるとする所論の主張は、結局その論拠を持たないものというほかない。

ウ  その他甲供述の内容自体の不完全性について

のみならず、「丙との共謀による甲実行」の甲供述は、その供述内容自体に看過できない不自然、不合理な疑問点が多く内在し、その意味でも信用性が極めて乏しいものとみなさざるを得ないのである。

すなわち、甲供述がいうところの丙との共謀は、その内容が余りにも漠然かつ空疎なものであり、また、そのような共謀があったことを前提にしたうえでの本件各犯行の態様は、経験則に照らして不自然、不合理極まりないものといえるばかりでなく、犯行の動機、態様や計画の変更等について当然に述べられるべき供述が欠落し、あるいは常識に全く反する論法による供述をその理由を聞かないままに見過ごしているなど、本件のようなみのしろ金目的による誘拐、殺人という重大犯罪での共謀による犯行の自白としては、驚くべきほど粗雑かつ不完全なものであって、総じてその供述は、その調書の記載内容自体からだけでも大いに信用性に疑問を抱かせる不完全性が目に付くものである。

丙との共謀を述べている甲の関係供述によると、本件両事件において、丙はどちらかといえば首謀者的立場で共謀加担したものとされ、いずれの場合でも被拐取者の女性を殺害する役割を引き受けていたというばかりでなく、計画の遂行にも意欲的で、富山事件では丙の方から進んで甲に犯行の着手をそそのかしてさえいたというのに、それぞれ誘拐に成功したという甲からの連絡を受けながら、その理由も分からないまま肝心の現場に姿を現さず、これに対して甲の方も、改めて丙に何の問合わせも働き掛けもしないで、いわば一人勝手に相手女性を殺してしまったという事実が述べられているのであるが、この供述には、本来周到かつ綿密な犯罪計画が謀議されていいはずの重大犯罪における共謀内容、つまり、殺害の時期、場所、手段、方法、更には最終目的であるみのしろ金奪取の手はず等についての具体的な説明がほとんど欠けていて現実感がまるで希薄であり、実際に実行された犯行場面に丙が全く関わってこない事実とも併せ、果たしていうような共謀が本当に存在したのか首をひねらざるを得ない。

(8) 特に、長野事件に関し甲が供述するアリバイ工作についての疑問

先に当裁判所は、D事件に関し、丙が「スコッチ」から「北陸企画」の甲に電話した行為の意味を考察し、それが甲にとって、丙との一体性を利用した一種のアリバイ工作的な罪証隠滅策として意味を持つ可能性が高いとの結論を出しているが、本件において甲は、長野事件の殺害行為が行われている時間帯に接着して丙絡みのアリバイ工作を行ったかのごとき供述をしており、その分析がまた甲供述の信用性ひいては事案の解明に影響してくると思われるので、以下に検討する。

まず、この点に関する甲の捜査段階での供述を拾い出してみると次のとおりである。

すなわち、「甲が長野で女の子を誘拐したらホテル『日興』に待機している丙に連絡し、丙はホテルを抜け出して合流予定場所で落ち合って女の子を殺害して捨てたら、すぐ長野に戻ってこっそりホテルに入って一晩中そこにいたことにし、甲の方は逆に死体遺棄現場に引き返して付近を車で乗り回して、甲一人でいたことを印象付けた後に丙と改めて合流する予定であった。」(<書証番号略>)、「丙が自分のアリバイ作りを言い出したことがヒントになり、ばれた場合にはどうせ二人で殺したと言われるに決まっていると思ったので、丙にちゃんとしたアリバイがあれば私も助かると思った。私はもう一度山に戻ることにしたが、それは丙にアリバイがあるからかえって戻った方がいいという考えによるもので、自分でもいい考えを出したものと思った。」(<書証番号略>)、「Bを殺した後時間が経ってから丙に連絡したが、あらかじめアリバイになるようどこかに電話しておくよう相談してあったので、そのことを聞くと警察に事故の問合わせをしたと聞き、よりによってと怒った。」(<書証番号略>)などの供述部分を挙げることができるのであるが、そこでいうところのアリバイの内容は、長野事件が丙との共謀によるものとして眺めたときには誠に不可解というほかないが、逆に、丙との共謀がなかったとしてみてみると、その供述内容は非常に示唆的であって、これにD事件でのアリバイ工作との共通点を重ね合わせて推理してみると、そこには甲の本件犯行時における企みの内容や捜査段階における供述作為が改めて見えてくるように思えるのである。

つまり、甲が考え付いたというこのアリバイ工作というのは、丙が共謀し、殺害行為も丙が実行したという場合を仮定すると、丙がその実際の犯行の前後に「日興」に所在してこのことをホテル従業員などに印象付けたとしても、肝心な殺害時刻での偽装工作ができない限りは実効性に欠けるものであることはいうまでもなく、また、その際の丙の出入りはこっそりするとはいうが、もしその姿を誰かに目撃でもされたらたちまち逆効果になることぐらいを甲がわきまえなかったとも思えないのであって、これを丙のために有効なアリバイ工作と考えたという甲の供述を信用することはできない。

のみならず、甲が述べるところでは、甲の方は、丙を「日興」に送り届けたのちに、わざわざ死体遺棄現場に車で引き返して付近を走り回ってそのころ甲が一人で行動していたことを他に印象付けるようにしたと説明するのであるが、これまた誠に風変わりな弁明であり、容易に納得できない。

もし甲が、丙については犯行の前後にホテルに所在するだけで十分なアリバイになると考えていたというのなら、甲自身も丙と同じ行動を取ればいいのであって、それを「わざとらしいアリバイ工作は致命傷にもなる。」(<書証番号略>)として、わざわざ殺害行為が行われた時刻に接着してその現場付近に引き返してうろつくことが、捜査の裏をかいて犯跡をくらますことになるという発想は奇抜過ぎて理解できるものではない。

それを甲は、我ながらいい考えを思い付いたものだとしてあくまでそのようなアリバイ工作があったように言うので、その意味するところを推測してみると、恐らくは、犯行後すぐ丙と一緒に「日興」に帰って泊まったとしても、捜査官からやるからには二人共同でやるに違いないと疑われてその行動を追及されたなら、そのアリバイは崩れるおそれが強いが、逆にその時刻に甲が丙と別行動を取り、それも真の犯人なら一刻も早く遠ざかりたいという心理が働くはずの殺害、死体遺棄現場付近を丙と離れて女一人で堂々と車を乗り回していたということになると、捜査側にまさかという気持ちを抱かせてその目をくらますことができるという理屈をいうものと思われ、それは同時にまた、「丙にちゃんとしたアリバイがあれば、私も一緒に助かる。」という計算に基づく工作であったことになるのであるが、それも丙も実際に殺害の実行行為にも加わって現場にいたのが事実であれば、丙についての完全なアリバイは成立しないことになってその大事な前提条件は崩れてしまうのであって、それを殺害実行後に丙を「日興」に送り届け、その後甲がことさら犯行現場に引き返すという、まるであえて虎穴にでも入るような行為に及ぶことが甲にとって有力なアリバイにもなり得るという考え方を容認することはできない。

そして一方では、丙にアリバイをこしらえるために「日興」からどこか他に電話をしておくよう指示したかのように言い、丙がB殺害が行われたと思われる時刻以後に警察にZの事故の有無を問い合わせたというのも、電話先の選び方に問題はあったものの、これもアリバイ作りの一環としての行為であったかのように説明しているが、これまた不合理極まりない話である。

丙が現実に実行行為に加担した後「日興」に引き返してからのアリバイ作りを心掛けてみても、それは所詮仮装のものに過ぎない以上、時刻の点で既に実効性に問題があることは前述したとおりであって、警察へ前記のような内容の電話をかけたのもアリバイ作りのためというのはまさに詭弁と断ずるほかはない。

のみならず、長野事件において、甲が単独でBを殺害したことは既に証拠上明白な事実であり、甲自身も当審公判に至ってその事実を自白してもいるのであるから、実行行為に加担しなかった丙にとっては、もはや本人のためだけにアリバイ作りをしなければならない必要性はなかったことになるのであって、このことはD事件の場合と状況は同じだが、それでも丙に関してのアリバイが意味を持つ場合といえば、甲がいみじくも供述調書の中で漏らしているように、「丙にちゃんとしたアリバイがあれば私も助かる。」ということにほかならないものと考えられるのである。

しかしながら、その場合でも丙が実際に殺害行為に及んでいたものとすれば丙を利用してのアリバイ工作が実効を収めることはほとんど期待できないことになることから考えると、丙はその犯行においては最初から実行部分から外れていなければ甲にとってのアリバイ工作上有用な存在にはなり得ないことになるのであって、このことはまた、丙が殺害役を引き受ける共犯者であったという主張に大きく抵触することになる。

結局、本件においては、甲が主張するような形でのアリバイ工作が実在したとしたのでは、事実関係を合理的に説明することはできないのであって、更に検討するためには、丙は甲と共謀はしておらず、したがって、甲及び丙の間には甲がいうようなアリバイ工作などは存在しなかった場合についても考察を加えてみる必要が十分あるのである。

そこで案ずるに、その場合における丙は、甲が殺害等の実行に及んでいる犯行時間帯には「日興」に一人居残っていたのであるからアリバイがあるのは当然であるし、甲がそのころ本件のような大それた犯罪を実行していることの認識もない以上、連絡がないまま夜が明けて帰って来ない甲の安否を気遣って堂々と警察に事故の問合わせをしたというのも、犯人としてならばとんでもない非常識行動ではあっても、事件に関わりがあるという自覚を持たない丙にとっては何ら心にやましいところはないごく普通の振舞いに過ぎないものであって、事の推移は誠に自然なものとして受け取ることができる。

しかし、それならばなぜ甲は前記のようなアリバイ工作があったかのように供述したかが問題になるのであるが、長野事件について丙との共謀を強く主張している甲としては、共犯者であるはずの丙が、犯行実行の最中に「日興」に居残ったままで現場に赴いて殺害行為にも関与しないばかりでなく、甲の犯行直後と思われる時期に警察に電話して甲の消息を聞くという常識外れの行為に及んでいることなどを、あくまで丙との共謀があったことを前提にしたうえでつじつまが合うように説明をする必要があったわけであって、前記のアリバイ工作というのも、そのために考え出された苦肉の創作であったとして眺めれば話は分かりやすい。

甲が丙を「日興」に送り届けたあと、自らはまた殺害現場に引き返すという破天荒ともいうべき罪証隠滅工作を講じたかのように言うのも、本件犯行を実行していた時点で、甲はただ一人現場におり、丙は「日興」にとどまっていたという動かし難い事実をもっともらしく説明するための強弁としてみれば、その供述動機もうなずけるのである。

以上の検討によっても、甲供述の作為性と犯行時における「情を知らない丙利用」の可能性は改めて強く推量されるのであって、所論がいう丙との共謀を主張する甲供述の信用性は大きく揺らぐものといわなければならない。

(9) 最終的な丙への責任転嫁供述の信用性について

前述のとおり、甲は、その捜査段階の途中で「丙との共謀による甲実行」の供述を行っていたのに、その後になって(長野事件について四月二〇日以降、富山事件について四月二八日以降)、いずれも被拐取者の殺害は丙が実行したものである旨供述変更するに至ったことが、前掲の甲供述の変遷等によっても明らかであるが、その丙実行の供述が客観的事実に反するものであることは証拠上疑いがないところであり、検察官も原審での公判審理途中で訴因を変更していずれの事件も殺害の実行行為は甲が単独で行ったものとし、原判決もそのとおりに事実認定をしたのに対し、甲自身も、当審公判における供述で、長野事件に限ってではあるが自己が単独で殺害行為に及んだことを自白するに至ったことが記録上明白である。

そして、原判決が、このように事件の核心的部分である殺害の実行者について虚偽供述を行って自己の罪責を丙に転嫁しようとする態度が顕在化したのちの甲供述については、その共謀その他の犯行事実に関する供述部分を含めて、すべて丙有罪の証拠として利用するだけの価値がないものとした判断は優に肯認するに足るものであって、当裁判所としても、ここではそれ以上にその段階での甲供述の信用性に触れる必要を覚えない。

(10) まとめ

以上、甲供述の信用性について、所論の当否を確かめる限りで問題点を個々的に検討してきたが、改めてその全体について概括的考察を行うと、次のとおりである。

まず、甲供述に関する検察官の反論のうち、原判決の「責任転嫁」に関する推論に対する批判には相当の論拠がある。

すなわち、甲が、捜査の最終段階や原審公判において、自己の殺害等の実行行為の責任を丙に押し付けようとする虚偽の責任転嫁供述を行ったことが認められた以上、それ以前の供述全部の信用性にも疑いがあるものとして慎重な検討が求められるのは当然としても、それだけですぐ甲供述全体の信用性が全く失われるとまでいうのは早急な結論であり、また、そこで「責任転嫁」というのを、最終的に無実の丙に実行責任を押し付けて甲が罪を免れようとしたことを意味するものとするのであれば、その推論には難があって非現実的であるという批判を受けてもやむを得ない。

一般的に、取調べ中の犯人が反省悔悟していったん自白をしても、刑罰に対する恐れや嫌悪から更に心迷って先の自白を撤回することも少なくはないのであり、また、本件のような重罪の犯人が極刑を免れたい一心で、いったんは真実に従った自白をしていても、捜査官の側でこれを信用せず、実際は他の男が主犯として関与しているのではないかといった取調べ方をされたとき、その捜査官の心証に乗じて自分が助かりたいという誘惑に駆られて虚偽供述に及ぶことも決してないわけでもないと思われる。

ただしそれは、捜査の成行きによる心境の変化としてはとらえられても、原判決が推論するように、当初から甲の方で最終的に無実の丙を真犯人に陥れて自分の罪を免れようとする周到な計算の下での供述操作による「責任転嫁」であるとまで推論することが、根拠に欠けて不自然であることは先に説示したとおりである。

それは、丙が本件犯行に関与していなかったものとすれば、その丙に冤罪の責めを押し付けて犯人に仕立て上げるということが至難の技であることを思えば容易に分かることであり、甲がそのような成算のない企みを最初から胸に抱いて取調べに臨んだとは到底考えられないのである。取調べ当初における甲供述の内容やその変遷状況をみても、丙に捜査官の容疑の目を向けさせようとする意図までは推察できても、それ以上の魂胆があったことを直ちに窺い知ることはできない。

しかしながら、甲の単独犯行をいう自白も、単純に自己負罪を全面的に認めたというものではなく、そこでも何らかの作為的な供述意図が隠されているように疑える点はあるのであって、当裁判所としても、原判決と同様の疑問を払拭することはできない。

この点について所論は、甲の単独犯行の自白は、自分の意のままに動いてくれる可愛い年下の丙をかばって共謀の事実を秘匿したものであると推測するのであるが、これが容れられないことは前述した。

そもそも、原判決がいう「情を知らない丙の利用」とか「責任転嫁」の推論と、これに対する検察官の反論は、あくまでも甲が自己の罪責を免れるために丙を犯人に陥れるようなことを企てたかどうかを巡って論じられているのであるが、そのような意味での策謀があったとする考え方そのものが非現実的であり、間接事実との対照で検討しても実態に沿わない発想であることは明らかである。

だがその場合でも、甲及び丙両名を一体的にみるだろう捜査官の見込みに乗じ、情を明かしていない丙の無実性を利用した罪証隠滅工作があり得ることは前述したとおりであって、いわば「容疑者工作」といった企みが存在した可能性は決して小さくはないのである。

そして、そのような心づもりで甲が取調べに臨んだとすれば、捜査当初における丙の暴露供述は、甲が事前に描いていた供述対策の目算を狂わせるに十分であり、このような事態に甲が慌て捜査官の目をとりあえず自分の方に向けさせようとして急遽単独犯行を自白することになったというのも理解可能な供述の成行きであり、その後における供述変遷もまた、思惑違いに始まった取調べの中で、なお丙への容疑を利用して自己の刑責の減免を図ろうとした供述努力としてその説明が可能であり、最後には、それが丙に殺害の実行行為者としての刑責を押しつける供述に変わっていった経緯はあるにしても、それは甲が自分への厳しい科刑を恐れるあまりの過剰供述と眺めることができるのであって、これを当初から周到に計画した一貫性のある「責任転嫁」供述であるとまでみるのは正しい理解とは思えない。

所論が、甲及び丙両名の間柄からすると、甲は一切丙と無関係に犯行に及ぶか、情を明かして共に行うかのどちらかであって、その中間はあり得ないと断言するのは早計で、当裁判所が考察したところでは、いわば「容疑者工作」とでもいえる企みが十分あり得るのであって、その前提で考え直してみれば、甲及び丙両名の間に共謀がなかったものとしてすべては無理なく理解することができ、丙との共謀をいう甲の供述部分の信用が高いとする所論の主張は採用できず、同じ結論に到達する原判決の判断は、当裁判所としても肯認するに足るものである。

(三) 丙自白の信用性と公判弁解について

以上のとおり、本件各犯行に関係する間接事実及び甲供述の信用性を中心に考察した結果、それらが本件公訴事実における甲及び丙両名の共謀を認定する情況ないし証拠としての価値を有しないとの原判決の判断は肯認するに足るものとの結論を得たのであるが、丙自身は、捜査段階の一時期において本件各犯行での共謀事実を自白しており、その信用性が検討されなければならないが、これについても原判決は、その供述内容や変遷状況、更には取調べの経過等を分析吟味した結果、その信用性を否定しているところ、当裁判所も同じ判断であるから、以下にその理由を述べることとする。

(1) 丙自白の信用性と公判弁解についての原判決の判断要旨

この点についての原判決の判断要旨は次のとおりである。

丙の捜査段階での供述の過程をみると、本件両事件を通じて自白状況は動揺の跡が歴然としていて著しく不安定であり、自白には秘密の暴露というほどの供述がみられないことのほか、その供述内容には、共犯者なら当然に体験、記憶しているはずと考えられる事項についての説明が欠落し、共謀を疑問とする客観的事実についてその疑問を解消するに足るだけの理由が述べられておらず、共犯関係があったにしては不自然な状況が多く語られるなど、全体として不合理、不自然な点が随所に発見され、また、その供述は多くの点で変遷しているが、その変遷状況を検討すると、殺害実行者、みのしろ金額、その受取り場所といった共謀の本体的部分の決定状況に関して説明困難な変遷がみられ、あるいは、共謀に加わった者として知らないはずはない事項についていったん具体的、詳細な供述がされながら撤回されたり、極めて短期日の間に説明が変転したり、捜査官の不適切な尋問によったと思われる不自然な内容の当初供述がのちの指摘で修正された疑いが強いのに、その供述の修正理由が調書上明らかにされていないなど、自白全体の体験供述性を強く揺るがすものといえるのであるが、更に、その供述状況をつぶさに追跡して、丙が捜査官に示した供述態度や捜査官の尋問方法の適否などから自白に至った原因、動機を探求してみると、丙が捜査当初の全面否認から過剰自白を経たのち一部自白から全部自白へと移っていった供述過程には、供述の真摯性に疑問を抱かせる事情が存在し、丙自白は犯人が反省悔悟に基づいて供述したものとは受け取り難いのであるが、そのような自白をするに至った真の原因は、結局、丙は、共犯関係にあったかどうかを別にして、甲と愛人関係にあった男として有していた心理的負担が捜査官の心情論的な追及、説得によって増大し、その重荷から逃れる目的であえて不利益供述に及んだ可能性が極めて強く、その全面的自白というのも、丙が「男の責任」ともいう道義的責任を一層徹底した形で承認した趣旨のものと疑われるのであって、そのように理解することで自白内容の不合理性や変遷の理由を説明することができる。

なお、丙が、本件当時、富山事件については「金沢の土地の件」、長野事件については「政治資金の件」で、いずれも詐欺などの犯罪まがいの甲の作り話に騙されていた旨の公判弁解は、関係証拠によって積極的に肯定することはできないが、これを虚構のものとして一概に排斥することもできず、これが丙自白に信用性に関する判断で消極的に影響することはない。

(2) 検察官の反論の骨子

丙の捜査段階における自白は、秘密の暴露もしくはこれと同視できる供述が含まれているのを始め、その供述内容は、多くの間接事実に符合して合理的であり、変遷はあるもののいずれもその理由は理解でき、自白に至った経緯も自然で十分信用できるものであって、原判決が丙自白の信用性がないとした判断は、証拠の価値判断を誤ったものである。

特に、原判決が、丙には刑罰についての著しい誤認があったとし、丙の心理的負担とか捜査官の心情論的追及とか必ずしも取調べの実情に合わない判断をしたうえ、丙の自白状況には真摯性についての状況的保障がないと結論してその信用性を否定したのは明らかに不当である。

なお、丙の公判弁解は、その内容が極めて不自然かつ曖昧なもので、甲には丙をそのような虚偽の儲け話で欺く必要はなく、したがって原判決がいうような「情を知らない丙の利用」などあり得ないのであって、虚構のものである。

(3) 丙供述の過程と内容の概観

所論の主張は多岐にわたり、その検討に当たっては、既に考察してきた間接事実や甲供述の信用性についての判断が影響してこざるを得ない関係にあるのは当然であるが、それらは適宜取り上げることにして、以下、所論にかんがみ順次検討していく。

原判決は、丙自白の信用性を検討する前提として、甲供述の場合と同様、まず、丙供述の過程と内容を時期的に区分して概観しており(三六一頁〜三六五頁)、当裁判所としてもこれを再録することとするが、次のとおりである。

(分類、整理の要領は先の甲供述の場合にならうが、叙述の都合上この項においては個々の供述調書等の内容要旨の摘示まではしない。)

供述時期及び供述内容等

三月八日〜三〇日 富山、長野両事件とも否認。

ただし、二九、三〇日には、甲の行動の不審点を取調官に申述。

〔長野事件で逮捕、三一日長野中央警察署に引致〕

(なお、逮捕事実は、甲及び丙両名が共謀のうえ、Bを誘拐し、みのしろ金を要求したというもの。)

(<書証番号略>)

三月三一日〜四月四日

長野事件について否認。

甲からは他の儲け話を聞かされて同行した旨積極的に弁解。

ただし、三一日の供述には、一部事件に関わっていることを自認するかのような発言をしている部分もある。

(<書証番号略>、<証拠番号略>)

四月六日 長野事件につき、甲と共謀して丙が殺害したと自白(過剰自白)。

(<書証番号略>)

四月七日〜九日 長野事件につき、甲から長野で何か詐欺の類いの悪いことをして大金を手に入れる話を聞かされていたが、あとから女の子を誘拐したことを打ち明けられ、みのしろ金要求について共謀し加担することにした、その女の子がどうなっているかは知らないと自白(一部自白)。

(<書証番号略>)

四月一一日 身上、甲と知り合うまでの経緯。

(<書証番号略>)

四月一三日 長野事件につき、甲との事前共謀を自白。富山事件につき、誘拐してみのしろ金を要求することを甲と事前に共謀したことを自白。ただし、殺害は事後に聞かされたと供述。

D事件にも言及。

(<書証番号略>)

四月一四日〜二〇日 長野事件につき、甲との共謀による犯行(殺害実行は甲)を具体的詳細に自白。

富山事件について、殺害は事後に知った旨供述。

甲との関係を始め犯行の背景、動機についての詳細を供述。

(<書証番号略>)

四月二一日 〔富山事件(みのしろ金目的誘拐、殺害、死体遺棄)で逮捕、上市警察署に引致〕

富山事件につき、やっていないものはやったと言えないとして否認。甲による土地の詐欺の件に言及。ただ動機の点で関係があるかも知れず甲と同罪でも結構と付言。

(<書証番号略>)

四月二二日〜二六日 富山事件につき否認、ただ、丙が金の催促をしたことで丙が悪事を働いたという限りで関係はあり、全く関係がないとは言えないと付言。富山事件については、甲から「金沢の土地の件」で騙されていた状況を積極的に弁解。

長野事件でも否認はするものの、関係はあると供述。

(<書証番号略>、<証拠番号略>)

四月二七日 富山事件につき、殺害の点を含めて甲との事前共謀を全面的に自白。甲が誘拐して睡眠薬を飲ませて眠らせ、丙が殺害、みのしろ金の要求受領は甲という共謀の内容を供述。

本件両事件の被害者の遺族らに対して謝罪の意を表明。

一方、弁護人との接見では、逆に、富山、長野両事件とも本来は関与していないと否認したうえ、甲と共にいたことなどの責任を取って共同正犯の事実を認めるつもりでいる旨の心境を吐露。

(<書証番号略>、<証拠番号略>)

四月三〇日 富山事件についてより明瞭に自白。「金沢の土地の件」は全くの嘘と供述。

その後弁護人との接見で母親からの罪を認めてはいけない旨の手紙を読み聞かせられ、弁護人からは検事には真実を語るようにとアドバイスを受けたのちの取調べにおいて供述を拒否。

(<書証番号略>、<証拠番号略>)

五月三日〜五日 弁護人との接見で、本件両事件ともに否認の趣旨の発言。自供書で、富山事件についてははっきり否認。

(<書証番号略>、<証拠番号略>)

五月六日 富山事件につき、改めて事前共謀を自白。

ただし、その直後の弁護人との接見では、犯行を否認し、甲が丙を事件に巻き込むように仕組んだ可能性を訴え、自白するに至った気持ちを供述。

(<書証番号略>、<証拠番号略>)

五月八日〜一三日 富山事件につき否認(ただし、<書証番号略>では、二月二五日早朝に丙が「北陸企画」に出向いた事実を自認、弁護人との接見時発言も同旨)。

(<書証番号略>、<証拠番号略>)

以上、丙の捜査段階における供述を極めて概括的に列記したが、そのうち、自白とみられる供述の内容は色々に変遷を重ねているところ、原判決は、その要旨を、最終的供述を基に整理しているが(三六六頁〜三八〇頁)、それらをそのまま引用し、摘示は省略する。

(4) 丙自白の信用性の検討について

丙自白について、原判決がその信用性を否定し丙有罪の証拠としての価値がないものと結論したということは、前述したとおりであるが、これを不当とする所論に対する当裁判所の判断を順次述べる。

ア  秘密の暴露もしくはこれと同視すべき供述が認められるとの主張について

①  富山事件における睡眠薬の使用について

所論は、丙は、<書証番号略>において、富山事件に関し、「二月二六日甲からAの殺害を教えられた際、睡眠薬を服用させたと聞いた。」旨供述しているが、甲は、その丙の供述当時Aに対する睡眠薬の使用を否定しており、しかも、Aに対する睡眠薬の使用事実が客観的に裏付けられたのは、公判段階の昭和五六年五月八日に鑑定結果が出てからであるから、これは、明らかにA殺害に関与した者のみが知っていた秘密の暴露に当たるのに、原判決が、捜査官において当該事実が存在することの疑いを抱いていたような事項についての供述は秘密の暴露の基準に該当しないとしたうえ、長野事件におけるBに対する睡眠薬の使用が判明するに至った経緯に照らすと、甲がその点について否定供述をしていたとしても、捜査官が富山事件でのAの場合にも同様に睡眠薬が用いられたのではないかとの疑いをもって取調べに臨んだ可能性が強く、捜査官による誘導の危険を排除する状況的保障がないので秘密の暴露性が肯定できないとしたのは不当である、というのである。

しかしながら、原判決が秘密の暴露についての概念を判示したのは、何もその形式的な基準の該当性だけで結論を決めようとしたわけではなく、実質的にその供述が捜査官の誘導によった可能性の有無を関係証拠と状況を総合して判断しなければならない場合であることをいうための前提であったことは、判文を読めば明らかである。そして、原判決が挙示する諸状況からすると、捜査官が甲の睡眠薬の使用が長野事件だけにとどまらず、殺害方法が類似する富山事件でも同じ手段が使われたのではないかと疑うのは当然と思われ、これを否定していた甲供述を直ちには信用しないで共犯者と目されていた丙への追及も厳しかったとすると、丙自身がそれまでの取調べで少なくとも共謀の限度での刑責を認めざるを得ないとの心境になっていた場合、実行正犯である甲からの伝聞として自己が体験しない事実を迎合的に供述する可能性も少なくないと思われ、そのような丙供述に検察官が主張するほどの秘密の暴露性は認められないとした原判決の判断は肯認するに足るものである。

なお、原判決もいうように、丙が甲から聞いたとするAに対する睡眠薬の使用事実が、のちの丙供述(<書証番号略>)では、実際にAに使用したか否かを確認していない旨に変容したというのも不自然で、当初供述の不安定さを示すものであることはいうまでもない。

②  D事件について

所論はまた、丙は、三月三〇日にD事件に加功していることを自白して以来その供述を維持しているが、その自白はその事実についての甲の供述に先行してなされていて秘密の暴露と同視すべきものであると主張するが、この点についての検討は既に詳しく行ったところで、丙が当初D事件に触れて供述した内容は、甲に対する不審点の申述として述べられたものとみられるのであって、この点当時の取調官である広瀬証言を信用しなかった原判決の判断に誤りがあるとは思えない。

その後において、D事件に関する丙の供述内容が次第に事件関与を自認する方向に変容していった状況こそみられるが、その供述の信用性に疑問が存することは既述のとおりであって、これを秘密の暴露と同視すべき供述とみなすことはできないのである。

イ  自白内容の合理性に関する主張について

原判決は、丙自白の内容が判示各事項についていずれも不合理であるとしてその自白には信用性がないとしているが、所論はこれに反駁し、丙自白は間接事実と符合し、供述内容には臨場感、体験感あふれる部分が含まれているとして、進んで自白の合理性を主張するとともに、原判決の判断を不当として論難するので検討する。

①  間接事実との符合性について

所論は、本件においては丙の犯行関与を窺わせる多くの間接事実が認められて、これらが丙自白に符合していると主張するのであるが、間接事実の認定と評価については、既に詳しく検討して判断したとおりであって、原判決が認定した事実のうち、甲及び丙の一心同体性や経済的利害の共通性などについては、余りに両名の関係を消極的に決めつけ過ぎているきらいがあって、丙には甲と共謀して本件各犯行に及ぶ動機を形成するに足る事情がまるでないように判示する部分をそのまま肯認するわけにはいかないものの、かといって甲及び丙両名の男女関係自体からすぐ本件各犯行で共謀しないはずはないといった強力な推定が働くとまでは解されず、また、二月二五日早朝に丙が「北陸企画」に出向いた事実は認められないとした原判決の判断を支持することはできないものの、これはかえって共謀の点については消極的状況とみなされるものであることは先に説示したとおりであって、いずれにしても証拠上認定できる限りの間接事実からは、一見しては共謀があっておかしくないようにみえても、一方で共謀と矛盾する事実関係もいくつか存在し、これに本件各犯行自体が、甲及び丙両名の共謀によるものにしては、その実行行為に丙が全然関与していない点に大きな疑問点がある極めて特異な案件であることに徴すると、間接事実と符合することを根拠にして丙自白の信用性が高いとする所論の主張を受け入れることは到底できない。

所論は、甲及び丙の両名が共謀していなくて、本件両事件がいずれも甲の単独犯行であったものとしたら多くの間接事実の説明がつかないかのようにいうけれども、本件は、共謀があったにしては計画が余りにも空疎、曖昧かつ杜撰なものであり、何よりも両犯行とも当初は殺害行為を担当するはずだったという丙が、いずれの場合もその実行に加わらなかったという不可解な犯行態様の全体を合理的に整合させて考察しようとすると、逆に説明のしようがない疑問が生じてくるのである。

特に所論が、共謀を推認させる状況として強調する甲及び丙の密着行動については、原判決の推論するところとは内容的には異なるが、いわゆる甲において「容疑者工作」とでもいうべき目的で「情を知らない丙の利用」を企んだ可能性が強いことについては既述のとおりであって、公判弁解を含めた丙の供述を検討を通じてはますますその可能性は高まるのである。

②  自白内容に臨場感、体験感あふれる供述が含まれているとの主張について

所論は、丙自白のうちでも、長野事件に関する供述は、実際にその犯行に関与して直接体験した者でなければ供述できないような迫真性に富んだもので、微妙な心理状態など誘導困難なものも含まれているのは、丙自白が合理性を有する証左であるともいっている。

しかし、所論が取り上げているような丙の自白内容が、いうように一般的にも取調官において誘導が困難なものと評価できるかは疑問である。

確かに、長野事件に関しては、犯人としての当時の心の動きを生々しく描写、表現しているようにはみえるが、それはいまだ取調官が想像して誘導的に聞き出しにくいような内心状態にかかわるものとまではいい難く、また、丙自身は、本件犯行の真相は知らなかったが、少なくとも甲が警察の目をはばかるようないかがわしい手段で大金を入手しようとしていたことは承知したうえで甲に協力し行動を共にしていたと弁明しているのであって、それが事実とすれば丙は警察を恐れてほぼ似たような体験をしていたことにはなるのであるから、所論が臨場感、体験感があると指摘する供述部分は、虚偽の自白をする場合でも真実の体験事実に多少の誇張や潤色をすることによって容易に語れるものと考えられ、これをもって特に自白の信用性が高められるものとまで評価することはできない。

ウ  丙自白の内容を不合理とする原判決の判断に対する反論について

原判決は、丙自白の内容を吟味、分析した結果、多くの事項について不合理性を指摘してその信用性の減殺要因としているのであるが、所論は、そのほとんど全部について逐一反論をして丙自白は合理的であることを強調している。

そこで検討するに、原判決が丙自白の中で不合理として指摘する供述部分に関する判断は、それぞれの不合理性に強弱の差はあるが、いずれも当裁判所としても肯認することができるのであって、その理由は以下のとおりである。

①  富山事件における共謀の内容と丙が実行行為に関与しなかった理由について

本件両事件につき第一の問題として注目すべきことは、本件のような重大犯罪を甲及び丙の両名が共謀して敢行したといいながら、その謀議内容が余りに粗雑、杜撰に過ぎ、しかも、いずれも当初計画では殺害の実行行為者に予定されていたという丙が、肝心の場合に現場に出て来ないで一切実行行為に関与せず、代わって女性である甲が単独で殺人までも行ってしまったということの不可解さである。原判決もこの点、「富山事件の実行において共犯者として丙が果たした役割」と題してその不合理性を取り上げている(三九五頁〜四〇〇頁)。

その大要は、丙自白では、富山事件の発生以前から誘拐計画の共謀に加わり、事前の相談では丙が殺害を担当することにもなっていたというのに、結局は実行に加わらなかったことになるのに、なぜ丙が実行行為に出なかったのか、二日以上にわたる犯行の間に甲からはどのような内容の連絡があったのかという当然の疑問に対する合理的説明が調書上全くなされていない、というのである。

検討するのに、この点に関する丙の自白は、何度も変転を重ねているうえに曖昧、不自然なものであり、早期の自白では富山事件についての具体的な事前謀議はなかったといっていたのに、のちには丙が殺害役を引き受ける謀議ができ、しかも誘拐については丙の方が催促して甲にやらせたような供述に変わったが、誘拐当夜の甲からの電話では、女の子が警戒するから「北陸企画」には出て来ないように言われたとし、その後は丙が殺害の実行を甲から求められたとの説明はなく、丙からも甲に対して計画実行の都合を確かめたという供述もないのであって、そのような形での共謀及び犯行の態様が不自然かつ不合理であることは明白で、そのような経緯についての理由が全く欠落したままの丙自白に信用性を付与することができないのは当然である。

なお、原判決では、長野事件での共謀内容と丙の実行不関与について特に合理性の検討をしていないが、富山事件の場合と同様の指摘がなされてしかるべきものであることはいうまでもない。

ところで所論は、丙はD事件でもその実行行為をすべて甲に任せており、しかもその殺害計画の続行をひるんだ事実もあるのであって、富山事件で甲がAを直ちに殺害することなく「北陸企画」に留め置いていたのも、丙が殺害の実行を逡巡したために計画に齟齬をきたしたものとみられるとして、丙が実行に加担していないことをもって共謀の存在を疑わせる事情とみることはできないというのであるが、D事件で丙が実行行為に加わっていないことは、逆に丙のその事件での共謀を疑問視させる情況とみるべきものであることは既述のとおりであり、それに、丙自白の中には丙が甲からの誘拐成功の報を受けながら殺害の実行を逡巡したなどという供述部分はないのであって、所論の推認には何の根拠もない。

また仮に、何らかの都合により丙が予定どおり殺害実行に出られなくなった場合を想定してみても、実行担当者のそのような支障の発生は犯罪計画の遂行上重大な事情変更になるはずであり、直ちにその後の善後策が甲及び丙両名の間で具体的に話し合われてしかるべきところ、そのような形跡が全くなく、その都合の問合わせさえもしないまま、女性である甲が代わって勝手に一人殺害行為までも行ってしまうなどということが、経験則上あり得る共同犯行の態様とは思えない。

そしてもし、所論がいうように、丙が一時的に実行を逡巡したことでその計画が狂ったという事実があったのなら、そのことを秘匿しなければならない理由は考えられず、その事情が取調官に供述されないはずはないのである。

所論は更に、甲がAを誘拐してからすぐに殺害しようとせず、みのしろ金要求の行動にも出ないままに三日間も無為に過ごしていたのは、犯行を遂行するに当たって甲以外に支障が生じたことを推測させるというのであるが、先に誘拐の態様について考察したとおり、その時点では甲がいまだ確定的に殺害の決意が固っていなかった可能性が十分にあるのであって、もし丙と共謀しての犯行であったとしたら、逆にそのように実行が遅延することはなかったと思われる。

以上のとおり、丙の富山事件に関しての自白内容は、不自然、不合理に過ぎるといえるものであり、取調官としても、折角殺害担当者と決められていたという丙が実行行為に出ないで、代わって女性である甲が勝手に単独で殺人までも敢行したといういかにも不自然な事実関係に大きな疑問をもって追及、詮索をするのが当然であって、そのときには丙としてもその説明を省くことはできなかったはずと思われるのに、この間の大事な事情が供述調書に全く録取されていないということは、単に捜査の都合ということなどで説明できるものではなく、自白された事実関係がもともと虚構のものであったために合理的な理由付けがついに不可能であったのではないかとの疑念が生ずるのである。

②  三月六日朝丙が警察にZの事故の有無を問い合わせたことについて

この事実の存在とその意義については、既に間接事実の項⑪において触れたところであり、これが共謀事実を否定する大きな消極的状況とみなされることはそこで説示したとおりである。

この点について丙自白では、疑問を解消するに足りる何の説明も行ってないのであるが、所論は、これは予定の時刻を過ぎても甲から何の連絡もないことによる丙の不安と困惑振りを示すもので、丙自白を不自然とみなすべきものではないと反論する。

しかし、この丙の警察への問合わせが、長野事件での共犯者の行為としては理解を絶する不自然、不合理なものであることは明らかである。

所論は、丙の不安が極めて大きく、危険を冒してでも警察に電話して事情を確かめようとしたものというのであるが、甲及び丙の両名が共謀のうえで誘拐殺人等の重大犯罪を計画実行しようということになれば、その成功を期して色々な手立てを講ずることは無論のこと、犯行が発覚しないようにも十分気を配り、その手掛かりとなる証拠を残したり、不審な行動に出ないように心掛けるのは常識である。

そして、丙が心配したとする時間帯で予想される甲の行動というのは、成人の女性を誘拐して殺害するという凶悪で困難な犯罪行為であり、筋書きどおりに事が運ばないことも十分に考えられるはずである。甲からの連絡が途絶えたといっても何日も消息不明になったわけでもなければ、丙の心配はもっともにしてもそんなに取り乱すような状況とは思えないのである。丙が本当に共犯者でその間の甲の行為内容の認識があったということになると、殺人などの犯行直後といえる時刻にその実行行為者の動静を暗示するような通報を警察に行うなどまさに自殺行為といってよく、不自然極まりない。

それでも丙の心配が事実というのなら、それは甲が犯行に失敗して警察に逮捕されたのではないかということであって、交通事故というのは甲の動静を探るための方便ということであろう。

しかし、もし丙が共犯者であったのなら、交通事故の問合わせにかこつけたとしても、その電話が犯行発覚の危険との関係でどんなに重要な意味を持つかを認識しなかったとは思えない。

丙が自分の名前を言わず、甲の名前も出さなかったとしても、甲が誘拐殺人を計画どおりに実行した場合、やがて赤いZに乗った女性が容疑線上に浮かんでくるおそれは十分にあり、そのとき警察の方で数少ないZの持ち主を調べればすぐに甲の存在が知れ、同時に丙自身にも捜査の手が延びてくることが容易に予想されるはずである。

そのうえ、丙がわざわざ警察に電話して様子が分かるのは、甲が警察に逮捕されるような失態を演じていた場合に限られ、そうでなければ、警察に捜査のヒントと証拠を提供するだけのことになるのであって、その危険覚悟のうえで警察にそのような電話をかける必要と心理は到底理解できないのである。

結局、共謀があったことにしてでは丙がこの電話をかけたという事実を合理的に説明することは難しく、逆に丙が、甲のその夜本件犯行を実行していたという事実を知らなかったため、その消息不明を交通事故でも起こしたのかと本気に心配して警察に電話したものと眺めることで事態の推移は極めて自然に理解できるのである。

なお甲は、<書証番号略>で、丙がそのように警察に電話したのは、かねての打合せによるアリバイ工作の一環であったかのように説明しているが、これは妙な弁解であって、甲が強引に丙の不審行為のつじつま合わせを行ったとみられることについては、先に詳述したとおりである。

③  その他、原判決が丙の自白内容が不合理とする各事項の判断について

原判決は、他にも丙自白の内容のうち、次の各事項について不合理であると判断し、検察官はそのすべてについての判断を不当として争うのである。

a みのしろ金の受領方法

b 甲が丙以外の男と誘拐の下見に行ったこと

c 甲が男性をも誘拐対象と考えていたこと

d 二月二六日以降の富山事件に対する関心

e 二月二八日甲が富山事件について丙に語った内容

f 殺害の凶器にすると決めた「志賀」の紐に対する丙の認識

g 三月四日聖高原方面を下見していた際の甲及び丙両名の謀議内容

h 丙名義のカードで給油したこと

i 三月六日「ビッグベン」におけるみのしろ金要求電話に関する甲との会話内容

j 三月七日昼過ぎのみのしろ金要求電話

k 二月二二日「プラザ」での謀議の状況

そこで、順次検討する。

a みのしろ金の受領方法について

本件のような誘拐犯罪を共謀して行おうとするのに、事前謀議でその点の計画に触れた供述がないのは、共謀としての核心的な部分が欠落しているとみる原判決の指摘はもっともである。

所論は、当時まだ誘拐の対象者がまだ特定していなかったから、みのしろ金の入手方法など具体的に計画することができず大筋を決めただけで犯行に臨まざるを得なかったものと考えられるので不合理とはいえないというが、たとえ誘拐の対象者が特定していなくとも、通常予想される事態に応じて計画を巡らせ、犯行の発覚を防ぎ逮捕を免れるため、できるだけ安全なみのしろ金入手方法を考案してから犯行に着手するのが普通であり、特に富山事件での失敗を踏まえたうえでの長野事件においては、その点が曖昧なまま誘拐だけでなく殺害まで実行してしまった犯行態様が共犯事件としてでは状況的に著しく不自然であることは明らかである。

所論は、本件各犯行での実行部分は甲にゆだねられていたのであるから、丙が甲からみのしろ金の入手方法についての相談にあずからなくてもおかしくはないようにいうが、本件では、もともと意欲的に犯行を押し進めようとしていたはずの丙が、そのように目的達成に欠かせない重要な実行行為から全く除外されたようにみえる犯行態様の不自然さこそが問題にされなければならないのであって、丙と共謀したといいながら、肝心なみのしろ金奪取の思案を甲一人が胸にしまい込み、本来は最も頼りにすべき丙にそのことを打明けもせず相談しなかったという事実に不審感を抱かないような検察官の反論には全く説得力がない。

b 甲が丙以外の男と誘拐の下見に行ったことについて

原判決は、丙自白では、昭和五五年一月下旬までには甲との間で誘拐を実行することの合意ができていたというが、その時期甲はD事件の被害者であるDに対しても同じような誘拐話を持ち掛けて二人で下見をし、近々やろうという提案までしていたというのであって、これは丙にも捜査官にも捨て置けない事実のはずであるのに、この点に関する丙の捜査官に対する供述が簡単に過ぎていることに徴すると、丙の共謀形成過程には疑問が生ずるというものであるところ、甲がDに持ち掛けたという誘拐話は一応の打診といった軽いものであって、丙との間で確かな誘拐犯罪の共謀を遂げながら一方で他の男とも同じような犯罪を企んでいたというほどのものでないことは検察官が反論するとおりと思われる。

しかしながら、甲のDに対する誘いが軽いものだったとしても、やはり丙との間に誘拐犯罪の共謀が成立していたという事実とは矛盾する行動であることに違いはなく、これを合理的に説明するためには、丙との間に共謀はなかったか、あるいは甲の犯意が具体的な犯行計画になるまでは熟していなかったものとみるほかはなく、この事実も丙自白の信用性に消極の影響を及ぼすことは免れない。

c 甲が男性をも誘拐対象と考えていたことについて

原判決はまた、甲は富山事件の直前、二度にわたってZに同乗させた男性を誘拐対象と考えたこともあるというのに、丙の供述中にそのことについて言及がなく、甲からその事実を知らされていなかったと推認されることが共謀に関する自白の信用性を損なうと判示しているが、所論は、甲はそのときの成行きで一時的に誘拐対象とすることを考えたに過ぎないもので、共謀の有無に消長を来すほどの事実ではないというのである。

確かに、甲の思いがそれほどに真剣味を帯びたものでないことはいうとおりだが、丙との間に若い女性を対象とする誘拐計画がきちんと出来上がっていたものとすれば、その予定に反する犯行を独断的に思い付くこと自体、状況的な整合性を持たないことになり、丙との共謀の点も含めて当時甲が強い遂行意思を伴った具体的な誘拐計画を持っていたのかどうか疑問に思えるのである。

d 二月二六日以降の富山事件に対する関心について

原判決は、甲が富山事件に共犯者として関与していたのなら、二月二六日にAの両親等から疑いの目で見られたことなどでその犯行の発覚をおそれ、その後の捜査の進展に注意を払って当然であるのに、丙自白には、その点についての現実味のある供述がなされないまま、再度長野事件の共謀に加わったとしているのは奇妙であるというのに対し、所論は、丙は、両親らとの応対で自分らに向けられた嫌疑は薄く犯行発覚のおそれは少ないものと考えてその後の長野事件を企図したとみて決して不自然なものではないと反論する。

原判決が指摘する点が丙自白の信用性に大きく関わるものともいい難いが、やはり消極的事情であることに違いはない。

つまり、両親との応対の場面では一応嫌疑は避けられたとしても、やがてAの死体でも発見されれば状況は一変し、殺人等の容疑が自分たちに掛かってくるだろうことの自覚がなかったというのはおかしく、そのための犯跡隠蔽の対策が甲及び丙両名の間で話し合われて当然だし、まして再犯行まで共同で敢行しようというからには、今度は前車の轍を踏まないようにより慎重な計画が練られるはずであるのに、その部分の供述が欠落している丙自白の信用性が低いと評価することに異論はない。

e 二月二八日甲が富山事件について丙に語った内容について

原判決は、丙自白(<書証番号略>)では、甲が富山事件後の二月二八日丙に対し「これは、二人のためにやったのよ。だから、絶対に人に言わないでね。言えば二人とも捕まるのよ。」と語ったとされているのは、共犯者間の会話として不自然に過ぎ、丙の不利益供述全体の信用性を低下させるというのであるが、この点については、所論が、右供述は、丙が殺害までの事前共謀があったことは否認している中で述べられたもので、特別の関係にある男女の共犯者間の会話として、事前共謀の範囲を越えて甲が殺害までしてしまったことについて、二人のためだったとして改めて秘密保持の確認をしたものとみれば不自然とはいえないという反論は十分理由がある。

しかし、その甲の言葉がその時期に語られたこと自体には疑問があり、同じ内容のことが、長野事件後、捜査官に対する丙の口封じのために甲が釘を刺したということが考えられなくもないのである。(<証拠番号略>)

f 殺害の凶器にすると決めた「志賀」の紐に対する丙の認識について

原判決が、丙自白では、三月四日宿泊先の「志賀」において殺害の凶器として同ホテルの紐を使う相談を甲としたといいながら、丙自身はその紐を見てないし甲が持ち出したのも知らないと供述しているのは不自然であるとする判断は首肯できるものであり、丙がそこまで逐一観察してなかったとしてもおかしくないという所論は失当である。

g 三月四日聖高原方面を下見していた際の甲及び丙両名の謀議内容について

原判決は、丙自白(<書証番号略>)では、三月四日聖高原方面を下見中のZ内で丙には度胸がないから甲が単独で殺害を実行するということになったとされているが、殺害実行者の決定という重要事項についての説明としては理由が曖昧に過ぎるとしてその自白の信用性に疑問を呈するのに対し、所論は、D事件、富山事件と続けて丙が殺害行為をひるんだ事実もあることからすると、長野事件ではその下見までに甲が実行者となることが既に決定していたことが十分考えられるだけでなく、夫婦同然の間柄にあった二人は終始行動を共にしていたのであるから、殺害実行者の決定についてもこと改めて協議する必要もないのであって、その件についての会話が簡単なものにとどまっていても不自然とはいえないと反駁している。

しかしながら、D事件で丙が実行行為に加わらなかったというのは、むしろ甲の側の思惑によるもので、そのことはかえって丙の同事件への加担を否定する情況ととらえられるべきものであろうし(なお、同事件で丙が殺人犯罪に拒否的態度を示したのは事実だが、そのことが甲をしてその後の本件各犯行に丙を共犯として参画させることを不適当と判断させたのかも知れない。)、富山事件にあっては、当初は丙が殺害役に決められていたとしながら、いざとなって丙が現場に出向かなかったことの理由は不明なままに、甲が代わって単独で殺害実行までしてしまったというのが何とも不可解な事実関係であることは既に詳しく説示したとおりであって、検察官が論拠とする、丙が共謀はしながら度胸がないために殺害実行に踏み切れなかったという事実は何ら立証されていない。

原判決が指摘するように、共同で行った富山事件での失敗のあと再び共謀して長野事件を企てたというのに、最も重要な殺害実行者を誰にするかということがそのような半端な形で決められたとすることに不自然さはあるが、それだけでなく、その他の犯行計画、たとえば誘拐、殺害、みのしろ金要求、受領等に関する時期、場所、方法などについての具体的な謀議が事前になされた形跡が証拠上確かな形で浮かび上がってこないのが状況的に何とも納得がいきかねるのである。

そして、丙自白についても、前記両供述調書の間の<書証番号略>では、甲が女の子を誘拐したら連絡を受けて丙が出掛けて殺す計画であった旨の供述が介在するのであって、その供述の矛盾を説明するのは困難であろう。

のみならず、改めて真実を述べたという甲の当審公判(二二回)でも、長野事件について、甲は、Bを誘拐したのち、殺害役の丙に連絡して合流予定地点で待ったが出て来ないので、仕方なく甲が一人で被害者を殺害したと言っているのであって、両者間の供述の食違いは甚だしく、その不自然さは覆うべくもない。

h 丙名義のカードで給油したことについて

原判決は、丙は長野から東京、高崎を経て富山に戻るまでの間、丙名義の出光ファミリーカードで給油を行っていたことが確認されているが、「日興」での宿泊予約では甲と相談して犯跡をくらますため偽名を用いたと言いながら、給油の方法について特に相談したとの説明がない丙自白を信用することはできないというのに対し、所論は、給油と宿泊では犯行との結び付きに差があり、両名の所持金が当時少なかったことも考えると、その丙自白が不自然とまではいえないとする。

しかし、ホテルでの偽名の使用は甲が口実を設けて丙に指示すれば必ずしも共謀がなくとも可能であることも思えば、偽名の使用の有無は、共謀の認定にそれほど影響する事柄とも思えないが、実名のカードを利用しての給油方法がその消極的事情といえることは否定できない。

i 三月六日「ビッグベン」におけるみのしろ金要求電話に関する甲との会話内容について

j 三月七日昼過ぎのみのしろ金要求電話について

k 二月二二日「プラザ」での謀議の内容について

以上の三項目については、原判決がいうように、丙自白が述べる事実がやや不自然ということもないでもないが、一方で検察官が反論するような考え方もできないわけでもなく、いずれにしても、それらが丙自白の不合理性を示す事柄として持つ意味は大きいものではない。

以上検討したとおり、原判決が丙自白の中で不合理供述として指摘する部分は、一部においてそれほどに重要とはいえない事項も含まれはするが、大方は到底看過できない大きな供述欠陥を示すものと認められ、これが丙自白の信用性に否定的影響を及ぼすことはいうまでもない。

エ  自白内容の変遷に関する主張について

次に所論は、原判決が、丙の自白内容には説明困難な変遷がみられ、その変遷の状況は自白全体の体験供述性を強く揺るがすとした判断に反論し、丙の自白には変遷は認められるものの、それらはいずれも説明が可能なものであって、信用性を損なうほどの不自然さは認められないと主張するので、以下所論に従って検討する。

①  長野事件の謀議における殺害担当者について(原判決四一六頁〜四一八頁)

この点につき原判決は、<書証番号略>では、三月四日までは殺害実行者を誰にするかは決まってなかったが、その日下見のために聖高原方面を走行中の車内で、甲が丙に「あんたは度胸がないからだめだ。」と言って、甲単独で殺害を実行することになったと記載されていたのに、<書証番号略>では、三月四日朝ホテル「志賀」を出発する前に丙実行が決まっていて、その後下見に行ったことの供述もあるのに殺害実行者が甲に変更された旨の記載はなく、その後の<書証番号略>では、「志賀」ではまだ殺害役は決まってなかったと明言しながら、下見の際の殺害実行者決定に関して全く言及されておらず、それが<書証番号略>になると、再び右下見の際に甲が殺害実行することになったと当初の<書証番号略>と同旨の供述に戻っているが、殺害実行者の決定という重要事項について、一週間足らずの間に説明が三転し、その供述訂正の理由も一切述べられていないことからすると、これら調書の信用性には疑問があるとするのに対し、所論は、原判決が、丙の各供述を下見走行中に初めて殺害実行者を決定したと述べているようにみているのは適当ではなく、それまでに実行者は甲と決められていてそれに丙が加わるか否かが話し合われたに過ぎないとみられるのであって、その観点からは、<書証番号略>の丙供述のみが突出しているだけで、丙自白全体の信用性を否定するまでのものではないというのである。

しかしながら、長野事件における事前謀議の内容は殺害担当者の点を含めてすべてが曖昧に過ぎるだけでなく、丙がそれまでのD事件、富山事件で殺害実行に関与しなかったというのが、丙が度胸がないために殺害の実行を渋ったといった事実関係でないことは、先の丙自白の合理性についての検討でも説示したとおりでもあって((4)、ウ、①及び同③、g参照)、長野事件では事前に甲が殺害を担当することの謀議が成立していたという検察官の推論には根拠がない。

仮に、丙供述全体の趣旨が所論のように最初から甲の実行と決まっていたというのであれば、それはそれで供述が首尾一貫していないのはおかしいし、大の男である丙が共犯者として参画しているのに成人女性を殺害するという困難な荒仕事を女性の甲が一人で実行することになった経緯が当然述べられなくてはならないはずであるのに、その説明抜きで実行者は甲に決まっていたとか、度胸がないからというような理由で丙の実行行為への加担が拒否されたということを簡単に信ずることができないのはいうまでもないであろう。

②  誘拐場所を大宮から長野に変更した理由について(原判決四一八頁〜四二〇頁)

原判決は、丙自白では、長野事件では当初誘拐の実行候補地が大宮等と決まっていたのを、富山出発後の車中でこれを長野に変更したとしているが、その具体的理由として<書証番号略>で述べていたことが<書証番号略>で脱落しているのは信用性に関わる供述変遷であると判示するのであるが、この点については、所論がいうように後の丙の供述が必ずしも先の供述を撤回した趣旨ではないと解する余地もあって、供述の変遷をいうほどのものではないという検察官の反論は理由がある。

③  長野事件のみのしろ金の額及び受領場所に関して謀議した時期等について(原判決四二〇頁〜四二二頁)

原判決は、みのしろ金の額及びその受領方法につき、<書証番号略>では、三月四日の下見の際に謀議されたとしていた内容が後日の調書でその受領場所や謀議の時期が変遷しているのは理解し難いとするのであるが、この点についても供述の変遷というほどの違いではないという所論は排斥しにくい。

しかし、そのことよりも、長野事件でのみのしろ金の額や受領場所など犯行の目的達成に重要な事柄の決定に丙の意向が反映した跡がまるでなく、丙が肝心の犯行遂行に何ら役立っているとみえないところに問題が残るのである。

④  少女フレンド等の入手先に関しての甲の説明について(原判決四二二頁〜四二三頁)

原判決は、三月四日誘拐に出掛けた甲が持ち帰った少女フレンド等の雑誌に関して、女子大生から入手したことを具体的に明らかにしたかどうかについての丙の供述が一日違いで相違していることを供述変遷として取り上げているが、これも所論がいうように、取り立てて問題にするほどの供述の相違とはいえない。

⑤  Bの殺害、死体遺棄に関しての甲の説明について

原判決は、Bの殺害及び死体遺棄について、<書証番号略>では、丙は、三月六日合流後甲から、Bに缶コーラの中に睡眠薬を入れて飲ませ、眠ったところを絞殺したのち、遺体は高原近くの山中に捨てたと聞いた、コーラを用いたのはジュースよりよく溶かすだろうということで事前に相談していたものであると供述していたのに、<書証番号略>になると、殺害方法について甲は、「富山と同じよ。そんなこと聞かないで。」というだけで明確な返事をせず、丙は推測でAの場合はジュースかコーラに溶かして睡眠薬を飲ませて殺したと聞いているから同様の方法を用いたと思う旨供述が変更され、遺棄場所については触れられていないのであるが、前者の供述が極めて具体的なものであるのに後者の検面調書の内容に供述が変遷したことについては何らその理由が述べられておらず、しかも、一方で甲が一貫して缶ジュースと一緒に飲ませたと供述しているのと比較すると、のちの丙自白はこれと矛盾しないように修正された疑いが濃いのであって、その信用性は大きく揺らがざるを得ないとするのであるが、原判決の証拠判断は至極もっともであり、ここでの丙の供述内容及びその変遷状況は軽視できないものというべきである。

これに対し、所論は、殺害や遺棄の状況はもともと丙の直接体験事実ではなく、甲からの聞いた話の内容というのであるから記憶が混乱することもあろうし、取調官がその程度のことでわざわざ修正を試みることも想定できないと反駁するのであるが、前もってことさらジュースでなくコーラを用いて睡眠薬を飲ませようと二人で相談していたということであれば、それは紛れもない体験事実であるし、また、殺害をどのように実行したかを具体的に聞かされたというのと、嫌だからと言って説明を断られたというのとでは状況は正反対であり、これが記憶違いをするような事柄でもないことは明らかであってその違いは大きいといわざるを得ない。

そして、丙が甲から殺害に当たってコーラを用いたということを聞かされたと述べ、それも前もっての相談ずくのことだと供述しているのに、一方甲の方は頑としてジュースを使ったと固執しているのを、捜査官側でその相互の供述の矛盾をそのままに見逃せば、丙供述の虚偽性が歴然としてきてその信用性が疑われるのは明らかであり、それをつじつまが合うように修正する必要は非常に大きく、それをいかにも消極的にいう所論の言い分が薄弱であるのはいうまでもない。

ところで、このような丙の供述変更は何を意味するのだろうか。変更前の当初供述について記憶違いが言えそうにもない場合だけに、それは丙が虚偽であることを知りながら供述したものとみるほかはなく、とすると、丙に他に特別の思惑が認められない限り、取調官の誘導に従った迎合供述である可能性は十分高いものといわなければならない。

のみならず、このような重要な供述内容の変更については、その供述者自身にその理由を説明させ、当該供述調書中にそれを記載させることは捜査の常道であり、これを欠いた自白の信用性が大きく揺らぐだろうことを、取調べに当たった検察官が知らなかったはずはないと思えるのに、現実にはその調書に前記のように供述変更の理由が全く欠落していることの意味も小さくはない。

この点に関する丙の前、後者の各供述がともに誘導によったことの可能性は強く、これは丙自白全体の信用性を大きく損なう供述状況とみなければならない。

⑥  みのしろ金持参人の見分け方に関しての甲の説明について(原判決四二六頁〜四二九頁)

原判決は、<書証番号略>では、みのしろ金持参人の見分け方を甲に尋ねたら、甲の服装を教えてあるから相手の方で識別できると答えた旨具体的な供述がなされており、それがみのしろ金の受領方法としては極めて不合理な内容のものであるのは明らかであったところ、<書証番号略>では、これが、「犯人が自分の服装など相手に教えるはずがありません。私の勘違いです。」とその供述内容が変更されているが、勘違いなどが生ずるような事柄ではなく、これを勘違いということで強引に修正を試みたと思われる検面調書は、明らかに不合理な供述を記載した員面調書ともども真実が録取された証拠と評価することはできない、というのである。

これに対し所論は、もともと甲がみのしろ金持参人であるB3に甲自身の服装を教えたことはない(<書証番号略>)のであるから、そのようなことを丙に言うはずもないのに、丙が前記員面調書のような供述をしたのは、丙が長野事件について全面的に否認していた三月三一日当時の取調べで、甲が東京の男から大金を受け取ることになっているのに同行したという弁解をする中で、甲からその金を持って来ることになっている女の子に甲の格好を教えてあるということを聞いた旨も述べていること(<書拠番号略>)から、丙がその否認時期の弁解をそのまま供述し、取調官からその不自然さを追及されて正しく供述を訂正したものと認められるのであって、自白の信用性を損なうような供述変遷ではないと主張する。

確かに、みのしろ金を取ろうとする犯人がその相手に服装の特徴を教えるなど馬鹿げたことをするはずはなく、その事実がなかったことは証拠上も明らかであってみると、甲が共犯者の丙をそのような虚言で欺く必要はないといえるのであって、丙がなぜ員面調書でそのような不合理な持参人の見分け方法を供述したのかが当然問題になるのである。

所論がいうように、丙が否認当時の弁解内容を長野事件における自白に際してそのまま置き換えて供述したのだろうということは容易に推察できるであろう。

しかし、もし丙が実際に甲と共謀してみのしろ金を受取りに現場に臨み、その事実に基づいて自白したというのであれば、持参人の見分け方について直ちに馬脚が現れるような虚偽の弁解をする必要は考えられない。

しかも前記のとおり員面調書における供述が丙の否認時の弁解と一致するだけに、その供述動機の矛盾はより増大するものといえる。だがそれも、丙の前記弁解が虚偽ではないと想定して丙の供述内容や変遷と対照してみたらどうであろうか。つまり、丙が長野事件で甲とは共謀しておらず、弁解でいうとおり、東京の男からの大金を受け取るつもりで甲に同行してきたもので、金は使いの女の子が持ってくるという甲の言葉を信じていたというのがもし真実であったとしたら、甲が丙に対し、その女の子に服装による見分け法を教えたという作り話で騙すこともあり得ることであり、これが決して不自然なことにはならない。

そして所論がわざわざ引用する前記テープにおける「女の子が持って来るということも聞いたんです。ただ、その女の年格好とか名前とか、わたし、名前は何か言えと言いましたよ。そうしたら、そんなこといいがやと、こっちの格好覚えとるがやと、こっちの格好を言ったと。甲のね。眼鏡かけて、そして頭がこんながで、こんなが着とる、そういうことを言ってあっからと。」という丙の供述が、妙に生々しく、朴訥な語り口の中で述べるその具体的会話内容に作為の跡は窺いにくいのであって、それが捜査のまさに当初の段階で供述されていることとも相まって十分耳を傾けるに足る弁解と思えるのである。

そのうえで改めて事実を眺め直してみると、甲としては、誘拐殺人のうえでみのしろ金を入手しようとする本件犯行の真相を隠したままで丙に自分との同行を求め、そこで事実上の協力をさせようと図ったものとしたら、丙に対してはその弁解にあるような作り話で欺く必要があったわけで、また、多少の不審を抱いたかも知れない丙がその大金を持参する者との接触方法を確かめたのに対しては、その金がみのしろ金であると教えるわけにはいかない甲が、適当にごまかして答えて丙の疑問をはぐらかそうとしているうちに、丙が供述するような見分け方を言ったとして決しておかしくはなく、事実関係は素直に理解できるものになるし、供述の変遷も合点がいくのである。

すなわち、丙はそれまで否認してきた甲との事前共謀をついに認める心境になってその限りでの自白には応じたが、みのしろ金の持参人の見分け方については、実際にも甲から聞かされていたとおりの事実をいったん説明したものの、もちろん共謀を前提とした事実としては状況的に符合しないために、後日取調官からその矛盾を追及されて改めて共同犯行にふさわしい形に供述内容を修正したものと考える余地が十分にある。

ここでの丙の供述変遷の不自然さは、丙自白の信用性に大きな疑問を生じさせるとともに、甲に騙されていたという丙の公判弁解の真実性にも多分の根拠を提供するものといえよう。

⑦  みのしろ金目的誘拐の事前謀議をした時期及び内容について(原判決四二九頁〜四三五頁)

原判決は、丙が富山事件の前に甲との間で行った謀議の内容を、<書証番号略>の各供述調書の順にその変遷状況を検討した結果、その謀議がなされた時期、特に誘拐後殺害することの合意ができた時期が特定されず、みのしろ金の額についても甚だしく不統一であって、そのような変遷状況は丙自白の信用性を低下させる事情の一つといえるというのであるが、右の各調書間に厳密にいえば変遷があることは事実ではあるが、原判決も認めているように真の犯人にでもあり得るような供述変遷と対比し、また、みのしろ金の額については検察官が挙げるような種々の金額が取り沙汰された可能性があることも考えると、前記のような程度の供述変遷は、いまだそれだけを取り上げて問題にするほど著しいものとはみなしにくい。

⑧  A殺害に関する二月二六日における甲の説明について(原判決四三五頁〜四三七頁)

原判決は、丙自白によれば、丙は、二月二六日甲からAの殺害の事実を打ち明けられた際、<書証番号略>では、甲から睡眠薬を使用したことを聞いたと供述していたのに、<書証番号略>では、甲のその発言がなくなり、<書証番号略>では、睡眠薬使用の事実は甲に確かめていないことに供述が変遷しているのは、前供述が捜査官による誘導の危険が現実化しているとみなされるほかに、後の供述も甲が睡眠薬は使用していないと弁解するのを軽信した捜査官がその認識に沿って誘導した可能性が強く信用できないとするのに対して、所論は、Aに対する睡眠薬使用の事実は、もともと丙の体験事実ではなかったため捜査官の追及で記憶に自信を失って供述を曖昧なものに後退させたとみられるのであって、丙自白の証拠価値は動かないというのである。

しかしながら、この点に関しては、先の「B殺害、死体遺棄に関しての甲の説明について」における考察の結果がほとんど当てはまるのであって、丙が当初「睡眠薬を服用させたと聞いた」という供述自体が誘導によったおそれがあったものであり、秘密の暴露といえる信用性を備えるものでないことは前同様である。

⑨  二月二五日朝丙が「北陸企画」に出向いた事実の有無について(原判決四三八頁〜四四三頁)

原判決は、Aが誘拐されて「北陸企画」にとどまっていたと考えられる間に丙が同所に出向いた事実があれば、それは丙の共謀を推認させる有力な間接事実になり得ると前提したうえで、二月二五日早朝丙が同所に出向いた可能性を検討した結果、それを推認させる目撃証言の信用性を否定し、一方で丙が当初はその事実を否認していたのに、のちにこれを変更して「北陸企画」にその朝出向いた事実を自認するに至った各調書(<書証番号略>)も、結局は丙が誘導に屈して記憶に反した事実をあえて承認した可能性が強いものとし、その自認供述が富山事件自体についての自白から否認に転じた時期になされたということが、逆に丙が極めて誘導に弱い体質であることを示すものとして、それ以前の自白の真摯性にも疑問を投げ掛けると結論付けているところ、所論はその判断を不合理として争うのであるが、この問題については、既に間接事実における項(第三、四、3、(一)、(7))で詳しく検討したとおり、原判決の認定とは反対に、丙が当日朝「北陸企画」に出向いた可能性は極めて大きいとみるほかないのであるが、そのことは逆に丙の富山事件での共謀を否定する情況とみられるというのが当裁判所の考察結果であり、したがって、この点についての判断過程では原判決と同一歩調は取れないけれども、そのような丙供述の変遷状況からそれ以前の丙の自白の真摯性が疑われるとした結論は正当というべきである。

オ  自白に至る経緯が自然であるとの主張について

①  原判決の判断要旨

原判決は更に、丙の自白が真の犯人が反省悔悟のうえで真実を供述したものとみることができるか否かということをその供述過程の概観に沿って供述状況を追って検討した結果、

a 概括的には、丙自白は、長野事件に関しては、否認、自白、供述拒否ののちに自らが殺害者であるという明らかに内容虚偽の過剰自白を経て全面自白に至っており、富山事件に関しては、自白と否認との動揺の跡が歴然としていて、両事件の取調べを通じて自白状況が著しく不安定であることが看取されるとし、具体的に丙の供述過程と内容を分析的に追ってみても、捜査当初の否認時期において、丙が公判で無実の理由として述べた弁解の内容がすぐには主張された様子がない点に疑問は残るが、三月二九日、三〇日両日の取調べで丙は、自分の関与は否定する一方で甲が事件に関与したことを示唆する不審点を指摘する供述で終始し、それに引き続く長野における取調べでは、その弁解内容に沿った形の甲から持ち掛けられたという儲け話を色々説明しようとしたものの、取調官にまともに取り上げてもらえず、逆に甲及び丙両名の間に共謀がなかったはずはないとの角度に偏った追及が行われた状況が窺われるが、四月六日に至っては、B殺害は自分が実行した旨の明らかに虚偽の過剰自白を行い(<書証番号略>)、それはすぐに撤回して今度はB誘拐の話を事後になって聞かされ、みのしろ金要求のみに加担した旨いったん一部自白に後退させたのち、四月一二日になってから長野事件での事前共謀を全面的に自白するに至ったという供述経緯が認められるが、そのいずれの場合も、およそ反省悔悟に基づいて真摯に真実を告白した供述過程と解することは困難であり、特に、丙は自白するに当たって自己が受けるべき刑について著しい誤認をしていた疑いが濃厚であって、これも含めて考えると、丙は過剰自白したときの同じ延長線上の心境で虚偽自白を行った可能性が高いと推量される。

b また、富山に移ってからの取調べでの供述では、当初は富山事件について全面的に否認し、当時甲から「金沢の土地の件」の話を聞いていた旨公判弁解と同じ供述をしていたが、やがて事前共謀を認める自白を行い、被害者遺族に謝罪する供述書(<書証番号略>)まで作成するに至ったものの、それら供述には先の弁解内容が残存しており、道義的責任の自認はあっても具体的な犯罪事実や刑事責任を承認する内容としては不自然な文脈も見いだせて供述の真摯性には疑問があるものとし、のちに公判弁解と同旨の供述部分は修正されて自白内容は整えられたが、その後再度否認に転じて公判弁解と同旨の供述が復活したかと思うと、最終的に五月六日に丙の態度が再び変化して富山事件での事前共謀を認める調書が作成された(<書証番号略>)のに、これも二日後にはまた否認に変わるといった目まぐるしい供述過程をたどるのであるが、この富山事件についての二度にわたる自白状況も、基本的に長野における取調べと同じように、具体的な共謀事実を承認する部分の真摯性は認められず、道義的責任を引き受ける趣旨で供述がなされた疑いが濃いものであって、その供述状況から丙自白の信用性を補強することはできない。

c そこで、改めて丙に反省悔悟の念以外で虚偽の自白をするような動機原因があったかという観点での検討を加えた結果、甲及び丙両名の密接な男女関係からみて、もし甲が目的どおりに大金を入手した場合には丙もその利益にあずかることが予想されることから、丙が共犯者であったか否かにかかわらず、甲とそのような愛人関係にある男としての心理的な負担を抱いていたことは疑いがなく、一方で、丙についての決め手となる証拠を持たない取調官が、丙に対し、多分に議論にわたる追及を行ったり、あるいはその心理状態の弱点を突くような情緒的、心情論的な説得を行うことで、丙の心理的負担を増大させ、丙がその重荷から逃避する目的であえて不利益供述に及んだという可能性が高く、丙の全面自白の内容をみても、具体的共謀事実の承認でなくその心理的負い目に動機付けられた道義的責任(いわゆる「男の責任」)を一層徹底した形で承認した趣旨で供述が行われた疑いが強く感じられ、そのことは、丙が富山での取調べ中に弁護人と八回にわたって接見をした際のテープに録音された会話の中に丙が共謀事実を認めて反省している部分が全く見当たらないということからも推量できる。

などというのである。

②  検察官の反論の骨子

以上、原判決における供述経緯からみた丙自白の真摯性やその供述動機についての判断に対し、検察官は次のとおりに反論する。

丙が本件両事件について自白するに至った経緯とその自白と否認の変遷状況をみると、全面否認に始まって、次に共犯者の不審点を示し、その後に一部自白を経て全面自白に至ったその供述経過は自然であり、四月一二日に全面自白した際の状況及びその後富山事件で四月二七日から三〇日あるいは五月六日に自白した際の各状況も反省、悔悟の下に自白がなされたと認めるに十分なものである。

もっとも、丙は、いずれの場合についてもその後一再ならず自白を翻してはいるが、それらにはそれ相当の理由が認められるのであって自白の経過の自然さを損なうようなものではない。

丙は、四月六日に自己がBを殺したことを認める虚偽の自白を行っているが、これは取調官の追及に興奮して一時的に行った供述に過ぎず、また、四月二一日富山事件で逮捕されてから四月二七日まで否認していたことについては、丙が取調官から共謀だけでなく殺害の実行行為にも加担していたのではないかと追及されたことに反発したためであることが十分に推測され、長野事件の起訴事実に勾留事実にはなかった殺人、死体遺棄が加えられたことで事の重大さを知って動揺し否認に転じたことも考えられる。

更に丙は、富山の取調べではいったん全面自白をしながらこれを翻したりしているのであるが、これはいずれも、丙が弁護人との接見において実母の手紙を読み聞かせられたことに原因があることが明白であって、自白の撤回には合理的理由がある。

丙は、富山事件で逮捕されたのち弁護人と八回も接見し、再三にわたって事実はありのままに話すようにと説示も受けていた中で再度の自白に及んだものであり、これら自白が反省、悔悟の情から行われたものであることに間違いはなく、原判決がいうように、いわゆる「男の責任」として自白したものとは理解できない。

なお、本項において丙自白の真摯性に疑問があるとした原判決の判断に対しては、検察官がその控訴趣意書(三六六頁〜四〇一頁)で詳細な反論をするところであるが、その内容は今後の検討において必要な限度で摘示することとする。

③  本項についての当裁判所の判断

所論にかんがみ、丙の供述過程をその内容と対比させながら原判決が丙自白の真摯性について行った判断の当否を案ずるに、一部の認定や評価で見解を異にする部分もないでもないが、丙の供述過程が真実の自白に至る経緯として不自然であって自白の真摯性には大いに疑問があるとすることについては同感であり、その自白が、事実に基づいて罪責を容認したのではなく、他の原因動機によって誘導的に虚偽の自白がなされた可能性が高いとする原判決の判断は首肯するに十分であって、これに反する所論を容れることはできない。その理由は次のとおりである。

a 捜査当初の段階(三月八日〜一〇日、二九日、三〇日)における供述について

関係証拠によると、丙は、富山事件のAの死体が発見された後の三月八日から一〇日にかけての警察の任意取調べにおいては、本件両事件についての自己及び甲の関与をいずれも否認し、甲とZで長野に赴いたのは目的のない気晴らし旅行であり、三月四日、五日の両日は車中泊をした旨虚偽を述べ、高崎に行ったことは隠していたが、三月二七日に長野事件が公開捜査になったのち、三月二九日丙の方から望んで警察に出頭して広瀬警部の取調べを受け、その際には、「甲が東京の男から一五〇〇万円をもらうので一緒に行こうと言われて同行し、三月四日、五日と『日興』に偽名で泊まったが甲はその夜はホテルに戻らず、同月七日には高崎で金を受け取ることになったものの、高崎駅で刑事が来て恐ろしくなり甲と共に逃げた。我々の行動は余りにも富山、長野の事件に似ている。」などと供述し、その際同警部から行動の不審点を追及され返答に詰まって極度の興奮状態に陥って倒れるといったこともあり、更に自己の犯行関与は強く否認しながらも、富山事件に関し、「甲と下呂温泉に行った際浴衣や細帯を盗み、それらを甲が『北陸企画』に置いていた。」旨の供述を行い、翌三〇日にも、丙自身の本件両事件への関与は否定する一方、富山事件について、甲から「二月二三日にはバンで私を送ったことにしてくれ。」と虚偽事実の供述依頼を受けたことなどの不審点を明らかにし、同時に前日同様、甲から東京の男から金をもらえると言われて同行したものと弁解していたことなどが認められるところ、原判決は、丙が共謀に加わっていなかったとしたら、当然甲に対する疑念を深めるとともに自己の行動の弁解に努めるはずであるのに、この時点で甲についての不審点を挙げるだけで公判弁解での供述内容が述べられなかったのには疑問が残るとしながら、逆に共犯者であったとしたら、丙は一方的に甲との共同歩調から離脱し、捜査官に対し甲一人に全責任を押し付ける責任逃れの供述をしたことになるが、これはあり得ないこととして、結局、この時期の供述状況からは丙の有罪性の判定に有用な事情は見いだせないとした結論に対し、所論は、丙は当初自己及び甲の犯行関与を全面的に否認したが、取調官の追及で答えに窮し、甲の行動に不審点があることを断片的に示して犯行への関与を示唆することで自己への追及をかわそうとしたものとみて、その供述の経緯は自然であるというのである。

しかしながら、この時期における丙供述の経緯と内容は不自然というほかなく、甲及び丙両名の間に共謀があったとしたのでは、その当時における丙の供述態度は理解し難いのであって、捜査当初のこの段階でのそのような評価が丙自白全体の信用性を大きく損なうことはいうまでもない。

つまり、丙には、ことさら甲についての不審点を挙げてその犯行関与を示唆するかのような供述態度があったと窺えるのであるが、もし丙が甲と共謀して犯行に及んでいたのが事実だとすれば、果たしてそのような方法で丙が自分の罪責を免れることができると考えるだろうか。

丙はかなり積極的に甲の不利益事実を供述しているようにみえるけれども、二人の共同犯行に間違いないということであれば、丙のこの際の警察への申述は、結局のところ自分たちの悪事の露顕に繋がることは必定であって、自首をするというわけでもないのに、進んで捜査側にそのような手掛かりを与える言動に及ぶというのは、いわば自殺行為といってもよいような非常識な行為であることはいうまでもない。

しかも甲供述によると、その直前ころには丙と捜査官に対する供述対策を練り、犯行を全面的に否認する線で対応することとし、場合によっては甲の単独犯行ということにして丙の罪をかぶるという打合せまでができていたというのであって、にもかかわらず、丙がその共同歩調を乱していち早く自らの口で甲一人に罪責を押し付けるような行動に出るなどのことは、事実の流れとして不自然に過ぎる。

たとえ丙が、自分一人の保身を願って虚偽の供述をして助かろうとしても、甲がそのような丙の背信的な行為を知ってまで、なお丙をかばって甲との共謀事実を隠し通してくれるという保障はないのであって、そのような期待も持てないのに、丙が甲の不審点をあげつらうというのは、まさに自ら墓穴を掘るの類いの行為であり、これが自然な供述の経過などいえるわけはないのである。

しかも、関係証拠によれば、本件各犯行は、誘拐、殺人、死体遺棄、あるいはみのしろ金要求電話等の実行行為をすべて甲一人が敢行したものと認められるのであるから、丙が自分自身の無実を仮装しようと考えたからといって、何も自分から進んで警察に出向いて釈明しなければならないような立場にはなかったはずであるし、また捜査官に対しても、自らは犯行の実行面で一切関与していなかったというのであれば、ただ自らの無実を強調するだけにとどめておけばよいのであって、それを積極的ともいえる形で甲が本件の犯人かも知れないと捜査官に思わせるような事実を申述してますます自縄自縛に陥るような挙に出ることが、丙の罪責逃れのための苦肉の策ででもあるかのように想像することは困難である。

所論はまた、この際に丙が、捜査官からの追及を避けるためにやむなく実害のないD事件への加功を認めたかのようにもいうのであるが、いまだ捜査の目が全く注がれてもいなかった同事件への共謀関与を自白したりすれば、本件各犯行自体での容疑をますます高めることになるのは自明の理で、この時期にそのような動機でD事件への加功を自白するとは考えられないことについては既述したとおりである。

以上の検討によると、丙が進んで警察に出向いて行って自己の事件関与を否定するとともに甲を犯人と示唆するような不審点のあれこれを申述したというのが、所論がいうように、丙が自分だけが助かりたいために捜査官の目を欺く目的で、まさに虎穴にでも入って行くといった機略に富んだ行為であるかのように推定することなど到底できないのであって、ことは素直に、丙は公開捜査になった事件報道等から、甲を含めた自分たちの行動が富山、長野両事件に深い関わりがありそうに思えたため、自分自身がその犯行に関係しているわけではないが、甲については不審点もあってもしかしたら犯人かも知れないので警察の方でよく調べてみて欲しいと訴えたというのがその供述の動機と経過であると眺めるのが状況的に無理のない推量といえよう。

もっともこのときの丙の意図が我が身の潔白を晴らすことに主眼があったものだとすれば、なぜこの段階で公判弁解と同じ説明を明確に行わなかったのかという疑問がわくのは原判決も指摘するとおりであるが、当初の丙供述に一部概括的にはその弁解に沿う趣旨の供述もなかったわけではなく、そこでそれ以上に具体的詳細な弁解まで行われなかったのが、丙が甲から聞かされていたという大金の儲け話が下手をすると警察沙汰にもなるかも知れない危険があるものと受け取っていたとすると、甲がいまだ本件における犯人と決まったわけでもない先に自分自身にも責任が及びかねない一件の具体的内容の開陳をはばかったということも考えられないでもなく(丙がそのときには忘れていたという弁明を措信することはできない。)、特に異とするほどのことでもない。

原判決は、この時期での供述状況では丙の有罪性の判定に役立たないという程度の評価しかしていないが、当裁判所の以上のような考察に従うと、その供述の端緒や経緯及び内容は、本件において甲及び丙両名間に共謀があったものと前提としてでは不自然、不合理が過ぎるものであり、これを否定する方向へのより有力な情況とみるべきものというべきである。

b 丙の過剰自白(Bの殺害実行)について

所論は、この自白は丙が取調官の厳しい追及に遭って興奮した結果行った一時的な虚偽供述であるから問題に取り上げるほどのものではないとするのであるが、犯行は極刑も予想されるような重大犯罪であり、であるのに実際にはやってもない殺害の実行責任を認めて他人の罪をかぶるような自白を取調べ開始後余り日も経ないうちに行ったという事実は決して軽視できるものではない。

それが事実に反するものであれば、少々の興奮ぐらいで容易にそのような虚偽自白をするとも考えられないのであって、取調官との間でよほど激しいやりとりがあったことが推測され、たとえば、絶望感、自暴自棄、取調方法に対する強い反発と抗議、弁明を聞き入れてもらえないことへの苛立ちや立腹等々、そこには尋常とはいえない心理状態があって初めてそのような重大な虚偽自白がなされたものと推量するにかたくない。現に捜査当初の段階では、丙が真実のこととして説明した東京の男から大金を入手する弁解が一笑に付される形で取調官にまともには取り合われなかったことが証拠上推認されるのであって、もし丙がその弁解で真実を述べようとしていたものだとしたら、一向に自分の言い分に耳を貸してくれない取調官の態度に絶望し、その誘導や圧力に屈して身に覚えのない内容の自白にまで及んでしまう場合がないとはいえないのであって、これがすぐに撤回されたからといっても、このような虚偽自白がなされた事実が、その後の丙の供述の信用性の判断の消極事情として相当に影響することはやむを得ない。

c 富山での取調べにおいて全面自白後にも自白を撤回していることについて

所論は、丙が富山での取調べの際、二回にわたって自白を翻したのは、いずれも弁護人との接見において母親からの無罪を強く求める手紙を読み聞かせられたのが原因となったもので、自白撤回には相当の理由があると主張するのであるが、いうとおりに母親の手紙が影響して丙の自白撤回のきっかけになったことは推測されるものの、だからといってこれが丙において事実を偽って罪を免れようとしたことを示す情況とみるべき何の論拠にもならない。

富山の取調べにおける丙が、取調官の追求や説得、弁護人のアドバイスや説明、母親の手紙や身内の者たちに対する配慮などで、その心理状態が色々に揺れ動き、心定まらなかっただろうことは容易に想像できる。取調官から犯行に関与しなかったはずはないという前提に立った執拗な取調べを受ける中、特に丙が甲と密接な男女関係にあったことに力点を置いた追及、説得をされるうちには、本件犯行の遠因としての関わりや、甲の口車に乗せられたとは言ってみても、甲と行動を共にしていずれにしても悪事に手を貸すつもりがあって事実上は本件犯行に協力したことになるではないかなどと責められれば、丙自身にとっては刑事的責任と道義的責任の区別がつかないまま、ある程度の処罰を受けて責任を果たさなければならないという心境に陥ることもないわけではなく、もしそのような複雑微妙かつ不安定な心理状態になっていたとすると、その母親からの手紙が自白撤回のきっかけになったからといっても、それは揺れ動く丙の気持ちの振幅の大きさを示すものであって、虚偽の自白を撤回して改めて真実を述べようとした可能性を否定するに足る事情とみなすことはできない。

d 自白状況の不安定さについて

所論は、原判決が、捜査段階における丙の供述が否認、自白、供述拒否、過剰自白などと変転し動揺の跡が歴然であって不安定であるという理由で、その信用性が弱いとしているのは、本件のような重罪の犯人が精神的動揺によって供述を色々と変転させる場合が少なくない現実を見逃した表面的な判断であると批判するのであるが、本件の場合は単に供述が変転しているというだけのことでなく、前述のとおり、丙が全面否認のあと自白するまでの間に甲に関する不審点をことさら捜査官に申述するという、丙が実際に共犯者であったにしては考えられないような矛盾した供述を行い、また、事実に反して自らが殺害実行者であることを自認するなど、通常の供述変遷の限度を超える顕著な不安定さをみせているところに特徴があるのであって、これを自白の信用性を検討するに当たっての消極的要因とみなすのは当然のことである。

e 四月一二日に丙が長野事件について全面自白した際の状況について

この自白が開始されたときの状況については、取調官である宮﨑恪夫が、被害者の家族の心情等を話して説得中に、丙が「今まで嘘を言っておりました。」と言って号泣し始め、その後「刑はどの位になりますか。本当のことを話す。それについて弁護士を頼んで下さい。」などと発言した後、全面自白に及んだと証言(原審一四一回等)しているが、この状況につき、原判決が、反省悔悟したものが真実の告白をする前に刑期を気にする発言をするのは解せないし、弁護人選任をいうのも不自然であるとしている点に対する検察官の反論は排斥し難く、そのこと自体を不自然とする原判決の見解は説得力に乏しいものといわざるを得ないが、かといって、その際の丙の態度や発言内容が自白の信用性を状況的に保障するほどの意味を持つものとも思えない。

f 丙の刑罰に関する認識について

原判決は、丙は自白するに際して自己の刑について関心を示しているが、丙が富山に身柄を移されてからの弁護人との接見時の発言内容(<証拠番号略>)からみると、その刑について著しく軽い刑罰と誤認していたことが窺われ、その認識は長野における自白時の理解でもあった疑いが濃厚であって、これが虚偽の自白を誘発した危険があると判示するところ、所論は、原判決の判断は丙の接見時での刑罰に関する認識についての発言の一部のみを根拠にしたものであって、原判決が挙示する四月二七日の接見時の録音テープを通じてその発言内容をみてみると、丙は本件両事件が死刑も言い渡されかねない重罪であることを自覚していたことを窺わせる供述部分もあるのであって、右の部分も含めて検討すれば丙が自己の受けるべき刑について著しい誤認をしていたといえないことは明らかであると反論し、また、原判決が、丙がその四月二七日に進んで作成した遺族への謝罪を内容とする供述書(<書証番号略>)が刑の軽減を嘆願する趣旨であることからすると、直前の接見の際弁護人から予想以上に刑が重くなる可能性を教えられて不安になったのがその作成の動機であったと理解できるとしているのに対しては、もしそうであれば、それ以後は丙において刑罰の認識に誤認はなかったはずで、四月三〇日や五月六日の各自白は弁護人の助言も受けながら重刑になることも承知のうえで供述したことになり、それ以前の自白とは事情が異なることになるのに、これらの自白もすべて同様の理由で信用性を排斥しているのは失当であるというのである。

そこで検討するに、結論的にいうと、もともと丙が本件両事件の本来の刑責が原判決のいうように著しく軽いものと誤認していたとは考えられない反面、自己が本件での共謀を自認した場合に実際に受けるべき刑がそれほど重いものになるとは認識していなかったことも事実と推認されるのであって、本件両事件における丙の刑罰の認識の点については、原判決及び所論のいずれも、丙の言わんとしていることを正しく理解しているとは思えないのである。

すなわち、前記テープの発言内容を通覧すれば、丙は本件犯行に共同正犯として全面的に関与したような場合には死刑を含めた厳罰を覚悟しなければならない立場にあることは、弁護人の説明を待たなくても承知していたものと推察されるのであって、それを自己が受けるべき刑についてせいぜい数年と踏んだ発言をしたというのは、誤認というよりも、仮に丙が共謀を認めて責任を負うことにしたとしても、事件との現実の関わりの程度からすれば、それほどには重い処罰を受けなくて済むのではないかという希望的観測も含めた自分なりの判断を加えた刑の相場を口にしたものに過ぎないと解することができるのである。

まず、前記テープでの丙の発言中の関係部分を拾い出して具体的に引用してみると、次のとおりである。

「ああいう恐ろしい女とおれがいた、それだけでも僕は恥じなければいけない。おれは罪に服さなければいけない人間なんです。……ただ卑怯者にだけはなりたくない。……自分が無実だと言えるなら逃げることもできる。だが逃げない、それは良心です。おれは知らんかった。だけど、おれの横にいた女がやった。女が横にいたんだから、おれが気付くべきことも気付かなかった。……無実になってもおれは生きておれん。刑が軽くなればいいとも思っていない。下手をしたら五年、六年くうかも知れない。うまくいけばもっと低いかも知れん。……おれは無実には絶対なりたくないの。そうかといって、何十年とくらう気持ちもない。だけど数年ぐらいはくらってもみたいの、このままでいるわけにいかん。だから共同正犯でも何でもいい。」などと発言し、更に弁護人との間で、

弁「……今起訴されている罪名というのは、共犯による殺人とか、みのしろ金目的の誘拐とか、死体遺棄ということですよ。」

丙「分かっているんです。大変な事件です。こんなもの下手すると、これになるか、二〇年、三〇年という……。」弁「だからあなたが二年、三年入っておりたいというね、そういう……。」丙「二年、三年とは考えていない。五年、六年にはなりますよ。うまくいって半分と考えているだけですから、五年いって三年か、真面目に暮らしてね。」

弁「そういうのは共謀共同正犯による現在起訴されている犯罪からは出てきっこない刑ですよ。」

丙「そうですか。もっと長いですね。一〇年になりますね。」

等のやりとりがなされている。

ところで、丙の以上の発言は、秘密交通権が保障された弁護人との接見時における自由な会話であるというばかりでなく、その供述の内容自体からも丙が自分が置かれている微妙な立場を何とか相手に分からせようとして、舌足らずな表現の中で真情を訴えていることが十分に感じ取れるのであって、その信用性は相当に高いものと評価すべきものであるところ、そこにおいて丙が本件両事件に関する刑罰について述べているのは、一つは本件犯行自体は本来大変な事件であり極刑さえも科せられかねない重罪であることを丙も承知しているということであり、今一つは、丙が共謀を認めた場合に実際に受けるだろう刑はせいぜい数年ぐらいで済むかも知れないと予測し、それを弁護人にも確かめていることであって、これらは一見すると互いに矛盾した供述をしているようにみえるのであるが、丙が、本来は自分は本件両事件に関しては無実とは思いながら、立場上一部の責任なら甘受するのはやむを得ないといった気持ちで刑の予想をしていたものとすれば、必ずしも的外れの発言であるとも言い切れないのである。

すなわち、ここで丙が受けるべき刑と言ったのは、決して重罪である本件両事件で自分が主犯的地位にあるものとして処罰される場合を予想したわけではなく、自らが責任を甘受せざるを得ないとする限度での刑の相場を述べたということになると、その両者が前提とする事実関係は互いに相違してくるのであって、丙自身がそのような認識に立っていたものとして眺めると、丙としては必ずしも自己が受けるべき刑について著しい誤認をしていたとも決めつけられない。

丙は右接見時の発言の中で、本当は本件両事件とも甲と事前共謀しておらず、殺害の事実も知らなかったが、自分のすぐ横にいた女がやったことで、当然気付いてもよかったことである以上全く責任がなかったとはいえず、また、あえて無実になることも潔しとしないという心情も訴えているのであって、それが事実ということになると、そのような立場に置かれた丙が、数年くらいの刑で済むようなら刑事責任を負ってもいいと思ったという心境もまんざら理解できないでもない。

もちろん、丙が本件において共謀共同正犯としての刑責を問われた場合には、弁護人が説明したように、丙が自分で予測したような程度の科刑で済まないだろうということがいえる以上、なお丙には刑罰についての誤認があったことにはなるが、丙自白の信用性への影響をいうのであれば、むしろ、一部の責任で済むことならあえて無実の罪でもかぶろうという心境にあることを説明している丙の発言部分こそ注目に値すると思われるのである。

所論はなお、丙が本件両事件での刑罰の厳しさを知ったのちになされた再度の自白の信用性の高さを主張するが、自白に至る丙の心理構造が従前と変わらないのであれば、そのような認識の違いが自白の信用性に特に消長をもたらすものとも思えない。

g 自白をするに至った真の原因について

原判決は、以上の検討により、既に丙自白の信用性についての検察官の立証は不十分であるとしながら、更に丙自白には反省、悔悟以外にそのような不利益事実をあえて承認するような原因、動機があったかどうかの考察を行った結果として、甲及び丙両名の当時の男女関係からすると、二人の共犯関係の有無にかかわらず、本件各犯行で目的どおりの大金を甲が入手した場合には、その利益にあずかることが予想される丙が、男としての心理的負担を抱き、他方で捜査官側も議論にわたる追及や情緒的な説得による尋問方法に依存したことが十分に推察され、そのことがまた丙の心理状態の弱点を突く効果を及ぼしてその心理的負担を増大させ、これに耐えられなくなった丙がついに心の重荷から逃避するためあえて不利益供述に及んだという疑いが極めて強くなるのであって、そのような丙の供述は、一応は共謀事実の自白のようにみえても、実体は道義的責任(男の責任)の承認にとどまるものであり、なお、富山における取調べ中の二度にわたる自白では、自己の家族に対する配慮を捜査官に期待したり、甲から殺害の実行正犯まで押し付けられようとしていることを懸念する心情が加わった可能性もあるが、いずれにしても、丙の本件両事件についての自白は、反省、悔悟に基づいて真摯に供述されたものと認めることはできず、丙の道義的責任感に捜査官からの心情論的追及が相乗的に作用し、併せて自己の弁解が容れられないことに対する自暴自棄的な気持ちや受けるべき刑を不当に軽く考えていたことなどの事情により、丙が道義的責任を引き受ける趣旨で虚偽の自白を行った疑いがぬぐいきれない、というのである。

これに対し、所論は、

仮に、原判決がいうように丙に心理的な負い目があり、これに捜査官の心情的追及が加わったからといって、丙自身、極刑も予想されるような重罪での共犯責任を負うことになるような虚偽自白までするとは考えられない。

捜査官の心情論的追及にというのも、否認している被疑者に対して反省を促すこと自体は捜査方法として不当とされるものではなく、それが直ちに供述者の心理に不当な影響を及ぼすものでもない。

現に、丙の供述内容は、長野事件での逮捕後の取調べで、一日限りの過剰自白を除いては、誘拐、殺害、死体遺棄などの実行行為への加担は終始否認し、自白は事前共謀の限度にとどまっており、しかも実行行為への加担を追及されると反発して否認に転ずるなどの抵抗姿勢さえ示しているぐらいであって、到底道義的責任を取っての虚偽の自白を行ったという状況ではない。

富山での取調べにおいても同様で、原判決が挙げる新しい事情というのも丙自白の真摯性を否定する根拠にはなり得ないし、丙が刑罰について誤認があったともいえない。

原判決は、丙が甲から実行責任を押し付けられそうになり、より不利な立場に立たされることがないように身に覚えがないのに共謀限度での自白をしたかのようにいうが、全くの無実の者が実行責任を免れるために共謀の限度でのみ加担したことを自白するということを想定するのは難しく、架空の実行責任まで押し付けようとしている甲の供述態度を知りながら、なおその甲に対する心理的負担から虚偽の自白をするというのも矛盾している。

大体が、富山における取調べで丙は、何度も弁護人と接見して「あったことはあったと、ないことはなかったと話すように」と再三助言も受けていた(<証拠番号略>)のであるから、共謀もしていないのに共謀の限度での加担を認めるはずはなく、また、母親の手紙を聞かされて否認に転じたりしていることからしても、丙の自白が甲に対する心理的負い目に動機付けられた道義的責任を引き受けたものと理解するのは無理であって、原判決の判断は失当である、と反論する。

そこで案ずるに、この項における原判決の考察は、それまでの検討によって既に丙自白の信用性はほとんど否定されるという結論に達したうえで、更にその判断の当否を確かめるため、その自白が反省、悔悟に基づく真摯なものと受け取れるかという観点でその供述内容や態度を改めて見直し、その際、もし自白が虚偽であるのならなぜそのような誤った供述に及んだかという動機、原因を探究するものであるところ、もともと丙自白がその有罪認定の資料とするに足る信用性を具備するかどうかを検討するためには、その自白がなされるに至った動機、原因のすべてが確実に認定され、真相が解明され尽くされなければならないといったわけのものではなく、試みが推量の程度にとどまったとしてもそれはやむを得ないものである。

その前提で眺めるのに、まず、たとえ丙の道義的責任感が強く、これに捜査官の心情論的追及が加わったからといっても、極刑さえも予想されるような重罪について道義的責任を取るだけのつもりで本来全く無実の者が共犯者である旨の虚偽自白に及ぶということは考えられないとする所論は、丙自らが本件で極刑になることまでも覚悟して虚偽自白したとは到底考えられないだけに一応有力な反論といえる。

しかしながら、その所論がいうように、丙は過剰自白の例外的場合を除いては終始共謀の限度でしか犯行関与を認めていないのであって、ことさらに本件各犯行における実行責任を免れようとしているわけではない。そして丙は、本件各犯行の刑責が本来は極刑にも値する重罪であることは正しく自覚していたのに、自己が確実に受けるだろう刑についてはいったんは数年ぐらいと踏んでいたのも事実である。この点原判決は、丙が自己が受けるべき刑罰について全く見当外れの誤った認識をしていたように理解するようであるが、丙としては、仮に共謀の点を認めたとしても、現実には殺害の点を含め実行行為には全く関与していない自分が甲と同じように主犯的な立場での処断を受けるなどのことは考えないで自分に対する刑の相場を予測していたものと推量されるのであって、これが厳密には見通しが甘いとはいえても、丙が前提にしていた状況に基づいてみるならば、丙としては刑罰の認識を著しく誤っていたとまでは必ずしもいえないのであって、このことは前項のfでも詳述したとおりである。

してみると、所論が丙の自白は極刑をも覚悟したうえのものであるから真実の吐露とみるべきだとする立論はその根拠を失うものといわなければならないし、特に四月二七日以降の自白は、弁護人から本件各犯行が重罪であると教えられたのちの供述であるので信用性が高いとする主張も説得力を欠くことになろう。

ここではむしろ、丙が、本来なら重刑が下されて当然との自覚がある犯行に自分が共謀したことを自白したとしても、なおかつ自分自身が現実に科せられる刑罰はその程度のもので済むかも知れないと過少に評価していたところに、丙の自白の動機、原因を窺わせる手掛かりがあるように思われるのである。

この点、前項において摘記した丙の四月二七日の弁護人との接見時発言から当時の丙の供述真意を推量してみると、そこで丙は、捜査官に対して本件における共謀を認める決心であることを弁護人に告げているのであるが、それは丙が本件犯行全般にわたって事前に共謀したことが事実であったと認めた趣旨のものではなく、本当をいえば自分は無実ではあるが、犯人である甲と一緒に行動していながらその犯行を知らなかったとは言いにくい立場にあることから、共謀があったことにして男らしく責任を取る覚悟でいることを訴えていたものと理解できる内容のものであって、そういう前提であれば、丙が仮に共謀の点に限って自白したとしても、共犯者としての丙の立場は実質的には幇助的なものに過ぎなかったことを分かってもらえて処罰も軽く済むかも知れないと期待することが大きな誤認とまでいうことはできないであろう。

ところで、原判決は、前記のように、丙自白は、愛人関係にあった甲に対する心理的負担が捜査官の心情論的追及などで増大し、その重荷から逃避する目的で道義的責任(男の責任)を承認する趣旨で虚偽の自白をした可能性が高いものと推認しているのであるが、丙が自己が受けるべき刑罰を著しく誤認していたという点においては同一の見解に立つことはできないけれども、その点に関する丙の認識が丙自白の真摯性に疑問を抱かせるという限りでは同様の評価をすることができるのであって、結局は、丙の自白の動機、原因は、その犯行を自らが行ったことによる反省、悔悟に基づくものとは認められず、それが道義的責任を承認するなど他の要因によった可能性が強いとした原判決の結論は正当として肯認できるものであり、これに反する所論は容れられない。

もっとも、丙が本件において共謀を自白するに至ったのが、丙に全く罪の意識がなくて、ただ道義的責任感にのみ基づく動機によるものであったかということになるとなお疑問は残る。

つまり、丙が甲に対する「男の責任」ともいうべき道義的責任を取るつもりで共謀の限度での自白をしたところで、それに応じて甲の刑責が軽減されるという関係はなく、また、弁護人とも何度も接見して「事実は事実としてありのまま供述するように」という助言を受け、母親の手紙などで丙の無罪が強く求められていることも知りながら、なお心乱して再度にわたって自白に及んでいるのを、単に丙の道義的責任感の強さをいうだけでは十分に説明ができるとはいい難いのである。

そこでなお、丙の自白の真意を探ってみるのに、丙自身が本件各犯行との関連で自分の行為や立場をどのように考えていたかを記録に現れている当人の言葉や態度の一部で挙げてみると、次のとおりである。(既述の四月二七日の接見時発言は除く)「この事件に私も加担したことになり」(<書証番号略>)、「自分が金、金と責めた挙げ句に、甲が私のために犯行をやってくれたんだ。」(3.31発言。<証拠番号略>)、「おれは責任を取ってやる。」と言って4.6自供書(過剰自白)を作成(原審一四一回宮﨑恪夫)、「殺したのは甲の方です。もちろん私自身この誘拐殺人みのしろ金強奪計画をあらかじめ承知しながら甲と一緒に行動していたのですから、私が直接手を下さなくとも甲と同じ責任があることは分かっています。Bさんはじめその家族の人達の気持ちを考えると私の胸は痛みます。」「私自身の良心に恥じないように私の責任を取らなければいけないと考えます。」(<書証番号略>)、「たとえ血へどを吐こうともやってないものはやったとはいえない。この事件については私は投げ捨てです。私の言い分は言い分として、甲の言い分に重点をおかれて、私を甲と同罪にしてくれて結構」(<書証番号略>)、「全部について私は関係ないとは言えない。」(<書証番号略>)、「おれが何もやってないことが分かってくれれば責任を認めてやってもよい。」(原審一四六回広瀬吉彦)、「おれは甲の調書で死刑になる。」(4.27発言。原審一三九回等広瀬吉彦)、「私は、この事件に全く関係がないと言っていました。しかし、よく考えてみますと、申し訳ない気が一杯で、私は私なりに責任を取るべきだと考えて、これから私の行為について申します。」(<書証番号略>)、「無実の旗をしっかり掲げる。自分は責任があると思って共謀だけは認めた。甲が哀れだと思っていた。今日からはその思いはすっかりふっきる。共謀だけならいいが殺しまでおれに負わせようというのか。そういう真実を見抜かん警察や検事にはもう何も言うことはない。警察、検察のやり方は汚い。」(前記広瀬証言)、「正直に話せば必ず有罪になると思う。刑務所に入るには心の支えが欲しい」(5.6発言。前記広瀬証言)、「家族のことなどを考えて今まで本当のことが言えなかったが、被害者やその家族のことを思って自供する。」(5.6発言。原審一四五回徳永勝)、「要するに誘拐して殺害してみのしろ金を取るという、この肝心なことを知らないんです。」「私は詐欺だと思ったから、悪いことやってるんだと。だから僕は甲のことについては言わないだろう。」(4.22発言。<証拠番号略>)、「あの女と一緒にね、おれは行動を共にしていたんだから、もうどうしようもないです。」「しまいにはおれが金、金と攻めたてたと言ってね、そしておれのために人を殺してる。」(4.26発言。<証拠番号略>)、「人を二人も殺せば気違いだよ。それで殺してしまったあとで、あなたのためよと言われてみたって、おれどうしようもないでしょう。」(4.30発言。<証拠番号略>)、「どうでもいいや、もう……、どうでもいいという感じだよ。」「おれはね、何か甲が悪いお金作っとったというのは知っとるが。何やったか。だけど悪いお金なんだ、どっちも、同じことにか。」(5.6発言。<証拠番号略>)、「長野でもそうやったけど、『責任取れ、責任取れ』と言われたら、ちょうどあのとき、おれこういうことほんまにやったのかなという気持ちになって……。」(5.9発言。<証拠番号略>)等、というものである。

以上のような捜査段階における丙の各発言等は、大体において本人の赤裸々な心情や心境の表出と受け取れるものだけに作為の跡がほとんど感じられず、信用性は高いものと考えられるのであるが、その全体を総合して丙の言い分をまとめてみると、次のとおりに整理することができよう。

つまり、丙は、殺人を含むみのしろ金目的の誘拐事件である本件各犯行については、その実行行為に関与したこともなければ、事前に甲と共謀して事件の内容を知っていたものでもない。しかし、丙はその当時甲に対して「金、金」と責め立てていたのは事実であって、甲が本件各犯行を丙のためも思って実行に及んだ面があるというのなら、現実に甲と共謀したわけではないが、甲にそのような犯行動機のきっかけを与えたという意味での責任を感じるし、また、丙が長野事件で甲に同行したのは、甲が詐欺まがいの手段で大金を入手するという作り話をしたのを信じたからであって、現実に共謀こそしないけれども、どちらにしても甲が悪事を働くことを知っていて協力していたことに変わりはなく、また甲が犯行に及んでいるときもそばにいたことにもなるのであるから、自分としても事件と全く無関係とは思っていないし、少なくとも道義的責任は強く感じている。もちろん、甲と事前に共謀し計画的に共同犯行に及んだわけでなく、また、殺人などの実行行為には全然関与していないので、甲と同等の刑事責任があるとまでは思っていないが、自分のそのような事件との関わりが罪とされるのならそれはそれでやむを得ない。むしろ、丙としたら、これまでの甲との男女関係や被害者の遺族の気持ちを考えると、自分なりに相当の責任を取るのにやぶさかでなく、そのためには真実には反するが、捜査官が疑ってやまない甲との共同犯行も、共謀だけという限度でなら認めてもいい、その場合自分に科せられる刑がどの程度になるか法律上はよくは分からないが、自分としてはせいぜい五、六年ぐらいのものでなかろうかと考えている、ということになるであろうか。

そうだとすると、丙が本件両事件で甲との共謀を自白するに至った動機というのは、自分が本件で全くの無実であることを信じながら、単に道義的責任感だけから、本件各犯行を甲と共謀して犯したことを自白したものとは認め難く、少なくとも本人の気持ちのうえでは、誘拐、殺人というような本件各犯行の実体を事前に甲から聞かされてはおらず、したがつて実際には共謀もしていないけれども、いずれにしても甲が企んでいた何らかの悪事と知って大金獲得の協力をしていたという限りでは自分も本件に関わりがあることは否定できない立場にあるから、それが果たして法律的に犯罪に該当するかどうかは別にして、ある程度の刑責を問われるのもやむを得ないと覚悟するところがあって、これが前述のような道義的責任感と結び付き、両々相まって結局は事実に反する虚偽自白をするに至った可能性が高く、また、そのような供述心理と眺めることで、丙が弁護人からの助言を受けながらも更に自白に及んだという経緯も無理なく理解することができると思われるのである。

しかし、そのいずれにしても、丙自白の原因、動機が真実その犯行を自認したうえでの反省悔悟に基づいたものではなく、その他の要因が作用した可能性が高いという意味で、その信用性の否定に繋がる状況が存在するという点は共通しており、丙の有罪性に関する事実認定がそれによって左右されることはない。

(5) 丙の公判弁解は虚構であるとの主張について

以上検討のとおり、丙の捜査段階での供述は、それ自体が不自然、不合理な内容なものであるうえ、その供述過程などを分析すると、あえて事実に反して虚偽の不利益事実を承認した疑いも濃厚であって、その信用性は甚だ乏しいものと考えられるのであるが、一方で丙は、それら捜査段階での供述とは別に、原審公判(九三回ないし九八回、一〇一回、一〇二回、一〇七回ないし一一五回)において、本件各犯行の前後を通じての甲との関わりについての真実の事実関係として、いわゆる公判弁解を詳しく述べており、そのことの真否が明らかになるならば、丙供述の信用性についてはより確かな判断が可能になるだろうところ、原判決は、丙の公判弁解は関係証拠によって積極的に肯定することはできないとはしながら、かといってこれが虚構のものとして排斥することもできないと結論するのに対し、所論はるる理由を挙げて反論するので以下に検討する。

弁解内容については、原判決にその要旨が記載されているが(五二一頁〜五二九頁)、概略は次のとおりである。

丙は、甲と知り合って以来、その巧みな言動によって甲が金持ちで仕事もできる女性と思い込んでいて、昭和五四年四月ころには甲から大宮の仲間と組んで政治資金名下に土地や手形を詐取して大金を手に入れる話(政治資金の弁解)を聞いてこれを信じ、その一部資金を拠出したり、その大金を当てにして甲に頼まれてZを購入する資金を都合してやったりしたこともあったが、同五五年一月になって、政治資金の話とは別に、金沢のいわくつきの土地を他の男と組んで売却して大金を得る話(金沢の土地の弁解)があるとも聞かされ、そのためということで二月初旬から四日間連続で甲を車に乗せて金沢に行ったり、話が成立したときに備えて自宅に待機しておくように頼まれてそれに従っていたが、甲からはみのしろ金目的の誘拐話など一切聞いていない。甲とは二月二三日午後「小枝」で別れてから同月二六日朝まで全く会ってない。その間甲からは毎日電話があり、交渉が遅れているので引き続き自宅で待機してくれということであったので、言われたとおり自宅で待っていて「北陸企画」には出向いておらず、甲の誘拐殺人の件は全く知らない。同月二六日朝甲に呼び出されて事務所に行ったが、金沢の土地の件は男の家の回りに警官がいてうまくいかなかったということで様子を見ることになり、そのまま忘れてしまった。その後三月三日甲から「政治資金の件」で東京に金を取りに行くというので、その間の運転と金の護衛を頼まれて承知し一緒に富山を出発した。車中で東京の男は長野まで出てくると言われ、その夜は長野市内の「志賀」に泊まった。翌四日「日興」に予約を取ったのち、甲と二人でZで松本方面に行き、帰りに甲の希望で聖高原を回った。甲は夕方、東京の男と会うと言って出掛けたが、午後九時ころ帰って来て明日もう一度会うと言っていた。翌五日夕方、再度東京の男と会うと言って外出し、午後九時ころ電話で午後一二時ころには「日興」に戻れそうと連絡してきたのに、翌朝になっても何の連絡もないまま帰って来ないので心配になり、警察にZの事故の有無を問い合わせたりしたが、正午ころようやく連絡が入り、合流して長野を出発し東京方面に向かった。翌七日、Zの車中で入金額が二〇〇〇万円になったが、警察に見張られているので東京の男に代わってその情婦が高崎駅まで金を持参することになったと聞いた。丙はその話を信じ、甲と一緒に高崎駅まで赴いたが、周辺に警察官がいて金を受け取れず、翌八日朝、富山に帰って来た。甲はその旅行期間中よく電話していたが、東京の男と金の件で連絡を取り合っているという甲の説明を信じていた。

以上の丙の公判弁解について、原判決は、丙が甲から聞かされていたという儲け話というのは、基本的にすべて虚偽であるとともに、曖昧、不明確で具体性を欠き、内容的にも不自然さが目立って現実性に乏しく、これを全面的に信用した理由として丙が説明するところも疑わしいことからすると、その甲の儲け話を真実であると誤信し続けたという丙の弁解はにわかに措信し難いとはしながら、一方で、丙は甲の動きに便乗していたに過ぎないので甲の儲け話を批判的に聞かなかった可能性もあり、また、甲が丙に情を明かなかったのが事実とすれば、甲としては、丙を自分と一緒に行動させ、あるいは犯行現場から遠ざけるためには虚言で丙を欺く必要もあるのであって、丙との関係の継続を望んでいた甲が丙に対して大金入手の計画があると偽っても決して不思議ではない。更に、丙の捜査段階での供述をみても、当初の時期には公判弁解と同じ弁解はなかったが、長野事件による逮捕時点ころからは具体的に同旨の弁解が述べられ始めて、以後はほとんど一貫してそれが主張され続けていることからすると、この弁解が逮捕直前で急に思い付いた創作とは解されず、また、甲自身も、捜査途中の時期で、東京か大宮の男からまともとは言えない種類の金を受領すると言って丙を同行させた旨丙の弁解と符合する供述もしていて(<書証番号略>)、これが二人の口裏合わせの結果とも考えにくいことなどに徴すると、丙の公判弁解を頭から虚偽のものとして排斥することはできない、というのである。

これに対し、検察官は、控訴趣意中で詳細な反駁を行い、丙の弁解内容である金沢の土地や政治資金の儲け話というのは、それ自体が具体性がなく漠然とした荒唐無稽といっていいものであり、仮に甲がそれに類した話を丙にしたとしても、とてもこれを信ずることができるとは思えないし、何よりも、甲が誘拐殺人等の重大事件を敢行する過程で犯行と無関係な架空話をしてまで丙を欺かなければならない必要があったとは考えられず、またそれが可能ともいえない。もし、甲が丙に対し、あくまで自己の犯行を秘匿したいというのであれば、最初から丙を除外して事を運ぶはずであり、さもなくて、犯行に丙の関与が必要というのであれば、情を明かしてその協力を求めるのが自然で、それを原判決がいうように、「情を知らない丙の利用」という考え方をするのは、誠に不合理かつ非現実的な推論であり、現に、甲及び丙の二人は離れ難い男女関係にあり、甲にとって丙は最も信頼が置けて自分の意のままになる男でもあったわけであるから、そのような丙に対して犯行を秘匿しなければならない理由は見当たらない、などと主張する。

検討するに、原判決が丙の公判弁解について、その供述内容のすべてをそのまま真実として認めるというわけにもいかないが、一概に虚偽として排斥することもできないとする判断は、当裁判所も同感で肯認するに十分である。

確かに、丙の公判弁解には、常識的に眺めて不自然と思える節々もあり、虚構であったことに間違いがない甲の儲け話を誤信し続けていたということには首をかしげさせるものがあることは原判決も否定していないが、それは一般的な疑問の域を出ないのであって、既に問題として指摘し検討も重ねてきたとおり、本件両事件で、丙は甲と共同で犯行に及んでおかしくない男女関係にあり、しかも、長野事件にあっては、甲と一緒にZに乗って富山を出発しその以来相当時日にわたって終始行動を共にしてもいたのに、いずれも殺害の実行行為を始め犯行のまさに核心的な部分における丙の関与が証拠上全く現れてこない点が誠に不可解な案件であって、これらについて両名に共謀があったとしたのでは状況的に符合しない間接事実の存在や甲及び丙両名の各供述の不自然性、不合理性なども併せ考慮すると、その事案の解明は、決して尋常一様の考え方では間に合わないのであって、前述のように、捜査段階での甲の供述にはことさらの意図的な作為も疑われる以上、その犯行の計画や実行場面でも何らかの策謀が巡らされた可能性が強いとみるべきものであるから、その視点に立った考察が当然必要となってくるのである。

所論は、丙の公判弁解が信用できない最大の論拠として、甲及び丙両名の密接な男女関係からして、甲が本件のような重大な犯罪を行おうとするなら二人共同で犯行に及ぶはずで、丙に対してその犯行を秘匿するはずはなく、もしそうでなければ、初めから丙とは無関係で一人犯行に及ぶに違いないと主張するのであるが、ここでやるからには二人一緒のはずと決めて掛かっているところがまさに盲点といえるのであって、この常識的な固定観念を逆に利用した甲の策謀が十分にあり得たことは、これまでに詳細に説示してきたとおりであるし、捜査官のそのような思い込みを甲に乗じられ、また、丙の取調方法が結局不相当なものになって、素直に丙の弁解が聞けなくて自白が誘導される原因になった可能性を否定することができない。

所論は、原判決がいうように、甲が最終的に自分の刑責を丙に「責任転嫁」するため「情を知らない丙の利用」を図るなどのことはあり得ないというが、甲が丙を自分の身代わりの犯人に仕立てて自分の罪を免れようというのではなく、既に述べたような「容疑者工作」の方法で、実際には事件に関与させていない丙に容疑の目を向けさせて犯跡をくらませようとする企みが存在した可能性が十分にあると思われることは、これまでに詳しく説示したところであるが、これに加え、丙の前記のような内容の公判弁解を事実と仮定して事案を吟味してみてみると、一層当時の事実関係や甲及び丙両名の各供述が整合性を得てくるのであって、その真実性を否定することはますます難しくなってくるのである。

また、犯行動機との関連で甲の当時の心理状態を推量してみても、所論では、甲が丙と共謀しないのであれば同人を身辺から遠ざけるはずと主張するけれども、甲にとってみれば、D事件における丙の拒否的態度等から重大犯罪の共犯者としてならば丙は不適格であると判断したとしても、二人の当時における密接な男女関係からすると、甲にとって丙は可愛い年下の男であり、自分の意のままに動いてくれる御しやすいパートナーでもあったわけであるから、丙を犯行に同行させて不審の念を抱かせることになっても適当に言いくるめることは可能であり、また、情を明かさないままで丙が捜査官の取調べを受けるような事態になっても、事情を察知しさえすれば甲にとって不利になるようなことは暴露しないことも期待できるとなると、検察官がいうように丙の存在を危険な第三者と考える必要はないばかりか、たとえ、犯行は甲単独でやることを決意したとしても、その犯行で入手する大金を独り占めしようとするまでの気持ちはなく、丙との将来の関係継続の資金等にも充てることを考えていたとすれば、結果的にはその利得にあずかる立場にある丙に、あえて事件の真相は知らせないまま事実上の協力を行わせるとともに、万一その犯行が発覚しそうになったときには、逆に犯行には関与させてないために有する丙の無実性を利用し、丙が甲の共犯者でないわけはないと思い込むだろう捜査官の盲点を突いて罪責を逃れることも企んで、丙を犯行に伴ったということが十分に想定されることは既述したとおりであって、そのような可能性を論外としている所論の指摘は当たらない。

このような推論を行う根拠は既に詳しく判示しているとおりで、甲自身の捜査段階供述の中にもそのことを暗示するものが散見されることも指摘しておいたが、更に、甲の原審公判供述の中からもこれを摘記してみると、三月五日夜の丙の「日興」でのアリバイ工作の説明ということで「一応丙のアリバイさえしっかりしておれば、普通は二人で旅行しているから、私も丙と離れて単独で歩き回るというのも変ですから、もし事件が発覚して私達が疑われるようになっても、丙のアリバイさえしっかりしておれば、自分のことは切り抜けられると思っていた。はっきりした物証か目撃者がなければ自分のことは切り抜けられると思っていた。」「殺害後、丙がホテルに戻っている間甲は聖高原辺りをドライブする。それは、事件が分かったとき、警察とか取調べを甲の方に集中させるためには丙と一緒にいない方がいいと思うから、甲自身は絶対にアリバイが作れないと思うし、ならば、甲が現場付近にいたところで同じであり、逆に自分が犯人でないからこそそんなところにいたと言い訳することもできる。自分達が捜査官から追及されたとき、二人とも全く関係がないと言っても通用するはずがない。そのとき、甲が殺害現場に戻っておけば丙は無関係という弁解が通ることになる。この考えは、推理小説などからヒントを得たもので、他にそれよりいい方法は思い付かなかった。」(いずれも原審三一回)等の供述を新たに挙げることができる。

これは、丙を共犯者と前提したうえでの供述ではあるが、その条件を外して読み直してみると、甲による「情を知らない丙の利用」の策謀がおのずから浮かび上がってくるように思われる。

そして、甲にそのような策謀があったとすれば、甲として丙を欺かねばならない必要は当然あるのであって、そのときには犯行が成就したら手に入ることになる大金の出所として公判弁解にあるような内容の架空の儲け話で丙を騙そうとしたということは随分と現実性がある事実の推移とみえるのである。

もっとも、その公判弁解の内容となっている儲け話というのは、金沢の土地の件にしろ政治資金の件にしろ全く虚構のことであるから、甲の言動が前後で完全に首尾一貫して破綻を示さないのは難しいことであり、丙が聞かされたとする儲け話の内容が空漠かつ曖昧なものであったとしてもおかしくはないのであって、頭から甲がそのようないい加減な架空話を丙にするはずはないと決めつける検察官の反論を容れることはできない。

要は、その話を聞かされた丙がそのとおりに誤信したというのが事実かどうかということであるが、それも単に不審を抱くといった程度のことでなく、到底あり得ないこととしその虚偽性を見抜き、ことの真相まで知ることができたかどうかを検討しなければならないことになるであろう。

本件の場合、甲が丙に説明した儲け話なるものは、決してまっとうな商取引や経済行為にによるものではなく、下手をすると警察沙汰にもなりかねない詐欺まがいの手口による金策ということであり、しかも、その仕事は甲自らが衝に当たるものとして丙には直接的にはタッチさせない形を取り、丙が関心を示しても「あなたは余分な詮索をしないで私に任せていなさい。」としてはねつけていたということであってみると、丙としても多少の不審を感じ甲が正直に全貌を打ち明けてくれていないと疑うようなことがあったとしても、甲がまさか本件のような誘拐、殺人、みのしろ金要求等という凶悪かつ重大な犯罪を一人で計画実行していようとまでは気が付かなかったことも決してあり得ないわけでもない。

もちろん、それでも犯行途中に丙がその事実を見抜き、また、捜査時点で丙の口から甲の犯行を推認させる状況が捜査官に漏らされる危険がないでもなかろうが、そのときには、犯行は丙のためも思ってやったことだとして改めてその犯行への共同加功を求めるとか、少なくとも悪事を働いて大金を入手しようとしている甲を手伝っていることの自覚はあるはずの丙に対しては、以心伝心の方法ででも口封じをすることができると考えていたものとしても、その企みが破綻を示すことにはならない。

また、捜査段階において甲や丙が公判弁解に沿う供述をしていることも、その供述の時期からみて公判弁解の信用性を保障する事情としてとらえられることができるとする原判決の証拠評価も指示できるのである。

ただし、丙の公判弁解の中には、明らかに記憶に残っていていいはずの出来事について忘れたということで済まし、また、二月二五日朝「北陸企画」に出向いた事実についての供述のように当裁判所の認定に反する弁明に固執したりすることも含め、原判決も疑問として指摘するような不自然、不合理な供述部分も残っているのであって、その弁解のすべてが真実であると積極的に肯定することまではできないのであるが、だからといって、甲が丙に対して公判弁解にあるような架空の儲け話をして欺いていた可能性を否定することはもはやできない。

なお、検察官は、丙の公判弁解の虚構性を明らかにするとして、金沢の土地及び政治資金の各弁解につき、その折々の行動との関連で詳しく反論を展開しているのであるが、その立論を支える中心的な考え方は、甲において「責任転嫁」のため「情を知らない丙の利用」を図ることなどおよそあり得ないものであるというものであるところ、これについての当裁判所の見解は前記説示のとおりであって、とすると、その反論は既に前提を失うものといわざるを得ず、その逐一についての当否を改めて検討するまでのことはない。

4 本項についての結論

以上、本件公訴事実である富山、長野両事件におけるみのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄、拐取者みのしろ金要求の実行行為は、いずれも甲が単独で行ったことは先に認定したとおりであるところ、更に、丙がこれら犯行に共謀して加功したかどうかを検討した結果では、犯行に関連する数々の間接事実は、一部原判決と同一の認定を行うことができないものもあるけれども、全体的には甲及び丙両名の共謀を推認させるに足るほどのものでないどころか、かえってその共謀の存在を否定する反対情況と評価するのが相当な有力な事実を挙げることさえもでき、また、丙との共謀についての直接証拠というべき甲の供述は、捜査、公判の両段階を通じて、その内容自体が極めて不自然、不合理であるうえ、甲には、原判決がその可能性があるとするように丙をその身代わりの犯人に仕立て上げるという目的であったとは認め難いものの、共犯者でない丙の存在と行動を利用して自己の犯跡をくらまそうとして捜査官に対する供述対策をもくろんでいた可能性があることは否定できず、その信用性には大いに疑問があって、到底丙の有罪を裏付ける証拠とするだけの価値はなく、また、本件両事件について甲との共謀を認めた丙の自白も、甲供述同様、その内容や供述過程等に不自然、不合理な点が多くてもともと信用性に乏しいばかりでなく、その供述の変遷状況等をつぶさに分析検討してみると、丙の自白というのは、本件各犯行における共謀事実を真実のものと認めてその反省、悔悟の下に行ったわけのものではなく、道義的責任を承認する趣旨であえて不利益事実を自認した可能性が極めて高いのであって、これまた、その信用性を肯定することは到底できず、以上本件で取調べた全証拠をもってしても、丙が本件両事実について甲と共謀して犯行に及んだことは認定できないとした原判決の判断は相当であり、当裁判所としてもこれを肯認することができるのである。

もっとも、当裁判所が考察したところによると、前説示のとおり、丙が自白するに至った動機、原因というのが、ただ道義的責任感にのみ基づいて無実の刑責を背負う気持ちであったとするには疑問があり、本人の気持ちのうえでは、本件各犯行の全部に共犯責任があるとまでは思わなかったにしても、甲のみのしろ金要求のための行動と同一歩調を取って事実上協力した点などで何らかの刑事責任を問われることになってもやむを得ないといった心境が底流にはあって、最終的には道義的責任感を主たる動機にして本件各犯行全体の事前共謀という虚偽自白に及んだものと推量されるのであるが、かといって、そのような丙の内心状態の如何が、本件各犯行における共謀と認められないのはもちろんのこと、詐欺その他何らかの犯罪に関わったことになるのかも知れないといった程度の漠然とした予感をもって、本件各公訴事実の範囲内での縮小認定としての犯罪行為を認識していたものとしてその刑責を問うわけにいかないのも当然であって、しかも他の証拠によってその一部の犯罪事実が客観的に裏付けられるものでもない。結局において、丙が甲と共謀して本件両事件に加担した事実は、本件で取り調べた全証拠をもってしても、ついにこれを認めることはできないのである。

したがって、同旨の判断により本件両事件について丙を無罪とした原判決は相当であり、この点についてもいずれ甲及び丙両名の共謀事実が認定できるものとして原判決の右事実認定を論難する検察官の論旨は理由がなく、これと同旨の甲及びその弁護人の論旨も同様に理由がない。

五 本件における甲の刑事責任(犯罪事実の認定)について

本件両事件において、そのみのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄、あるいは拐取者みのしろ金要求の実行行為を甲が単独で行ったとする原判決の認定が首肯できることは前述のとおりであるが、更に、その各犯行に丙が共謀加功したとする訴因についても、証拠上これは否定されるのであって、他に共犯者の存在が考えられない本件にあっては、犯行はいずれも、甲がすべて単独で計画し実行に及んだものと認められ、原判決が甲の単独犯行として認定している原判示の「罪となるべき事実」は、原判決挙示の関係各証拠によってこれを優に肯認することができ、同時に、「被告人甲の経歴及び犯行に至る経緯」と題する判示部分(原判決三頁〜九頁)についても基本的に事実認定の誤りは認められないのであって、その結論は、原審で取り調べた全証拠に加え当審における事実取調べの結果を参酌しても左右されることはない。

もっとも、これまでの事実認定についての検討過程で明らかになっているように、本件両事件の犯罪事実もしくはこれに密接に関連する事実以外の点、つまり、甲及び丙両名の共謀の有無の認定に関係する間接事実の存否やその内容、あるいは甲及び丙の自白を中心とした供述の信用性に関係する補助事実等では、原判決がその事実認定の補足説明として記述している内容と比較するとかなりの程度の認定上の相違があるので、その違いの意味を考察する必要がある。

まず最初に指摘すべきことは、原判決は、甲及び丙両名間の共謀を否定し本件各犯行が甲の単独犯行であることをいうため、その犯行の背景、動機面で甲の独自性を強調し、当時における甲及び丙の男女関係の実態を消極的に眺め過ぎたきらいがあり、更に、最初の犯行である富山事件でのAの誘拐から殺人の実行着手に至るまでの経過についても、Aと母親との電話内容などから推認される甲の同女の取扱い振りからみた殺意の形成過程や内容には簡単に事実を割り切れないものがあるようにも考えられ、次いで、甲のそれぞれの犯行時における丙との対応の仕方や捜査段階での甲の作為供述性、あるいは丙の公判弁解の内容などからみると、甲がその犯行の前後を通じて「情を知らない丙の利用」を企んでいた可能性が高いと推論すること自体は支持できるのではあるが、それを甲が丙に自己の罪責の「責任転嫁」を図ろうとしたものとみるのは、関係証拠を総合して正しい理解とは認められず、この点は結局、捜査官側の予断と丙の無罪性を利用した甲の罪証隠滅策が存在したことが強く疑われるものとすべきものであることは、前述したとおりである。

具体的にいうと、富山事件着手前ころの甲及び丙両名の愛情及び日常生活面での関係は、それを一心同体と呼ぶかどうかは別にして、やはり相当に密接な男女関係にあったことは否定できず、それが検察官がいうように将来更に結び付きが深まっていく状態にあったとまではいえないにしても、少なくとも双方ともに今後その関係を維持継続していくつもりはあり、甲が本件各犯行の動機の一つとして、丙との共謀を前提にした言い分ではあるが、一部は丙のためにも役立てる必要資金を手に入れる意図でもあったと言っている点はあながち排斥もしにくく、原判決が、その犯行動機を専ら甲一人だけの利得を目的とするものであって、甲が丙への愛情と述べている供述部分には丙を利用しようとする意思が見え隠れするかのようにいう解釈は必ずしも当たっていない。

また、原判決が、甲及び丙両名の当時の経済状態をそれぞれの問題に分断して論じ、本件各犯行について丙にとっての犯行動機に結びつくような借金状態はなかったようにいうのも、前述のような甲及び丙両名の関係からすると、互いの借金は多分に共通に解決すべき問題として意識されていたことが推認できるとともに、本件各犯行の動機は、各自の借金返済のみを縁由としたものとは限らず、甲が供述しているように、自らが東京方面に移住のための資金作りのほかに丙の病気治療等の費用の捻出等も含め丙との関係の維持継続に要する金の調達もその目的の一つであった可能性もあながち否定できないのであって、甲が本件各犯行を場合によれば丙を犯人に陥れてでも巨額の利得を独り占めしようとする魂胆で計画し実行したものとまで認めることはできない。

次に、甲が富山事件でAを誘拐し「北陸企画」に連れて来てからしばらくそこに同女を引き留めたのちに殺害に着手するまでの経過をみると、それが甲においてあらかじめ予定した誘拐、殺人、みのしろ金要求の計画に基づいた犯罪の実行であることに違いはないが、現実に殺害行為に及ぶまでには随分と時間もかかっており、Aに対する自由の制約も比較的弱いものにみえるのであって、このことは甲の殺人の犯意が誘拐直後にはいまだ十分に具体化しておらず、実行に当たっては相当に逡巡したことを推察させる情況ととらえることができる。

最後に、原判決は、甲供述の信用性を検討する過程で可能性としての考察ではあるが、捜査段階での甲の供述状況には不自然な作為の跡が認められ、それは最終的には丙に本件各犯行の実行責任を転嫁させるために巧みに供述を操作したことを疑われるというばかりでなく、犯行当時において既に「情をしらない丙の利用」により甲の罪責を丙に「責任転嫁」することを企んでいたことの現実的可能性があるとするのであるが、この点については、甲がそのように丙を自分の身代わり犯人に仕立てて罪を免れようと企んだことまでは認め難いが、前記の「容疑者工作」とでもいうような策謀を抱いて行動した可能性が十分あることは、先に詳しく説示したとおりである。

以上のように、原判決の判断とそれに対する当裁判所の考察の間には食違いはあるのであるが、これらは量刑判断の対象として考慮されるべき事柄ということはできても、本件各犯行の犯罪事実自体ないしはこれに準ずる主要な関連事実としての判示事項以外の部分での齟齬にとどまるものであって、いまだ控訴理由としての事実誤認には当たらないものというべく、これらをもって事実誤認と主張する甲の弁護人(倉田等)の論旨は理由がない。

六 甲の心神耗弱の主張について(甲の弁護人倉田等の控訴趣意)

甲の弁護人(倉田等)は、原審公判の審理中に原裁判所が職権で医師遠藤正臣に依頼した精神鑑定書によれば、甲の本件各犯行時の精神状態は、心神耗弱の状態にあった可能性があると主張するので、検討するに、甲の本件犯行当時における行動については、記録上窺われる全資料をもってするも、その精神状態に異常又はその疑いを抱かせるような徴候を知ることはできず、むしろ逆に、本件の犯行の計画実行あるいは捜査官からの取調べを受ける各段階においては、常人以上の知略を巡らせて作為したことが窺えるところもあって、その後の公判審理での供述内容や態度をみても、そこには何ら心神の異状を示すものは認められない。

確かに、甲の健康状態が公判審理中に損なわれ、そのため公判期日に出頭できず、あるいは審理が途中で中断したような時期もあったが、これは所論が引用する鑑定書の診断からも明らかなように、精神病的な変調によるのではなく、現在の裁判にまつわる種々な心的葛藤や不安が処理し切れないことによる挿間性ヒステリー反応というべきものであって、もとより心神耗弱を疑わせるものではなく、結局、甲については、本件犯行時及びその後現在に至るまで、その精神状態は理非弁別の能力が著しく減退した心神耗弱の状態にはなかったものと認められる。論旨は理由がない。

七 量刑不当の主張について(甲の弁護人倉田等の控訴趣意)

所論は、要するに、本件において甲を死刑に処した原判決の量刑が重過ぎて不当である、というのである。

よって、所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも参酌して以下に検討する。

最初に、死刑の適用に関し量刑上考慮すべき点を案ずるに、人間存在の根元である生命そのものを永遠に奪いさる死刑は、誠にやむを得ない場合における究極の刑罰であって、その適用が慎重に行われなければならないのはいうまでもないところ、その死刑選択の基準として先に最高裁が示した「死刑制度を存置する現行法制の下では、犯行の罪質、動機、態様ことに殺害の手段方法の執拗性、残虐性、結果の重大性ことに殺害された被害者の数、遺族の被害感情、社会的影響、犯人の年齢、前科、犯行後の情状等各般の情状を併せ考察したとき、その罪責が誠に重大であって、罪刑の均衡の見地からも一般予防の見地からも極刑がやむを得ないと認められる場合には、死刑の選択も許される。」(最高裁判所昭和五八年七月八日第二小法廷判決・刑集三七巻六号六〇九頁参照)との見解は当裁判所としても是認するものであって、いやしくも法律に従って裁判の衝に当たる者としては、死刑制度そのものに対する信条の如何にかかわらず、前記の基準に基づいて死刑を選択することにつき異論の余地がない程度に犯情が悪質な事犯に対してことさらその適用を避け、運用面で事実上の死刑廃止の実を上げることで立法措置を待たないまま現行法規を空文化するようなことは許されない。

とはいえ、そこに死刑選択の基準として列挙されている量刑上の要因というのは、もともと殺人を内容とする類型の犯罪などの量刑を勘案するに際して一般的に考慮すべき事項と共通するものでもあり、それが果たして死刑の選択をやむを得ないとする重罪であるかどうかの実質的な判断は、結局は、量刑に影響するそれらの各事項をどのように認定し、どのように評価するかにかかってくるのであって、これに対する明確かつ具体的な基準が明示されたわけではなく、前記最高裁判決も、結論的には罪刑の均衡と一般予防という観点を死刑選択の有力根拠に据えているのである。

実際問題として、死刑選択の是非が問われるような事案の量刑を勘案するに当たっては、前掲の量刑因子のすべてについて個々的に慎重綿密な事実認定をするとともにその評価を適正妥当に行い、更にそれらを全体的、総合的に観察したうえでの最終的判断として、当該事件の犯情が死刑を法定刑に含むその犯罪類型の中でも飛び抜けて悪質と認められ、被告人に関する主観的諸事情をも考慮に入れても、その犯行に対する被告人の処断が、究極の刑罰とされる死刑を選択する以外、その他の刑を科したのでは軽きに失して到底罪刑の均衡が保てず、国民の正義感情からしてもとても容認できないだろうと断言できるような場合に初めて死刑が量定さるべきものと思料されるところ、ここで死刑を選択したその量刑が適正であるというためには、検討対象とされる個々の量刑因子についての認定評価を正しく行うことのほかに、その総合的な判断による犯情等(違法性、責任性)の位置付けを誤らないことが肝要であろうが、それには、先例にならい、時代の動向も的確に把握し、また国民意識の在り方をも参酌したうえで、偏ぱにわたらず公平を損なわない量刑感覚に基づいた裁量的判断を行う以外にないのである。

もっとも、そこで裁量的判断といっても、量刑一般に自ずから課せられている抑制に従うことのほかに、死刑という刑罰が、社会制度としてその存置が正当化されているにしても、その淵源は応報に根ざすもので他の刑種とは本質的に異質であってその較差は絶対的なものであり、刑量的には決して連続しないことなどに思いを致すと、死刑を選択する場合は、まさに峻厳なその極刑を科することが真にやむを得ないものとすることの確信が持てなければならず、そのためには何よりも公平であることが絶対の要請と考えられ、同一事件が判決裁判所の違いでその結果を異にするなどのことは本来あってはならないものであって、量刑に当たってその点にためらいを残してはならないものと考える。

ただ、同一事件について他の裁判所がどのような科刑を行うかを現実に確かめる術はないのであって、仮に他の裁判所が審理を担当したとした場合、もともとは証拠上同じ認定と評価がなされるべき各量刑因子についての判断が微妙に相違することなどから、その総合的結論としての死刑の選択の是非が左右されることがなくもなかろうが、少なくとも当該事件を担当する裁判所としては、被告人を死刑で断罪するためには、この案件であれば他の裁判所であっても一様に同一結論を取るだろうし、国民の意識もその結果を支持するだろうということについて確信を抱くことができる場合でなければならないはずである。

ところで、原判決は、本件において死刑を選択した理由を「量刑の事情」として掲記しているのであるが、そこで原判決が量刑の前提とする事実関係は、前述したように、事実摘示の部分においての認定上誤りがあるといえないにしても、間接事実や補助事実等に関しては当審が認定するところと微妙な相違がないわけでもなく、その量刑の審査に当たっては、これらの違いにも配慮しながら今一度慎重綿密に再考しなければならないものである。

以上の観点に立って、改めて本件で甲を死刑で処断することとした原判決の量刑の当否を検討するに、本件は、もともと私利私欲から一獲千金の妄執に取り付かれた甲が、女性の身であるのに単独で、最初は保険金を狙った殺人を企図して失敗しながら(D事件)、なお悪事による大金獲得の夢を捨てず、結局は、自分とは何の関わりもない不特定の若い女性を狙って誘拐し、あらかじめその命を奪ったうえで家人にみのしろ金を要求し、その憂慮に乗じて大金を手に入れようと企て、その計画に従った第一の犯行として、A(当時一八歳)を誘拐して殺害しその死体を山中に遺棄したものの、金員要求に至らないうちに家人らに怪しまれてその目的を達しなかった(富山事件)にもかかわらず、そこでその種の犯行を断念することもなく、逆に犯意を継続助長させ、僅か一週間も経たないうちに改めて同様の犯行を計画し、その情を明かさないまま愛人の丙を誘って同行させ、同人に事実上犯行への協力をさせるなどして事の成就をを図り、第二の犯行として、今度はB(当時二〇歳)を誘拐して殺害しその死体を山中に遺棄したのち、同女が生存しているように装って肉親にしつこく電話を繰り返しかけてみのしろ金を要求し、二〇〇〇万円もの現金を準備させ指定の場所まで持参させたが、張り込みの警察官の姿に気付き発覚を恐れて入手を断念した(長野事件)という事案であって、原判決もいうように、その罪質、結果が凶悪、重大であるのはむろんのこと、金欲しさから一面識の若い女性を誘拐するだけでなく、その肉親らの対応も待たず、また、何ら逼迫した状況があったというわけでもないのに、顔を覚えられて犯行が発覚することを防止するためということでその相手の貴重な命を先に奪ってしまったのちにみのしろ金を要求して入手するという情け無用の計画を立て、それをそのままに実行してしまったという冷酷、非情も最たる凶行であって、とても血が通った人間が行える所業とは思えないほどのものであり、しかも、殺された被害者が二人であるという結果の重大性もさることながら、とりわけ、一度は富山事件で自らが手に掛けたAの肉親が同女の安否を気遣って心痛している様を知り、当時自分も警察沙汰になりかける危険に遭いながら、それで犯意が萎えるということもなく、かえって新たな意欲を燃やしたかのように、ほとんどその直後ともいえる時期に改めて巧妙に犯行を仕組んだ長野事件を続けて犯してBを殺害するに至ったその犯意の執拗さ、強固さ、残虐さは常軌を逸するものであって、そのような犯行全体の経過の中に窺える犯情の悪質さは、まさに極悪というのをはばからないものというべきである。

本件各犯行に至る経緯や動機をみても、甲が多額の借財を負うに至った原因が丙との放縦な男女関係や分不相応な高級自動車の購入などの野放図な生活態度にあったことは原判決が指摘しているとおりであって、そのような境遇に陥ったこと自体には妻帯者である丙の不道徳性にも一部の責任はあるだろうが、結局は、その丙と共謀することなく甲の独断で、その債務返済の必要のほかに身勝手な人生の欲求を満たすための大金を何ものにも代え難い貴重な人の命を犠牲にして手に入れようと図ったその犯行動機には酌量すべき事情は全くなく、仮にそうとは知らない丙が甲に立て替えた金を厳しく催促したことが甲の決意を促す原因の一つにもなり、また、甲が犯行によって取得した金の一部が丙のために還元されることがあり得たとしても、そのことが犯行動機面で甲に有利に斟酌される筋合いのものでないのはいうまでもない。

原判決では、甲及び丙の両名間に本件各犯行における共謀が認められないこととの状況的符合をいうためか、その当時における両名の仲がかなり冷やかなものであり、犯行動機と結び付くような経済的窮状は甲の側にのみ存在したかのような推認をしており、その点についての当審の理解が異なることは既述したとおりであるけれども、かといって本件は丙との共同犯行でもない以上、甲にとって格別有利に解することができる状況があるとみなせるわけのものでもない。

更に、その犯行の態様をみると、当初の富山事件でのAの誘拐着手から殺害の実行に至るまでの経過にはいささか不自然ともいえる弛緩振りがあり、これを甲自身が凶行に踏み切るまでの内心のためらいやその実行決意の未熟さを示すものとみることもできるのであるが、いずれにしても最終的にはあらかじめ胸中に描いていたとおりの計画に基づき、みのしろ金を要求するより以前に被害者の命を奪ってしまっており、これで金員を奪取することに失敗した直後、再度企てた長野事件での計画性はますます明白なものであり、そこでは原判決がその可能性があるとする態様での丙への責任転嫁の企みがあったとまで推論するわけにはいかないものの、犯行に際して情を打ち明けないで愛人の丙をわざわざ同行させたのが自己の犯跡をくらます計算があった可能性が高いことは先に詳述したとおりであって、本件両事件を全体として観察したとき、その巧妙で大胆な犯行の計画性は著しいものであり、最初の失敗にもめげず、かえってその犯意を強化助長したかのように、間を置かず次なるみのしろ金目的の誘拐殺人の犯罪計画を立て連続的にこれを実行し重ねて人命を奪ったことは、人間社会と法秩序に対する不敵な挑戦とも受け取れる所業であり、犯情はこのうえもなく悪質である。

各誘拐、殺人犯行の手段、方法は、原判示のとおり、いずれの場合も、見ず知らずの若い女性を言葉巧みに誘い、スポーツカータイプの高級乗用車であるZに同乗させるなどで関心をそそって自己の支配下に置き、その後計画に従って睡眠薬を服用させて熟睡させたうえ、用意していた腰紐を使って絞殺し、遺体は無造作に雪の山中に投げ捨てているのであって、甲の甘言に騙された相手が何の不安も抱かないで油断しているのに乗じ、いとも簡単にその命を断ってしまうという手口の非情さには慄然とするものがあり、特に、長野事件にあって、既に我が手で亡き者にしたBがいかにも生存しているように装って執拗に家人に電話してみのしろ金を要求し、大金を用意持参までさせている行為は、まさに人の心を弄ぶものでその冷血な仕業は憎むべきものである。

本件各犯行における殺害の方法そのものは、同じ類型の殺人犯罪の仲で特別に残虐凄惨というものといえないにしても、そのような形での人命に対する甚だしい価値の否定は、人間の尊厳を冒涜するものとして天地共許し難いところといわざるを得ないのである。

一方で、本件各犯行の最終目的であるみのしろ金奪取の成算からすれば、計画は大胆とはいえても、周到緻密というにはほど遠い杜撰さが目立ち、結果としても金員の入手には失敗しているのではあるが、誘拐後みのしろ金の要求前に被拐取者を殺害してしまうという計画部分を確実に実行してしまった本件各犯行においては、それはいささかも犯情を和らげる事情とはなり得ないものである。

本件にあって、結局は甲の分不相応な私利私欲を満たさんがための犯行の標的とされて選ばれ、夢多いはずの人生を花咲かすことなく、春秋半ばで夢想もしなかったであろう非業の最期を遂げさせられた二人の乙女の運命は誠に哀れであって、その遺族らの衝撃、悲嘆、憤激の大きさも思い余るものがある。

なお、本件各犯行はいずれも、甲が単独で計画実行したものであることは既に証拠上明白にされているが、甲は捜査及び公判段階を通じて、丙が共犯者であり、しかも殺害実行者でもある旨を強調してきて、ようやく当審公判審理の最後に至って、長野事件での殺害実行についてのみは自己の犯行であることを自白したのであるが、いまなお、本件各犯行での丙との共謀と富山事件における丙の殺害実行を固執する姿勢を崩しておらず、これは、依然として事実を偽って自己の罪責の減免を図って丙への責任転嫁を試みているものと断ずるほかはないところ、それが極刑を恐れる余りのあがきと察することはできても、今この段階での供述態度として、本件に対する真摯な反省、悔悟と全く裏腹のものであることはいうまでもなく、甲の弁護人ら(小堀、押野)が弁論で主張するように、これを甲がこれまで嘘を重ねてきたことの愚かさを心底反省して真実をすべて告白したものと受け取ることは到底できないのである。

同弁護人らは更に、甲は、このたび改めて本件両事件への関与を認めた機会に、その反省の下に被害者の冥福を祈る気持ちでしたためた写経と共に謝罪の手紙を遺族に送付したことを有利な情状として主張するのであるが、本件のごとき重大犯罪の犯人が事後的に自己の悪行を反省悔悟し、被害者の冥福を祈るというのは人倫上からも本来当然に期待される改悛態度であって、これに格別の有意性を持たせるわけにいかないが、その手紙の内容をみても、大罪を犯した者の良心の呵責の声として遺族を慰めるには程遠いものと思われる。

翻って、原判決が甲にとって有利な事情として認めるのは、その生立ちや経歴に同情すべき点がないではないこと、これまでに前科がないことに限られるとするのであるが、改めて量刑に関係すると思われる身上等や犯行の背景などの情状事実を挙げてみると、次のとおりである。

すなわち、甲は、昭和二一年二月一四日富山県内で生まれ、同三九年三月県立富山女子高校を卒業後、東京の大学を受験して合格したが、親に反対されて進学を断念し、やがて埼玉県で働くうち、同四〇年ころCと知り合い、同棲生活ののちに正式に結婚して長男C2を出産した。その後、夫の転勤等に伴って、富山、金沢等に移り住んだが、やがて卵巣膿腫で手術をし、腹膜炎を併発するなど健康上の不具合が重なったりした挙げ句、夫の浮気が原因で富山市の実家に身を寄せて別居することになり、同四九年にはCから子供の養育料として月五万円の支払いを受けることを約して正式に離婚した。それからはその送金と母の収入で細々と生活していたが、経済的には苦しい毎日であった。そのうち同五二年九月ころ、知人の売春婦Fの紹介で丙と知り合い、互いに魅かれるところがあってその翌日には性交渉を持ち、その後次第に関係を深めて逢瀬もしげくなっていった。一方丙は、昭和二七年生まれで甲よりは六歳年下であったが、工業高校を卒業後電気関係の職に就いて電気技術者を目指したものの、同四六年八月ころ体調を崩し、ネフローゼ加味腎炎の診断で入院治療を行ったが病状ははかばかしくなく、いくつか転院して入院生活も長引いたが、今後とも病状の好転はない旨の医師の言葉に将来の不安が残った。それでも同五二年一月には結婚したが、同年六月ころから売春婦の前記Fと付合いを始め、その紹介で甲と知り合うに至った。間もなく甲は、丙には妻がいることを知ったが、丙に対しては、結婚してくれとは言わないから、自由交際ということにして互いに干渉しないで付き合っていくことを提案し、丙もこれを好都合と賛成しその後の関係を継続していくことになった。甲は、頭が良くて(IQ一三八)口達者であり、勝気で見栄っ張りな一面で、男には尽くすタイプであり、これに対し丙は、その話術にもつられて甲を非常に才覚のある優れた女性と信じて畏敬の念を抱くとともに、そのような立派な女性に惚れられて男冥利に尽きるという思いで有頂天になり、男女関係をますます深めていった。両名は、二人の結び付きを更に強める意味合いもあって、共同で事業を始めることとし、同五三年二月贈答品販売業「北陸企画」を開業し、営業を続けるかたわらその事務所を二人の交流場所として利用するようになった。しかし、その事業は当初こそある程度の収益を上げたが、丙の体調悪化などもあって次第に経営意欲も薄れていって営業成績も低下する一方の中で、甲を受取人として多額の生命保険に加入してくれたDを殺害して多額の保険金を手に入れる方法を思い付き、同五四年五月から八月にかけてこれを実行しようとしたが、いずれも計画倒れに終わった。その後同年七月ころ、資力もないのに高級乗用車のZを他から多額の借入れをして購入したことが大きな原因になって、原判示のとおり、次第に借財が増えていってその返済に窮するようになり、また、丙が他から借り入れて甲に融通していた金の支払いも厳しく催促されるなどして切羽詰まり、その窮地を打開するとともに甲自身の年来の希望である東京周辺への移転の夢を実現しようという思いに取り付かれ、最後は甲が単独でみのしろ金目的による誘拐を敢行する気になり、その後次第にその思いを高じさせ、ついには誘拐する相手を若い女性にして誘拐後は殺害したうえでみのしろ金を家人に要求することとし、その計画の下に原判示第一の犯行に及ぶに至った。

というものであるが、これらが情状面に及ぼす影響を再検討してみても、原判決が行った評価とは別に、甲にとってより有利に働く事情を見付けることはできない。

以上、本件において被告人を死刑で処断することの当否に関し、量刑上考慮すべき諸点につき、当審として認定できる事実関係を基にしてあらゆる見地から慎重に再検討してみたのであるが、本件各犯行の罪質、動機、態様その他冒頭に掲げたすべての量刑因子について、その悪質さ重大さの度合いは、それ自体凶悪犯罪とされる同種類型の中でも際立っており、ことに、いずれもみのしろ金欲しさで計画的に無辜の若い女性二人までも連続的に誘拐して殺害し、それも一度の失敗に懲りないで更に犯意を強め続けざまに新たな凶行に及んだという点でほとんど他に類例をみない冷酷なものであって、前述したような本件の犯情を総合的に勘案した場合、本件はもはや情状酌量の余地は全く認められない極悪の犯行と位置付ける以外になく、冒頭で述べた死刑選択の基準に徴しても、死刑制度そのものを否定しなければ、本件のような事案につき死刑の選択を避ける量刑を妥当とする立場があろうとは思えず、近時の量刑動向が死刑の選択に慎重の度合いを深めている現状を参酌しても、現行の法制を是認する限り、本件で被告人を死刑に処するのは誠にやむを得ないものであって、同旨の判断で被告人を死刑で処断した原判決の量刑が不当に重いものということはできない。この点についての甲の弁護人ら(倉田等)の論旨は理由がない。

第四  結語

以上検討のとおり、被告人甲及び検察官の各控訴はいずれも理由がないから、刑訴法三九六条によりこれらを棄却することとし、被告人甲に関する当審における訴訟費用は、同法一八一条一項但書を適用して同被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官濱田武律 裁判官横田勝年 裁判官秋武憲一)

別紙一 略語例

(事件名)

富山事件 原判決第一部「罪となるべき事実 第一」に記載された日時、場所で発生した被害者Aに対するみのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄事件

長野事件 同じく原判決第一部「罪となるべき事実 第二」に記載された日時、場所で発生した被害者Bに対するみのしろ金目的拐取、殺人、死体遺棄、みのしろ金要求事件

D事件 Dを被害者とする保険金目的の殺人未遂事件

(被告人及び関係者名)

甲 被告人甲

丙 被告人丙

A 富山事件の被害者A

B 長野事件の被害者B

(関係場所等)

「北陸企画」 甲及び丙が、富山市清水町<番地略>において、共同経営した贈答品販売業の名称

なお、「北陸企画」の右同所の事務所を示すこともある。

「小枝」 富山市<番地略> レストラン小枝

「銀鱗」豊田店 富山市豊田<番地略>レストラン銀鱗豊田店

「エコー」 岐阜県<番地略> レスト喫茶エコー

「まる三」 富山県<番地略> れすとらんまる三

「キャニオン」 富山県<番地略> 喫茶キャニオン

「元庄屋」 長野県松本市<番地略>レストラン新橋元庄屋

「日興」 長野市<番地略>(当時、長野市大字<番地略>) ホテル日興

矢越トンネル 長野県<番地略> 矢越隧道

Z 日産フェアレディZ(富○○○○○○○)

バン 日産サニーライドバン(富○○○○○○○)

別紙二 証拠の引用例<省略>

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